一月

1/1

何十年、何百年経っても理論が美しいのは、汚れないのは、神様が側にいて息を吹きかけているからだって私が言ってた。

美しいだけではダメなものが好きだ。椅子と、言葉と、理論。美しいと良いが、美しいだけではダメ。きちんと機能していないと。

今年こそ絶対に文豪と結婚する。それで絶対に「ーーさん、あまり遠くに行ってはいけませんよ?あなたって人は、ずいぶんと大人なのにすぐに迷子になって。まったく世話のやける人だ」って叱られ(愛でられ)てやるからな。

私〝らしくない〟ことなど一つもない。私のすること、言うことは全て、私らしいことだ。私らしくないことも全て、私が〝そうした時点〟で完璧に私らしい。〝あなたらしくない〟とか、何の話。

1/2

「ひらがな」エロくない。「漢字」エロい。「すずき」エロくない。「鈴木」エロい。好きな人のこと漢字で呼んでみようかな。でも、ひらがな、かわいい、あいしてる。

クラフトコーラ、好き、愛してる、喉は痛いんだけど、キスしよう?

1/3

午前

子供の頃から〝死ぬまで眠っていたい〟つまり、死んでしまいたいと思うたびに「もしかしたら今、私の運命の人も同じ瞬間にいるのかもしれない。私たちは同じように〝死んでしまいたい〟と泣き出しそうになっているのかも。それなら絶対に泣かない。私が泣いたら運命の人も泣いてしまう。こんなの全然平気なんだって教えないと」そう思っていた。私が〝冷たい〟とか、何の話。心臓も、心臓から送り出される血液も全て、愛へ向かう、体の隅々まで熱い、私は必ず、あなたへ向かう。それで、わかった。私がなぜ泣かないのか。あなたが私に教えているからだ。私の〝それなら絶対に泣かない〟は、あなたの思い。私へ向かうあなたの

午後

以下、メモです。

運命 ぼんやり 可能性 小さくなれば入れる 今あるものは家、ショッピングセンター、テーマパーク、拡張 大きいままで入れる 人間の意識だけで成立しているもの、神、愛、運命 トックリバチ、巣

以下、メモからまとめたものです。

「運命とか信じるんだ?」と驚かれるが、私は運命を信じている。正確に言えば、〝その可能性〟を愛している。例えば今、ここに確かに存在している(とされている)ものは、家のイメージだ。表札があり、玄関があり、その先にはリビング、キッチン、ベッドルーム、バスルームへと続く。庭にプールもあるかも。生死、スマートフォン、昨夜観た映画、そのようなものたち。家だから当然、私たち人間は身を屈めることなく入ることが出来る。人間のままで入ることが出来る。それが可能性を広げた結果、私たちが得たものだ。自由と呼ぼう。その自由は更なる拡張を続ける。家がショッピングセンターになり、テーマパークになり、一日では回りきれないほどの広さにまで広がる。人工知能、インターネット、そのようなものたち。

では、運命はどうだろうか。人間の意識だけで存在している(と考えられる)もの、神様や愛、そのようなものたち。私はトックリバチの巣をイメージしている。そこに確かに存在しているが、私たち人間は身を屈めても入ることが出来ない。どんなに繊細な仕草をとっても、入るまえに壊してしまう。人間のままでは入ることが出来ない。可能性を広げる必要がある、これまで人間がそうしてきたように、人間が入れる広さにまで広げる必要がある。だけど、と私は思った。その選択は望まれていないような気がしている。運命や、神様や、愛は、その選択を祝福しないのではないか。〝その可能性〟に合わせ、私たちに、小さくなれと言っているのではないか。入り込めるように「考えろ」と。これは意識の話ではない。私たちの意識は、精神は、希望は、肉体に依存している。単純な肉体の話だ。実際に肉体を小さくしろという現実的な話。

運命や、神様や、愛。〝その可能性〟に合わせ、意識を小さく集中させ、実際にそれを「感じる」人たちもいるだろう。巣の中は幸福だった、愛に溢れ、暖かく、豊かで、彼らはそう話して聞かせてくれるかもしれない。だけど、彼らにだって、巣の中にある本棚にどんなタイトルが並んでいたかなんてそんな話は、出来ないはずだ。

運命を信じるだけで、頭の中はこんな調子だ。死ぬまで一緒にいよう?私は〝その可能性〟に、私の全てを捧げるから。

夕方

私から見ると「≠」のふきだしには「断っておくが」とか「言うまでもなく」とか書いてある。ちょっと偉そうでかわいい。

私にはよく考えてもらいたい。運命をトックリバチの巣に例えてはしゃいでいるような人間はおそらく、モテないということを。

深夜

私が一人でトックリバチの巣をつついている間に、みんなは、誰かと笑い合ったり許し合ったり愛し合ったりしている。私が一人で運命とか神様とか愛とか言っている間に、みんなは。これがおそらく私の孤独である、とか言っている間に今度は、海を渡る不思議な蝶を見つけた。

友人から「あなたの言葉でi love youを訳すとどうなる?」と聞かれたとき、私は「ああ〝わからなくていい〟かな」と答えた。全てだ。何でもわかろうとする愚かな私が、愛の前で「わからなくていい」と口にするとき、全てだろうと思う。全てはきっと、その瞬間のためにあって。

