十月

10/1

午前

こんな二択があった。「優しい子か、賢い子か」賢さは優しさを内包する。優しさでより多くの人間を支えるには、優しさをきちんと使えるだけの賢さが必要だ。私は優しさのために賢さを選択する。だけど、このように答えれば、あなたには私が「優しさを大切にしない人間」に見えるかもしれない。面白いと思う。そして、馬鹿馬鹿しいと思う。

午後

16タイプの色々があるじゃないですか。私はあれ、分類を楽しむものとして結構好きです。あれが正しいかどうかはともかく、重要なのは「多くの人がその基準を利用し、あの基準で分類され、その話をしている」ということです。良くも悪くも、数はあらゆることを正当化します。数で整えられていきます。リンゴ、バナナ、イチゴがある。私はリンゴが好きなグループにいる。これがリンゴ、バナナ、イチゴの〝ジュース〟に変わったとしても、私はおそらくリンゴジュースが好きなグループにいる。もちろん移動する人もいるだろうけど(イチゴが好き、でもジュースならバナナが好き)まあそれくらいのことはいいんですよ。果物とジュースでは性質が異なる?まあそれもいいんですよ、人間のやることなんだもん。

その基準が、精度が、結果が、傾向が、全くのでたらめであったとしても〝分類はされている〟そこに何らかの正しさはきっと、あるはずです。

推し、生まれてきてくれてありがとうな。

10/2

友人が「なんで俺を好きにならない?自分のものにならないなら一生消えない跡をつけたい、ピアス開けさせてくれ」と言ったので、私の耳には一つだけピアスホールがある。私はそういうみっともない執着が大好き。友人はそんな昔話を覚えていないだろうけど。よくわかった?だからね、私を〝傷つけてまで残した〟あなたの愛は、時間や、私以外の他人で忘れられるような話だった。私を見て?ピアスホールは一つ、それを今日も使うけど。「なんで俺を」ねえ、よくわかった?

大事なところを間違えたので、今後このブログは推しが生まれてきてくれたことに感謝するだけのブログになります。よろしくな。

10/3

午前

私「寂しくても死なないけど?(だから問題ない)」友人「寂しいこと自体が問題なんだけど?」私は驚いた。心底驚いた。

午後

寂しいとき、苦しいとき、悲しいとき、私は自分に「歯を食いしばれ、泣くな、考えろ、絶対に負けるな」と言います。そして他人には「寂しくても死なないけど?」と言います。死んでいないからそう言います。

夜中

私だって本当は「おすすめBL作品」について熱く語りたいよ!!!!!

10/4

友人は他人を褒めるのが上手いので、会うたびにサラッと「その服いいね」とか「髪、前と違う?いいね」とか言ってくれる。どこで習った。私はいつも「今から君を褒める!!!!私は君を褒めたいと思っている!!!!」みたいになる。どういうことなのか。

10/5

午前

願いについて。「愛して欲しい」と絶え間なく懇願したが、父は死ぬまでそれを聞かなかった。私は、私を欲しがっている。私のように「愛して欲しい」と絶え間なく〝私に〟懇願する他人、私。それを受け入れ、ただ歪みながら、本当のことを口にしたいと思っていた。胸が送り出した言葉を、歯の奥で噛み殺している。決して口から出ることのないように、口にすれば全てが願いのようになるから。私が噛んで離さないから、胸に戻ることも出来ず、耐え切れず歯の奥で「もう許して欲しい」と割れる。体中を傷つけながらしゃらしゃら胸に還る。私は、受け入れることが出来ない。歪むことすら出来ない。私は正しい、いやになるほど苦しい。本当は父もこのように、私を受け入れることが出来ずに苦しんでいたのではないかとそう、また愛で一つ譲る。また一つ愛に奪われる。口の奥が軋んで、なんだか今日はいやに、血の味がする。

午後

いや、綺麗じゃないから愛せなかったってなんだよ。「綺麗」と「娘」を天秤にかけるな、「綺麗」を選ぶな、二度と生まれてくるな。でも「綺麗じゃないから愛せなかった」は良い。単純で綺麗だ。

10/6

午前

私は私の願いを叶える。

午後

「理解できないと思う」と言われて、「それはそうだよね、他人なんだから」と思った。私はこの「他人なんだから」という言葉は、何より優しい言葉でなければならないと思っている。排斥であってはならないと。「他人なんだから」を優しい言葉に変えるために、私は理解を試みる。あなたが言うように、私には理解することなど出来ないかもしれない。だけど、私は、何一つ理解することが出来なかったと理解した後で、「他人なんだから」を何より優しい言葉に変えることは出来る。