「愛を定義することなど出来ない、だから、愛は好きに定義しても良い。どこまでも自由で、どこまでも〝自分〟を要求してくる、厄介なものだ」そう昔の私が話していました。海の中にプールを作るような話、人生を賭けるだけの価値がある話。

1/4

午前

昨日、言葉が止まらなかった。頭が回っている感覚があって、空想の中で次々に現実が構築されてしまう。それは空想であるのに、まるで現実のように繊細で、正確。空想の中に雛などいなかったはずだが、今、タマゴはカチカチ音を立てて揺れている。雛だ。私の周りにはタマゴばかりが転がっている。タマゴの中には雛がいる。空想の中には確かな現実が。私がそれを構築した。だけど、その姿を見たことはない。タマゴが転がっている。人はそれを「空想」と呼ぶ。この殻を割って、雛を取り出した者だけを、人は「天才」と呼ぶ。

だけど、わかって欲しい。その殻ですら、私が構築した現実だ。空想を模している。よく出来ているでしょう。

言葉が止まらないせいで、上手く話すことが出来なかった。頭がきゅるきゅる鳴って、何も説明することが出来ない。「こうで、こうで、つまり、こうです」が出来なくなる。全てを落として口にする言葉は「こうです」だ。これでは他人が困ってしまう。

午後

今、細部を作り、全体も作る、という愛をしている。「細部を作ることで全体を作る」ではない。細部を作り、全体も作る。細部が全体に向かうわけではない。〝同じもの〟として二つが同時に存在している。矛盾している。そういう愛をしている。それがあなたに伝わらなかったとしても、今、私たち二人は〝同じ愛〟のもとに同時に存在している。

考えてみれば、地球は光っていないのか。光ってもいない星に引っ張られて、私は、ここに立っているのか。まあ、光っていたらここにはいないんだけど。あの人をこの星に繋ぎ止めているのは蹠で、ああ、そうか。底から愛せば良いのか。

鳴っている。思考に向いた温度へ意識を下げている。頭の中が涼しい。

今夜

「あの人ってどんな人?」と聞かれても、私は答えられないかもしれない。私があの人から受け取るのは、あくまでも「私への印象」であって、正確に言えば「あの人の印象」ではないからだ。だから「あの人ってどんな人?」と私に聞いたあなたが、知ることになるのは、もちろん私のことだ。あなたは永遠に〝あの人について話している私について〟知ることになる。

深夜

ゆっくりと速度が落ちて、音は鳴り止んだ。冬の中でプールサイドに立っていた。濃紺のコート。その水面を見つめていた。吐く息が白い。冬の中には雪が降っていて、強い風で、それなのに、その水面はぴたりと静止して少しも揺れることがない。私は両手を左右のポケットに押し込んで、震えることも出来ずに、その水面と同じようにぴたりと静止して立っていた。

1/5

午前

母は「その人が〝カラスは白い〟と言ったら、カラスは白いの。黒くても白いの。そう思えない相手ならやめておきなさい」と言った。私は「そうなんだ」と思った。

現在の私「〝カラスは白い〟」

午後

精神的な繋がりについて考えること。

精神的な繋がりにおいて、肉体(欲求)を排除するという考えは、私にはない。そもそも何かを排除した時点で、その関係は脆弱ではないか。

〝精神的な繋がりについて〟の好きな人の見解が素晴らしく「好き、大好き、絶対にあなたが良い」と「なるほど、美しい、それ私が考えつきたかった」で複雑に愛している。

今夜?

以下、メモより抜粋。「彼の時間についての考察」

過去と未来は「今ここに〝ない〟」という意味で同じ。過去と未来を〝同じように〟捉えているのではないか。

時間が先へ進む線のイメージではなく、円のイメージで回る。進まない、回る。昨日と今日と明日が曖昧。線には未だ先(未来)がないが、円には切れ目がなく、先がある。続いている。いや、先も後もないと言うべきか。彼には〝既に未来が存在している〟ようだ。

円の中心に彼がいて、〝同じように〟浮遊している過去と未来を現在(彼)に引っ張っている。星のイメージ。過去と未来は〝現在の彼〟に向かって落ちる。すぐ横にそれがないせいで捉えづらいのかもしれない。

昨日の夜と、今日の夜が〝同じもの〟だとしたら。そもそもなぜ、別の夜だと思っている?〝同じ日〟を何度も繰り返しているだけかもしれない。現実、事実よりも〝その意識〟に意識を向ける。

深夜

ここ数日の反動ですかね、虚無です。コットンキャンディってあるじゃないですか。うん、バスキンロビンスのあれです。あれって食べたことないんですけど、多分ですよ、うん、多分なんだけど、あれを食べればこの虚無を脱することが出来る、そんな気がしますね。

ゲーテが好きな女に贈った詩を読んでいる。詩を贈られない人生に一体何の意味があるのか。「ここに座って。きみのために詩を書いた。聴いてくれる?」を聞くまで私は絶対に死なないからな。

嘘です。本当は「ここに座って。きみのために詩を書いた。聴いてくれる?」そう私が口にしたとき、「遅いよ、ずっと待ってたんだけど?早く聴かせて」と笑ってくれる人が欲しいです。

1/6

午前

うんざりするほど繊細に組んで、完成したのちにパーツを全て外せるか、その物体の終わり、境界線は外側か内側か、終わりを失ってもその形であることを示せるか、崩すときに見たことないパーツを見つけられるか、それを理解できるか、それを探すために組んで崩すのか、何なのか(メモ)

午後

紙で鶴を折ることが出来るのだから、世界だってそうなのではないか。私が見ているのは、折り終えた世界で、〝紙で折った世界〟で、〝世界〟ではない。それは〝紙で折った鶴〟と同じ。紙で折った鶴は「紙、鶴、紙で折った鶴」で出来ている。それでは、世界は。「紙、世界、紙で折った世界」私はまだ、紙と世界を見ていない。

紙とは何か、世界とは何か、こうして自分を折って、私は、何を見せようとしているのか。

ああ、大事なことを忘れていました。〝それを誰が折っているのか〟ですね。もしかして皆、それを神様と呼んでいる?私は全くそう思いません。誰が折っているかなんてどうでもいい。

もっと自由に。

今夜

彼が書いたメモ、足音がする。街と、踏切と、誰かの笑い声。彼の心拍まで聴こえてきそうで、自由で、綺麗だ。私たちは死を持って生まれてきた。幸福と共に母親が抱くのは、小さな命であり、小さな死そのものだ。そのように生まれてきた。彼の足音が生まれる、死よりも早く世界へ溶けて、死を拒んだ。こんなの追いつけないと死は笑って、その笑い声を、私は聴いている。

1/7

午前

「私ってどんな人に見える?」「はっきりしてる」「ああ、意見がはっきりしてるってこと?」「いや、意見はぼんやりしてる〝こうであり、こうでもある〟みたいな。いや、決めてよ、みたいな」「ああ、でもあらゆる物事ってそういう側面があるよ〝こうであり、こうでもある〟」「うん。なんかいつもそうやって、大きなところっていうの?大きなところを見て考えてるけど、それって個人の意見ではないよね?世界の真理みたいな、哲学者みたいなさ」「そうだね、私個人としての意見ではないかも。私から見た物事の仕組みについてって感じだね」「うん、そんな感じ。そんなの聞いてないからね?真理じゃなくて、ーーちゃんの意見を聞いてるんだけど。こっちは〝夜ごはん何がいい?〟くらいの話なんだけど」

個人としての意見。感情や嗜好ということか。確かにそれは前に出ない。「オセロ楽しい」「オセロ好き」「オセロ〝偶然が関与しない〟ゲーム」全て自分の中にあるが、前に出るのは「オセロ〝偶然が関与しない〟ゲーム」だ。

午後

感情なあ。

今夜

あなたが五つの点を打ったとき、五芒星を描ける人間でありたい。目の前に、星と五角形が同時に現れる。あなたが10を望むとき、私は11を与えたい。特別な1を見せたい、それを愛としたい。

中心に現れた五角形に星を描く、その中心にまた描く、永遠にそれを続ける。

私は懐疑的な人間だ。ここにいる理由が〝感情〟だけなんて不安だ。それは海や風や雨と同じ、何も望めやしない。私は感情を思考で補強する、観測する。全てを使い、確かなものを作る。そしてそれが美しければ尚良。それだけの話です。

1/8

クリームソーダの上のサクランボ、私は食べない。いつも食べない。あなたがそれを好きだったら良いなと思う。あなたがサクランボを好きだったら良い。

深夜

私が賭けた方が〝勝つ方〟だって神様も言ってた。

1/9

午前

「きみの言葉には愛情が乗っていない」と言われたことがある。そうだろうと思う。あなたは助手席に愛を乗せてやって来る。だから私の助手席を見て〝どうして〟と思う。助手席にない、愛がない、そう感じる。私はここに来るまで、たくさんの回り道をした。約束の時間に遅れないように、早起きをして、それをした。見せたい仕掛けがある、話を聞いて?上から見て。私の道筋は、あなたに愛を運んで来ている。そうだろうと思う。こういう愛はあまり歓迎されない。でも好きなんだよ、そういう愛が。

午後

何かについて人と話しているとき、「ああ、そう解釈するのか、確かにそうとも考えられる、独特な解釈だな」と思うことが多かったんだけど、最近になって人から「多分、相手の方がそう思ってると思う」と聞かされた。私の解釈は人類の意思なんだが。

それで思い出しました。小学校の授業です。「ーーーを、どう思いますか?」という問い。全員の答えをまとめたものがクラス中に配られたが、私だけが皆と違うことを書いていた。私は「あれ?間違えたかな?」と思った。少し焦りもした。皆が〝その物語の感想〟を話しているとしたら、私は〝その物語(本)の装丁〟について話しているイメージだ。おそらく正しいのは皆です。一人では間違えようがないのに、皆といると突然、〝間違い〟が生まれる。皆って間違いばかりだな。

当然、一人では〝正しい〟も生まれない。私は正しさで自身を罰しない。

夕方

「神様 マーク」で検索した痕跡があるな。

私の最上級の愛は「私の知らないところで生きるな、私の知らないところで死ぬな」です。よければ結婚して欲しい。もしくは神様にして欲しい。

母は、私に何度も言い聞かせた。つまり〝他人の気持ちを分解してはいけない〟ということを。私は、母の言うことを聞かずに〝知りたい〟と夢中になって皮を剥いで肉を切り骨に触れる。他人の気持ちにそんなことをして良い訳がない。理解している。理解しているのに、それを思い出すとき、私はいつも骨を手にしている。言い訳はない。後悔もしない。私はこの骨を大切に愛すると、自分と他人に誓っている。