10/7

午前

みんな私のことを「冷たい」なんて言いますけど、私はあなたと会っている間、いつも〝あなたが私の言葉で笑った〟を集めていますからね。

午後

「君は愛情(感情)表現をしない」と言われてからずっと、他人への感情表現について考えていて、結局「感情に対応するもの、感情と交換できるもの、それは感情だけである」というのが私の答えになりました。通りで上手く行かないわけだ。それを素晴らしいと感じるか、それに何の意味が?と答えるかで、人生はすっかり変わってしまう。カフェオレと友人(愛情深い)の話をします。

1杯のコーヒー(私)+1杯のミルク(恋人)=1杯のカフェオレ(それぞれのカップにはコーヒー、ミルクが半分ずつ残る)

1杯のコーヒー(友人)+1杯のミルク(恋人)=2杯分のカフェオレ(入り切らなかった分はそれぞれのカップに戻る)

あくまでも私の勝手なイメージなんだけど。私の答えには誤りがある。友人はいつでもカフェオレを飲むことが出来る。それは幸福なことです。私は二杯目のカフェオレを選ぶことが出来る。どちらを好むか。私はコーヒーを飲むことも出来る。強欲だ。一度でも自分のカップにカフェオレを注いでしまえば、いつまでもミルクが混ざり続ける。それを良しとするかどうか。私はコーヒーもミルクもカフェオレも飲みたい。死ぬほど強欲だ。

みんな私の強欲を絶対に許さないじゃん、飲み切れないほどのカフェオレを作ってやるからな。

夜中

私もストレスでギリギリの状態になると「知るかよ、理由なんかねえよ、そう思うから以外にあるかよ、はあ?それで?だから?バカか?Smells Like Teen Spiritかけてくれ、全部知らねえよ、全員好きにしろよ」ってなりますね。

10/8

午前

精神科に入院したとき「一度入ると、何度も入退院を繰り返すようになる」と医師から聞かされた。実際、隣のベッドの女の子も「二回目だよ」と教えてくれた。彼らは何かを調整するためにここへやってくる。起床時間をすぎると少し優しいトーンでラジオ体操のテーマが流れる、彼らは廊下に這い出て体操をはじめる、ずっと先、廊下の奥までそれが続く。それから彼らはきちんと計算された朝食でどうにか自分を生かして列に並ぶ。「死んでしまいたい」だとか「どう生きたらいいかわからない」だとか「私は悪くない」「私が悪い」だとか、全てを抱えて列に並ぶ。自分の順番がくると、彼らは他人に額を差し出して、神様を描かせる。他人は言う「飲みました?口を開けて見せてください」こんなものが救いであっていいわけがない。私は一度も戻っていない。

午後

宗教学の本でお気に入りの一冊がある。入門書のようなものなので、それぞれの宗教の成り立ちや他の宗教との関わり、お互いへの影響、時代背景など。内容としては簡単なものなんだけど、読み返すたびに、本としてとても優れていると感じる。文章から、著者から、一つ一つの宗教にたいしての尊敬と愛情と理解、そしてその理解が傲慢なものにならないよう、常に配慮されている様子が伝わってくる。惜しみない知性で祝福している。愛について書かれたものではないのに、読み終えたあとで私は、愛を見たような気分に。どのような宗教であっても美しい教えは確かにあって、祈りの仕草には人間のために用意された愛のようなものがあって。だから私は、この本は宗教の本質についてとても正確に書かれているのではないかとそう、感動する。そこに愛は確かにあって、この仕草で私はそれを祝福する、これ以上の喜びが他にあるだろうか。

10/9

午前

昔から「話が飛ぶ」と言われるので気をつけてはいるんだけど、話は飛ぶ。「君は突然〝答えは10だぞ〟って言うけど、それって5+5?15-5?ただの10?てかなんの答え?ってこっちは思うよ、こっちはどうなってそうなったのかを知りたいんだよ」と友人。返す言葉もないけど、答えは間違いなく10だぞ。