今夜

ある一つの考え。

1/10

午前

私「あなたの数学ってどれ?〝入り口だけあって、出口を決めて道を書く〟〝入り口だけあって、道を書いて出口を見つける〟〝出口だけあって、入り口を決めて道を書く〟〝出口だけあって、道を書いて入り口を見つける〟〝入り口と出口があって、道を書く〟〝道だけあって、入り口と出口を決める、見つける〟〝それを迷路と呼ぶとして、その迷路全体がどのような形であるかを見る〟〝その迷路が宇宙のどこに置かれているかを見る〟他のものとの関係性を見るとかでもいいな、どれ?組み合わせてもいいし、他にあるなら他でもいい」家族「んー数学は数学だね」私「じゃあ、0を分解するとか、それを他の数で体現するとか」家族「いや、数学は数学」私「答えが強固、数学だね?」

午後

自身の愛についてあなたに話しているとき、私は自身の存在も、あなたの存在も、心地良く感じます。この愛は、私の中にいるより、あなたとの間にいた方が、ずっと自由です。

今夜

大きな1、小さな2、緩い3、固い4、赤い5、青い6、甘い7、辛い8、早い9、遅い10。大きな1と、固い4と、赤い5を足したとき、答えは遅い10ですか。どうですか。

1と3と4と5と7を足したら、大きな赤いゼリーのようなものが出来るな。それがなに?って思うじゃん?これが私の人生です。

推しがへんてこな髪型にされている。絶対に許さないからな。

1/11

占いのお姉さん「性別のない星からきてる。地球にきて性別があることに驚いてる」

性別にこだわりがない。どちらでもいいと思う。明日、肉体が男性に変わったとしても「これが男性の私か」そう思うだけ。女性の肉体に〝女性の私〟が入っているわけではない。ただの〝私〟が入っている。何に入れたって、何も変わらない。

気づいたこと、思ったこと、その不思議を全て、彼の周りに書き留めている。覚書だ。最初の一語から際限なく続けている。次々に分岐して今、彼の周りは文字で埋め尽くされている。私は腕を組んでそれを見つめる、考えている。宇宙の中にいる彼の中にも宇宙があって、その中にまた彼がいて、それが際限なく続いていく。小さくなっていくのか、大きくなっていくのか、わからない。彼がどこにでもいて、どこにもいないのは、際限なく続いている宇宙の、途中の、どの彼を〝彼とするか〟誰にも決められないせいだ。そう考えている宇宙の、途中で、私はふと「字が汚いな」と思った。

ソクラテスに友達がいたかどうか調べた痕跡があるな。

1/12

思考「好きな人にたいして限界まで感情を使ってみるというのはどうだろう?」感情「ねえ、馬鹿なの?私のこと好きなときに呼び出せるのは、毎日毎日〝好きだよ〟とか〝可愛いね〟とか、私に声をかけ続けた人だけなんだけど?好きな人にあげたいなら私のことちゃんと愛して。愛してもいないものをあげるつもり?馬鹿なの?」思考「それはそう、ぐうの音も出ない」

早朝

「ねえ、起きてる?帰りにパイナップルジュース買ってきて欲しい。パイナップルジュース飲みたい」「え、うん、なに?覚えてられない、メモする、4時!!!!!」「うん、4時だよ」「4時に言うこと?」「言わないと忘れちゃうと思って。私のこういうところが好きなんだよね?」「それはそうだね。パイナップルジュースね、あはは、変な人」楽しそうでなにより。

1/13

午前

大人になってわかったことは〝日常〟では「リンゴはおいしい!」に「リンゴはくだもの!」と返してはいけないということです。もちろん「リンゴはおいしい!」に「ブランコはたのしい!」と返すのもいけないことです。基本的な日常において「リンゴはおいしい!」に対応するのは「そうだよね!リンゴはおいしい!」だけです。

追記 

イチゴは野菜とのこと。リンゴへ変更しました。

午後

「リンゴはおいしい」に「リンゴはおいしい」と返すことに何の意味がある?という葛藤がある。リンゴに対応してはいけない、まずは相手に対応しなければ、私は歯を食いしばる。相手に対応した、上手く行ったようだ、それなのに、相手はすぐにリンゴの話をやめてしまった。私の頭の中はもう〝リンゴのこと〟でいっぱいなのに。リンゴと私にたいする酷い裏切りであるとそう、思わないか?

今夜

「リンゴ(果物だったかも)とガソリンの似ているところはどこですか?」と聞かれて「何かを動かすもの、エネルギー。リンゴは人や動物、ガソリンは車やバイクを動かす」と答えたけど、それで良かったのかどうか、わからない。

深夜

私はもう何も願うな。私にだけ願え、全て叶えてやる。

1/14

三島は、ラディゲの〝エレガントな文体〟に強く心惹かれたという。エレガントな文体、そうとしか言いようがない。テーブルに花や皿、ナイフにフォークにスプーン、それからナプキンなんかを綺麗に並べることが出来る作家はたくさんいる。ラディゲは向かいの席に着く。自然に、洒落た仕草で〝ーーーー?〟と話している。彼がテーブルに乗せた手の形が美しい。私たちはそれを見ている。生まれたときから〝そう出来る〟人間の何気ない仕草、手の形が美しい。それを見ている。

今夜

いい大人なのに「わあ、美味しそう、いただきます」と口を開いた瞬間によだれ垂らしたりする。動物の類かな。まあ人間も動物だしな。

私だって他人のメープルシロップに口出ししたい。もっとかけた方が美味しいよ?と言いたい。愛を押し付けたい。一緒にパンケーキとかワッフルとか愛とか、食べよう?

他人のメープルシロップに口出ししてはいけない、覚えた。

1/15

午前

家族から見ると、私が友人と話している様子は、私が相手を〝からかっている〟ように見えるそうだ。「それってーーじゃない?」「さっきはーーって言ってたよね?」言いたいことはわかる。嬉々として問うし。わかるけど、私はからかっているのではなく、相手の意見を補強している。つまりサポートしている。自身が常に自身にたいしてしていることを、相手にしているだけ。私が気づくような綻びなら、誰でも気づく、誰にも壊されないように補強してあげたい。それで私が壊してしまうという、これはジレンマの話です。

午後

「あなたの思い通りになるのは嫌」と言われたので、自由を提示したところ、それも「嫌」とのこと。それはそう。私が提示した自由を手に取れば、それは〝私の思い通り〟だから。どうしたって私の思い通りになる。自分ではどうしようもない。そうなっている。あなたが選んで。私は会いたいのに。どちらにする?選んだ方にも、選ばなかった方にも、私がいる。どちらにしようかな、だって全て、神様の言う通り。

今夜

「誰かいますか」ドアの向こうにそう問いかけて「誰もいません」との返事。これを「いるじゃん」とするのは簡単な話で、夢のない話で、私が愛さない話で。

1/16

午前

頭の中、どうなってる?と聞かれて考えた。磁石だ。11月にも思考について同じようなことを書いていた。何かを理解するとき、組めると確信したとき、それまで好き勝手に存在していたパーツが磁石に変わる。選ばれたものは一気に引き合い、一斉に集まる。その理解が赤ならば、そのパーツは〝何色であっても〟赤に変わる。性質が変わる。人間の重要なエレメントの一つ、変化、私が思考や理解に死ぬほど夢中なる理由。

組み上がったそれはまた〝一つのパーツ〟になる。赤いパーツになって、引き合うときを待っている。

午後

私にとって重要なのは「泳ぎ方を知っていること」であって「早く泳ぐこと」には興味がない。とはいえ、他人にたいして「泳ぎ方を知っている」と口にするときには、努力に努力を重ね「早く泳ぐ」ことになる。他人は大抵〝早く泳ぐことが出来る人〟を〝泳ぎ方を知っている人〟と認めるからだ。この状態をなんて言うか知ってる?だるいって言う。だるいことはしない。私は口を閉ざしている。

1/17

死ぬほど欲望を噛んだ。

1/18

どれを選んでも不正解になるような、そもそも〝正解がない〟ような瞬間に、私は、ーーーを呼ぶ自分の声を聴いた。良いも悪いも失って、ふと、したことのないことをしてみようと思う。これを人類は〝希望〟と呼ぶ。私はどのようなときにも希望を優先する。神様はこれを祝福する。だって同一だから。あなたが私を呼んで、私があなたを呼んで、私はあなたの声を使って神様を呼ぶ。あなたは私の声を

いらないと思ったものを持っていられない。

「ねえ、ぼくのこともいらなくなったら捨てるの?嫌だ!いらなくても持ってて!捨てないで!ーーちゃんがいらなくてもぼくはいるからね。あ、これは〝居る〟と〝要る〟のダブルミーニングだからね?」って言われたいので明日も生きます。

誕生石の話、禁止な?こっちは十二ヶ月の中で最も「なにそれ」みたいな石を割り振られている、絶対に禁止な?

1/19

彼の願いは、シンプルで優しくて美しい。それは私が〝愛していること〟そのもので、だから、わかるでしょう?彼が私にそれを願えば、互いの中に、同じ意識を持った永遠が生まれる。

1/20

私「私のことどれくらい好き?」家族「一番好きだよ」私「いちばんって何?人の中でいちばん?森羅万象の中でいちばん?」家族「一番は一番だよ。一つしかないでしょ、森羅万象の中で一番。ーーちゃんの一番はいくつもあるの?」私「え?」家族「おや、これは一番を使い分けているな」私「えへへ」

過去に書いた文章「あれ?ここって」そう思って触ると、全てがバラバラに崩れてしまう。それで「ああ、ここはそこにかかっているのか、違和感を作ってあるのか」と気づく。過去の私が〝触るな〟と言っている。私が触ることに気づいている、仕掛けてある。触ると気づく〝触るな〟私と遊んでくれる。

「彼氏と別れて」と言われても大抵は別れない。でも「彼氏と別れて」と言われないのは嫌だし「彼氏とも仲良くして」と言われると「じゃあ、あなたとは別れようかな」と思う。わがままだから。

〝話し合う〟以上の愛情表現なんてあるのかな。そもそも私は誰とも話し合わない。自身で何でも考えて決める。だから話し合う以上の愛情表現なんて

今もらえないものは一生もらえないだろうと思う。今くれないなら一生いらない。

□→□

例えば、恋人とジェンガをしようとする、私はこう考える。「抜いたパーツをすぐ隣に積んでジェンガを再生したいな〝二人によってジェンガは少し移動したのであった〟をしたいな」私は抜いたパーツをジェンガのすぐ隣に置いた。私が求めているのは〝同じことを考えていた〟ではない。もちろん同じなら嬉しいが、ただ「なんでそんなことするの」と呆れないでいて欲しいだけであって。