午後

「好きです」って言われると「それってどういう好き?(あなた自身がその〝感情〟を深く理解し、説明することで強化し、絶対に壊れないものにして欲しい。壊れたとしても、その構造を理解していれば組み直すことが出来る。確かにパーツが壊れてしまえば終わる。だけど、好きという強い〝感情〟があれば、新しいパーツを作り出すことも可能ではないか、それは最初のものよりずっと素晴らしいものではないか。私に差し出す好きは感情で良い、ただ、あなたの手元に残る好きは、感情が構築するもう一つの好きであって欲しい。そして、私はあなたにそれをあげたいと思っている。あなたが理解し、構築した好きは、あなたのものであって、私には知ることが出来ない。見ることも、触れることも出来ない。だけど、それは確かに私のものだ)」ってなるんだけど多分、伝わっていない。

10/10

午前

「金魚はおさかなの中でも、何時も燃えているようなおさかななのよ、からだの中まで真紅なのよ。」
「何故そんなにさかなのくせに、燃えなければならないんだ。」
「燃えているから、おじさまに好かれているんじゃないの。」

友人は「結局自分はファム・ファタールみたいなものを求めてしまっているんだよ、人生を破壊されたい」と言う。私は「そのように表面化された願いを聞こうと思うファム・ファタールはいないのではないか?」と思った。彼女らがなんなのかはわからないが「破壊されたい」と願う男に「わかりました」と寄り添って全てを壊すのなら、それはただの良い娘では?従順な良い娘。だからね、あなたのファム・ファタールは多分、人生を破壊されたいとか言ってはしゃいでいるあなたに「でも私はあなたの人生も大切にしたい」とそう言って、風で揺れる炎にそっと手を添えてくれるような、そういう優しい女の子だと思いますよ。あなたの願いなんて一つも聞かず、あなたの人生を壊れないように守る、そういう女の子が〝あなたのファム・ファタール〟では。あなたが願うことも出来ずにいる〝本当の願い〟を叶える、あなたが求めているのは、そういう悪い女では?

午後

ヌテラ、好きだ、愛している、結婚してくれ。

10/12

午前

兄は恋人のワガママをなんでも聞いて、甘やかし、それで突然限界がきて「別れて欲しい」と切り出すタイプだ。これまでも何度もそうして恋人と別れている。別れを切り出された相手は、ただただ驚いた様子だという。私はその話を聞かされるたびに、「なぜ言語を使わない?」と思う。話し合えば済む話では?何の問題がある?話し合うという最も簡単で確実な方法があるのに、なぜそれを一番に試さない?誰だって不満を口にするのは苦しい、この関係は完璧でないと言っているようで苦しい、相手のワガママを聞くよりずっと苦しい。相手が好きならそれをやってあげなよ。完璧な相手になろうとするな、そんなことをするから、完璧な相手を求めるようになる。

午後

人生でいちばん〝軽くあしらわれた〟瞬間が、人生でいちばんエロかったという話をします。彼は、私の恋人の大学の先輩だった。その酷くリラックスした知性に、私は完全にやられていたし、絶対に彼が欲しいと思っていた。恋人も彼をとても慕っていて、二人で何度も彼の家に遊びに行った。彼は何もかも気づいていた。恋人が席を外したとき、私は彼に好きだと声をかけた。本当はもっとずるい言い方をした。彼は何も言わずにどんどん近づいてきて、私を壁まで追いやると腕を掴んだ。それで「彼氏と別れたらおいで」と笑った。ああ、もう絶対に手に入らないんだと分かった。死ぬほど恥ずかしくて、死ぬほどエロくて、やっぱりぜっっっっったいに欲しかったんだが?????

私は、男性の「大きめの白シャツ、手首には黒い髪ゴム」という様式美を愛している。心から愛しているからな。

夜中

推し、生まれてきてくれてありがとうな。推しがISTJなの死ぬほど刺さる。

10/13

午前

ISTJにたいしてINTPが一方的に関心を持つみたいな話を見かけたことがあるんだけど、わかります。例えば私が家を作るとき、彼らは「コンセントの配置ってどうなってる?考えた?ここと、ここと、ここには絶対に必要だよ」みたいなアドバイスをくれる。そして、私はこのアドバイスを素晴らしいものだと感じる。自分ではまず考えないが、家の機能としてそれは重要であると認めているからだ。一方、私から彼らへのアドバイスは「ここに窓を付けようよ、夜には星が見える、昼には明るさを確保できる。ベッドに横になって見える位置に調整しよう、いつも星が入っている窓だから、名前は星カゴだ」こうだ。そして、返事は大抵「え?ああ、うん、うーん」こうだ。

友人(当時24才)「いいですか?xxさん、恋は戦争ではないんですよ?」私(当時25才)「戦争だぞ、精神を舞台に繰り広げられる陣取だ、一歩も退くな、死ぬぞ」

10/14

午前

心理士「クレオパトラはどんな人物ですか?」私「(エジプトの王)ファラオ」心理士「もう少しありませんか?」私「エジプトの王」心理士「いいですね」私「(ファラオはエジプトの王なんだが、エジプトも王も指しているんだが)」どんな答えが欲しいの。

「ファラオ」一つで「エジプト、王、ファラオ」の三つが伝えられるのに、何が気に入らないんだ?と思ったけど、多分そういうことではない。

午後

母「あんたは鬼じゃない、鬼悪魔よ!」私「ええー?あはは、なんか強そう。お母さんって本当にかわいい」母「もう!」

深夜

「変なの」と言われて、酷く動揺した。完全に気を抜いていた。子供の頃の自分が現れて「変じゃない!変じゃないのに!」と言った。

10/15

午前

甥に絵本を選んでいて思い出したんだけど、考えてみれば、自分が子供の頃に好んで眺めていた絵本は、家の断面図や、街の様子が細部まで描き込まれたもの、図鑑など、完全に視覚優先だ。何かを考える、覚えるとき、聞いた言葉を頭の中で絵に変える。目で見えるようにする。例えば、

ホーリズムとは、ある系(システム)全体は、それの部分の算術的総和以上のものである、とする考えのことである。あるいは、全体を部分や要素に還元することはできない、とする立場である。

これを考える、覚えるとき、私は〝うさぎのぬいぐるみ〟に変えて記憶する。ただし、私の理解が正しいかどうかはわからない。ぬいぐるみのパーツ、一つ一つは「かわいい」を(基本的には)生まないが、それらが全て合わさり、完成したとき、全体は「かわいい」を生む。〝これはうさぎのぬいぐるみである〟という事実以上の〝何か〟が生まれる。こういうの大好き。

午後

「そっか、推しは星のモチーフが好きなんだね?かわいいね?」って言いながら推しがアクセサリーを整理する動画を見ている。人としてダメになりそう。

過去のメモに「星のための設計図」とあった。それが擬似的に星を作り出すための設計図なのか、ロケットのそれか、見上げる仕草か、星を地上に下ろすための哲学か、芸術か、音楽か、なんなのか。どれのことを思って、私はそう書いたのか。

友人は「君のそれは王様の要求なんだよ」と言う。私は「私を理解しなくていいし、共感もしなくていい。私はただ、私が考えもしなかった素晴らしい考えを聞きたい」と言った。

10/16

友人「君のそれは王様の要求なんだよ。そうだ、アンノのドキュメンタリーって観た?」私「ああ、観たよ。なんか周りをとんでもない空気にさせてたやつね」友人「それそれ。自分は今、完全にアンノと君が重なってる」私「ええ?私は周りをあんな空気にさせないと思うけど?」友人「彼はまあ〝自分が考えもしない良い考えを聞きたい、でもお前らには、どれがそれか分からないだろうから、思いついたものは全部言ってこい〟みたいな感じなんだよ。君のそれだよ」私「それはそうじゃない?自分と似たような考えなら、自分の考えの方が良いに決まってる、そんなのいらないじゃん」友人「今ここ、とんでもない空気になってますけど?????」

10/17

午前

私は、罪にたいして鈍感で、罰にたいしては敏感だ。

午後

推しの金髪が見たい、推しの金髪が見たい、推しの金髪が見たい(願い)

10/18

午前

男「外し方が決まっていて、これは〝重ねて捻る〟ほら外れた」私「方法を知っていれば出来るってこと?それって面白いの?」男「そういうの好きでしょ?〝その方法以外では絶対に外れない〟でも〝その方法を知っていれば簡単に外せる〟」私「大好き」

午後

私も、ロジックはマジックでなければと思っています。それは常に人々を驚かせる、素敵なものであって欲しい。手を開くと花が現れる。私はあなたの気を引いて、あなたの知らぬ間に、確かに仕掛けておいた。魔法などではない、呆れるほど人間の方法だけど、手を開くと花が溢れる。最後には誰かに花を差し出すとそう、約束して欲しい。そのためのものであって欲しい。