深夜

二人の肉体は、自切した尻尾のようだと思った。二人は個体の生存のために自切し、尻尾で愛し合う。もちろん個体でも愛し合う。個体は精神そのものだ。個体で愛について語り合い、許し合い、そうしている間に、尻尾はただ欲望のままに求め合う。

素晴らしいと思う。だけど、私はきっとこう考える。「なにもかもしたい」精神には肉体があり、肉体には精神がある。切り離すことなど出来ないのだと、切り落としたときに痛いほど理解する。二人は個体で求め合い、もうそんなことをする必要はないのに、自切を続ける。尻尾は愛について語り合い、許し合い、そうしている間に、二人はただ自由のもとで愛し合う。

1/21

月について話すとき、私の言葉はきちんと月の形になっているか、そんなことばかり考えている。

美しいものが好きだ。その最たるものが君だ。

心に手を入れて、体に、頭に手を入れて、心を、体を、頭を、あなたの全てを、手に入れる。

中学の国語だったと思うが「物語を読んだ感想を絵にする」という授業があった。どのような絵を描いたか、よく覚えている。鳥籠の中に森が閉じ込められている。鳥籠の周りは夜のように暗く、暗闇の中で、その小さな森だけがきらきらと明るい。籠の森にはたくさんの蝶、きらきらと美しい蝶。〝少年の日の思い出〟暗闇の中で、痛みだけがきらきらと眩しい。

1/22

何か特別なもの。〝夜なのに明るい〟とか、そういうの。

心が重いとき、体の中をソーダ水でいっぱいにする。踵から頭へ泡があがる、青とか緑のソーダ水。

1/23

無数に残された折り目を見て考えている。一体、何が折られていたのか。これが私の人生です。

私の支配は、暴力や恐怖を支持していない。それらは弱い。期待、希望、感動、人間を真から動かすもの。私は先に与え、喜びの中で、より多くを奪う。あなたが差し出し、もう何も、誰にも〝奪われることがない〟幸せの中で、より多くを得る。

1/24

他人の感情はわからないが、構造はわかっている。何を言えばいいのか、子供の頃から知っていた。

「悪意がないから良い」と言われる。確かに私に悪意はない。完璧に〝それ〟をしている。完璧に〝悪意がない〟をしている。それだけのことです。

ねじってとめるだけで不思議な輪は完成する。他人にそれを見せることに完全に飽きている。

どうして他人は私にそれを見せてくれないんだろう。

良い「どうして」と、良くない「どうして」が、あります。

「君は全てを愛すって言うけど、全てを愛すってことは、僕が全てを見せなきゃいけない。それって怖いよ」と言われたことを思い出している。私の〝そういうところ〟を好きになったのに、なぜ、いつも最後にはみんな、私のそういうところを拒むのか。

恐れるな、進め。そんなに難しいことかな。

何か面白いこと。〝夢なのに覚めない〟とか、そういうの。

〝飴なのに溶けない〟と、迷った。

ああ、私は〝その性質に反する〟をしたいのか。

私と話していると「責められているような気分になる」と責められて、こういうのが人間の面白いところだよなと思った。

私は矛盾を許さないわけではない。「その性質に矛盾を含んでいるもの」の矛盾は許している。矛盾することに矛盾がないからだ。〝許さないわけではない〟まだ矛盾がないものしか許していない。矛盾するでしょう?許している。

1/25

家族「ーーちゃんって、何も覚えてないよね」私「そうかな?」家族「そうだよ、今のことしか考えてない。過去に興味がなくて、未来に不安がない。ぼく、今日休みだって言ったよね?覚えてないでしょ?」私「今、思い出した」

例えば、彼女が黒地に白い花柄のワンピースを着ていたとする。私の記憶は「彼女は黒地に白い花柄のワンピースを着ていた」ではなく、黒地は色へ、花柄は花へ、ワンピースは服へ、重要なのは「彼女は私と会った」になる。

あなたが「彼女は僕を愛している」と感じるとき、確かに、私から分離した無数の〝要素〟が、そこかしこに、存在しているはずだ。

もしかして、私が他人からの愛を感じづらいのは、要素が足りていないせい?死ぬほど複雑に組みたがるから必要な要素が多いのかもしれない。つまり、私のせいだな?

1000のパーツで組んで、1になるまでパーツを外す。〝印象〟が壊れることのないよう注意する。この1は、1000を含んだ1になる。私は999のパーツで組んで、1になるまでパーツを外す。998、997、996、それを繰り返す。最後の1になったとき、この1は、何もかも全てを含んだ愛になる。

「愛されるはずがない」という思いと「愛されなければならない」という思いがあって、それらは当然、幼少期の〝愛への飢餓〟に起因するものだろう。それで、私はいつも、相手への完璧な支配を望んだ。不安だからだ。愛されるはずがない、だけど、愛されなければならない「もう私以外のものは見なくていい」凍えた指で相手の腕を掴んでいた。

もちろん、私に純粋な支配欲があることは事実だ。それは〝他人に支配されないために他人を支配する〟ではなく、単純に〝そうできるからそうする〟それだけのこと。この欲は、決して他人の前で膝を折ることがない。