文豪の恋文が公表されてしまうの大好きすぎる。死ぬほど笑えて、死ぬほど愛しい。

僕のやってゐる商売は、今の日本で、一番金にならない商売です。その上、僕自身も、碌に金はありません。ですから、生活の程度から云へば、何時までたっても知れたものです。それから、僕は、からだも、あたまもあまり上等に出来上がってゐません(あたまの方は、それでも、まだ少しは自信があります)。うちには父、母、叔母と、としよりが三人ゐます。それでよければ来て下さい。僕には、文ちゃん自身の口から、かざり気のない返事を聞きたいと思ってゐます。繰返して書きますが、理由は一つしかありません。僕は文ちゃんが好きです。それでよければ来て下さい。

〝それでよければ来て下さい〟が二度来るの、優しくて、美しくて、頭を抱えている。ぜっっっっったいに文豪と結婚するからな。

10/19

午前

私は何でもやめることが出来る。やめられないのは、始めることだけだ。

午後

全てを差し出されたのなら「一つだけ貰う」と言い、一つ差し出されたのなら「一つも要らない」そして、何一つ差し出されなければ「何もかも全てを奪う」と思う。

何かを思うとき、考えるとき、私はいつも自分に〝もっと自由に〟と言います。

私は「神を否定するにはまず、神を認めなくてはならない(そこに存在しないものを否定することは出来ない)」を、死ぬまで愛していくからな。この美しい構造を、葛藤を、孤独を、死ぬほど愛してやるからな。

10/20

友人に星の話を聞いた。私の星の並びは「強く、賢く、美しい」とのこと。絶対にモテたい。

10/21

午前

「どうして必要以上に他人を傷つけるの?他人の心をそうやって弄んで、どうしてなの?」と母から責められたが、わからない。「ここ」と思うと言葉が出る。心にもない言葉。あなたが使えずにいる、あなたの使いたい言葉。私はあなたの心を使っている。だから、あなたは私を無視することが出来ない。私は、あなたが見たいあなたの姿だから。それでいいじゃん。「必要以上に」馬鹿馬鹿しい。必要な分だけでは満足することなど出来ないのが人間だ。

午後

良心へ。今どこにいる?

夜中

「ねえ、ぼくといて楽しい?本当に?ぼくがxxちゃんにあげられるものってある?何にもなくて不安。xxちゃんは他の人がくれたもので満たされてるんだって思うと死にたくなる。ねえ、何が欲しい?あげられるものなら何でもあげるから」って言われたいので明日も生きます。よろしくな。

10/22

午前

ぐちゃぐちゃになりながらキスする夢を見た。実際の私は、キスにたいして思い入れがないはずなんだけど、夢に見るときはいつも、相手が私の腰を抱いている形だということに気づいて、「本当はそういうのが好きなんだろうか?そうなの?どうだろう、腰を抱かれたいの?欲しがりだな、そうだとしたらなんか嫌なんだけど」と、妙な憂鬱に今、腰を抱かれている。

午後

欲望について。百貨店で小さな陶器の置物を見かけた。一目で気に入ったが、少し迷って家に帰った。翌日、どうしても欲しかったので問い合わせると、一点もので昨日のうちに売れてしまったという。こうなるとどうしても欲しい。結局、百貨店の方から製造元に連絡を取ってもらい、新しく同じものを作ってもらうことになった。フランスで一から作って届くのは三ヶ月後。注文を済ませた日、私の欲望は完全に満たされてしまった。三ヶ月後、私は平気な顔で言う「どうしてこれがそんなに欲しかったのだろう」と。私はこの置物をそれほど愛していない。だけど、〝あの欲望〟の象徴として、死ぬほど愛している。

今日ずっと性欲で喋ってるけど、もう何を話しても「そうだね、うん、いいよ、あはは、うん、わかる、全然いい、大丈夫だよ」みたいになってる。彼氏かな?