私は、その対象の前でいつも膝を折っていた。「私に支配させてください」と願っていた。彼らが、私以外のものを見ると不安になった。そして言う「それならいらない」馬鹿馬鹿しい。私は、本来の自分を思い出して欲しい。他人の愛ではなく、それを欲するのではなく、自分の愛を思い出して欲しい。何かを考えるとき〝例えば〟と口にするとき、私はいつもリンゴを掴む。モモでもブドウでもサクランボでもいいのに、手にするのはいつもリンゴだ。愛しているから。私は、私を信じて欲しい。

もう一方では激しく鳴っている。「ああ、全てを壊せばいいのか。なぜ相手に問う?問うから迷う。もう私以外のものは見れないようにすればいい」そう呻いている。何もかも全てを含んで、どちらを選んだとしても、この1は

最初の1と最後の1、どちらがいい?最初の1は一度も傷ついたことがない1。999個の希望を受けた1。最後の1は何度も傷ついてきた1。999度の喪失、何度も再生して、一度も絶望しなかった1。私はこれも希望と呼ぶ。だから、どちらを選んだとしても

何か知的好奇心を刺激するもの。〝指で触れると溶ける音〟とか、そういうの。

ねえねえ、心拍に合わせて歌って?

1/26

〝頭から離れない〟欲しいのはそれだけ。

0をゼロで示すにはどうしたらいいの。0は1つの数字、ゼロは2つの文字。0はどこにあるの、あるの?〝ない〟という言葉が〝ある〟あなたは私ではない、本当にそう?

好きな人のことを傷つけないように、壊さないように気をつけているけど、私の距離感と力加減がおばかさんすぎる。調整して、機能して。そもそもその機能あるの?

踏み出したら一歩も引かない。

記憶について。記憶が海を〝私の海〟に変える。記憶になければ、海はいつまでも海のままだ。もちろん、それは美しい。だけど、誰が聞きたいと思う?海が美しいことなどもう知っている。〝あなたの海〟の話を聞かせて。記憶が全てを〝私の物〟に変える。私の世界について。私は、私が見つめる全てに敬意を、そして記憶を。

以下、メモより抜粋。「彼の直感についての考察」

私の直感 1、過去の記憶 2、要素 3、重なり←直感する 分解可能

彼の直感 1、過去の記憶(名前がない) 2、重なり←直感する

おそらく私と同じことをしているが、要素を認識していない(名前がない)可能性が高い。そのため自身で分解することが出来ない。〝なぜそうなるのか〟気にならないようだ。要素がない分、私よりかなり早く多く直感する。精度に優劣はないだろう。

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私の最上級の甘えは「なんか食べたい、なんか食べさせて」です。

はじめて彼を抱きしめたとき「ああ、ホットケーキの上のバターってこんな感じかな」と思った。私は溶けて無くなるけど、私が消えて無くなるわけではない。むしろ、溶ける前よりずっと、強く香って〝ここにいる〟と、そう知らせている。

一度でも快楽に開けば、脳は決してそれを忘れない。何度も〝それ〟を再現する。開き方を覚えている、脳が覚えている。あなたも、私に、開いて。何度も何度も何度も。あなたの鼻先で香りが、耳元で声が、口元で唇が、私が、体温が、再現される。何度も何度も何度も。

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午後

過去に気を取られていると今が欠ける。この今が過去になる。欠けた過去に気を取られ、また今が欠ける、繰り返す。馬鹿馬鹿しいと思う。

私は今にいる。

時間と視覚について。砂が落ちるまでの三分間、水が溜まるまでの三分間、火が消えるまで、日が暮れるまで、眺めている時の三分間。時間は三分間を、視覚は〝時間の実感〟を構築する。

今日の三分間はまるで永遠のようなので〝時間を眺めている時の三分間〟とします。

他人に生かしてもらうために〝出来るだけ何も出来ない方が良い〟と思って過ごしてきた。私が運転免許を持っていれば、いつか「どうして運転してくれないの?いつも自分ばかり運転している」と不満が生まれる。それがわかる。だから〝これしか出来ない〟そして〝これ〟が、その人にとって宝石のように美しいこと。それを気にかけてきた。

今夜

何かもちもちしたもの。もちかな?

私はなぜ、デートで現地集合を希望するのか。

母親から「嫌われたくない、嫌いにならないで」と懇願されたことがある?私はある。彼女に私は強すぎた。可哀想に。だから死ぬほど愛していた。

少し反省してみます。

ゴッホゴーギャンの関係が大好きすぎて、解説に〝二人の関係について〟を見つけるたびに「好き、大好き、愛してる、これが見たくて来ました」とニコニコになる。

「きみのために詩を書いた、聴いてくれる?」はまだないんだけど、「きみのために曲を作った、聴いてくれる?」はあって、私の〝あはは、なんで撮ってるの?ねえ、なんで?あはは〟という声から始まって、そのあとはなんかずっとピコピコきらきらしてた。

ぱんとあんのバランス、探っていきたい。

深夜

プラネタリウムが好きなんだけど、毎回「暗いな?温いな?眠いな?」で全く集中できない。

彼の神様はどういう形をしているんだろう。夜は眠るのかな。朝はパン?ジャムは欲しい?彼が私とキスをしているとき、どこにいるんだろう。つかまえて深く刺す。

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例えば、彼女の髪に飾られた赤いリボンを見て「赤いリボン。青いリボン、黒いリボン、白いリボンはある?どこにある?」と〝今ここにないものを探す〟このような思考の広がりはおそらく、あまり良くないんだろうなと思う。私にとっては良いが、彼女と、赤いリボンにとっては良くない。

「話、聞いてる?」この人生で何度も聞かれた。聞いてる、聞こえていないだけで、聞いてるよ。

興味について。例えば、共感覚〝音に色を見ます〟これにたいしては「そうだろうね、全てが脳の中の出来事だ」としか思わない。だけど、もしこれが〝音に色を見る者は皆、同じ音に同じ色を見ます〟だったとしたら。私は死ぬほど問い始めるだろう。

相手が私のせいで病んでいる姿を見ると、死ぬほど愛しいと感じてしまう。性癖かな。

私は、あなたの好きな星にも、あなたと星を眺めることにも、〝まだ〟興味がない。私はあなたの夜空に星を生みたい。昨日まではなかった星、新しい概念。

新しい星は、あなたの〝いちばん好きな星〟になる。私は、あなたとその星を眺める。

つまり、どこもかしこも四六時中なにもかも〝私〟ということになる。

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正直なところ、私は自身をワガママだと思ったことは一度もない。

深く潜っていく、浮上の酸素は考えない。

元彼「きみのワガママは本当にワガママだ。〝あれして欲しいこれして欲しい〟なんてかわいいものだ。きみは何も言わない。何も言わないで〝何をしてくれるか〟を見てる。そうでしょ?言ってよ、何でもするのに」私「かわいい」

私は、彼にたいして精神的な繋がりを感じている。同じ場所を知っている、その場所に行くことができる、来ることができる。そこで話をしている。その場所と時間を、精神的な繋がりだと感じている。いつも繋がっているわけではないのに、その場所にいるときには〝いつも繋がっている〟と感じる。一瞬が、多くの時間に影響を与えている。その一瞬だけが、全ての時間を見せてくれる。

アップルパイの横には絶対にアイスクリームがあって欲しい。

今夜

以下、理想的な世界です。

「ねえねえ、それって恐竜の骨?」「そうだと思う、それを調べるために掘ってる」「ねえねえ」「なにかな」「ふわふわの恐竜がいたかもって聞いた。知ってる?」「ふわふわ?え?ふわふわってふわふわ?え?ふわふわ恐竜ってこと?」「うん、ふわふわ恐竜」「知らない、想像してみる」「うん、代わりに掘っておくね」「ふわふわ恐竜、ふわふわ、ふわふわ恐竜」「ねえ!もう夜だけど?ねえ!おなか空いてるけど?」「ふわふ・・・あ、ごめん」「うちでごはん食べる?来てもいいよ、来て?」「うん、行く、ふわふわ恐竜」「あはは、行くよ?」

深夜

全ての文学、音楽、映画、芸術、快楽を、あなたの感想で鑑賞したい。

私は自身がどのような人間であるかを知っている。ブレーキがない。だからエンジンはかけない。〝動かしてはいけないもの〟を、両手で押して動かし続けている。

「一緒に死のう」そう約束をして、お互いのからだを紐で結んで海へ落ちる。私はナイフを隠している。あなたもそうであって欲しい。だけど、あなたは絶対にナイフを出さないで。私がナイフで紐を切って、自分とあなたを助ける姿を見ていて。もし、私がそれを出来ずにいたら、迷っていたら、あなたがそれをして。自分と私を助けて。「一緒に生きよう」と言えなかった弱さを悔やんで、それで一緒に生きて。

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母「頭が良いのに、どうして〝あんな人〟のことを信じて罪を犯してしまったんだろうね」私「頭が良いせいでは?〝私は神だ〟と言われたとき、頭が良ければ神を分解(理解)出来てしまう可能性が高いよ。あなたが神を名乗るには何か理由があるはずだって。空っぽの入れ物に〝自分の知性で〟神を詰めてしまう。神を名乗る人に自分(知性)を詰め込んでしまう。そうなると離れるのは難しいのでは?だってそれはもう〝自分の作った神〟なんだもん。自分からは離れられないよ」母「あんたって詐欺師みたい」

ねえ、こっちに来て?私に神を詰めて。

自分の中に〝相手の神を詰められる場所を持っておく〟というのは良いかもしれない。それは愛に近い行為、もしくは愛をよく模した行為、となるかもしれない。

魂がジェラートを呼んでいる。

「同じように切っても、きっと同じ痛みではない。意味がない。あなたは切らなくていい」「ぼく、そこまでバカじゃない。そんなのわかってる。ーーちゃんと同じがいいだけ。本当のことなんてわからない、でも、どうせわからないなら嘘でも同じがいい。同じ嘘で、同じ嘘の傷を持ちたい」って言われたいので明日も生きます。

ホットケーキにアイスクリームを乗せてくれる人、好き。

鎌倉プリンスホテルの建物とプールの雰囲気、好き。

好きな人と六月の箱根で旅館にこもって死にたくなりながら死ぬほどセックスしたい。

「いやいやしないで」って私は言うけど、あなたが〝いやいや〟ってすると、好きがあふれる。私は好きでいっぱいになる。「こんなに好きなのにどうして」って追いかけ回したくなる。だから、あなたは一生〝いやいや〟しててもいいよ。

一月


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