ああ、推しか。とりあえず拝んでおくか。

10/23

光について。木は地面に影を作るが、影は地上に木を作らない。私にとって、他人は木で、読書や科学やゲームは影です。影は、様々な要素の重なりで現れるから美しいわけです。でも木の方が良い。他人の方が良い。とはいえ、人間の想像力のせいで、影が木を作ってしまうことはある。ないけどある。きりがない。

10/24

午前

「言ってやりたいと思った〝最後の一言〟だけは絶対に飲み込みなさい、自分のために飲み込みなさい」そう母から教わった。自分と相手の品性のために耐えろということだ。最近になって思うのは、その〝最後の一言〟を、相手にも言わせてはいけないということ。私は、「相手は自分に倣う」と考えている。迷いのない者の前で、人は迷うことをやめる。強い意思が、相手の不安を掴んで支えるからだ。そう信じている。私が動揺すれば相手もそれに倣う。だから私は、自分と相手の品性のために、強くあろうと思う。

午後

推しは他のメンバーより少しだけ身長が低い。オタク(私)はそれ、最高に好きだって思ってる。

深夜

自身を律してみたところで結局、私の本質は「それで、あなたは私に何をくれるの?」であって。死ぬほど傲慢だ。それで、あなたは私に何をくれるの?

10/25

午前

私は自身の色欲を恥じたことはないが、他人から見れば、そうですね、嫌悪の対象なんだろうとは思う。

午後

何かを避けながら、気にしながら、進むことなど出来ない。私は気に入らないものを薙ぎ倒しながら、進みたい方へまっすぐ進む。

10/26

午前

「愛とは?」と聞かれて「難しいから時間が欲しい」と返したんだけど、2023年10月26日現在の愛について、私の考えをここで指しておく。今、私の愛はつまり、関わり方です。「自分と愛」「自分の愛と他人」「自分の愛と他人の愛」自身が愛と仮定したものにたいして、どのように接し、どのように関わるか。その仕草です。仮定した愛が一つ、それにたいする愛でもう一つ深く、強く。お互いがお互いを「ここにある」と証明してみせます。お互いを指しています。そうして、決して一つにはならずに、お互いを支えます。以上が私の愛です。

占いのお姉さんから「あなたの包容力は色っぽい」と言われたので、ぜっっっっったいにモテてやるからな。

椎名林檎がギターを弾いているときの姿勢、死ぬほど好きなんだが。

10/28

好きな男の肩先、鎖骨の終わりをいつまでも見つめていたい。私の存在がいつでも、あなたの中で〝私の不在〟でありますように。「ここにいない」せいで、いつまでも私は「そこにいる」寂しい、会いたい、欲しい、愛しい?キャンディをねだる子供、そうでありますように。愛がどうとかどうでもいいとか、だけど、あなたの鎖骨の終わりに私は、愛を置いている。

他人の感情を目で追ってしまったせいで死ぬほど酔っている。

10/29

午前

「私はハキハキ喋っている」という自認があるんだけど、久しぶりに自分が話している声を聞く機会があり、驚いた。私がモタモタ喋っている。あと少しでも相槌が遅れたら、相手の話すペースを乱してしまいそうだ。

器用になりたいという友人にたいして「器用って取捨選択のセンスだと思うから、何も捨てたくないっていうあなたには無理だと思う」という返信、その痕跡。過去の私へ、もう少し優しく。

午後

もしもし、今どこ?もう着いてる?待ち合わせって、ええ?違うよ。永遠の中にある今じゃなくて、今の中にある永遠で待ってるって言ったじゃん。うん、いいよ。待ってる。

全てはタイミング、とのこと。「そう思ったときにそこにいた」以上に大切なことが、他に?

10/30

午前

2008-08-27 主張する声を並べ音楽、思考する声を束ね文学

君で言葉はアートする

午後

私が他人に使う手は一つだけ。手の内を全て明かすということ。あなたの気を引くためにした10のことを笑って全て打ち明ける。これが11。あなたが気づかない一番強い手になる。

10/31

午前

人間がしてはいけないことなどない、だから法がある。してはいけないことを人間が作り、人間を律している。人間がしてはいけないことなどないが、社会にはある。だから人間は哲学をやる。そうして先へ進む、足踏みなどではないと信じて、人間は何度も、一歩目へ進む。

午後

ただの子供なのに、いつも「勝ちに行け」みたいな昂りがあって、なぜなんだろうと思っていたけど、全ては星の並びのせいでした。勝ち方を知っている、負け方も知っている、だから私は恐れない。本当は誰にでも出来る簡単なことを、声高にやって見せているだけ。恐れずに進む、ただ一つ。傷つくことなど何でもない、どうでもいい「恐れるな進め」私が美しいと思う、ただ一つの勝ち方だ。