四月

4/1

私に答えて欲しい。何を答えとしても〝間違いにはならない〟問いの中で、あなたが最も美しいと思う方法を、私に試して。それでいつか、答えを見つけて。それは〝正しいあなた〟ではなく〝あなたが信じたあなた〟で、それが私が望む唯一の〝最も美しい答え〟であって。

4/2

あなたの「どうして僕を愛すの?」という問いに、私は昨日のうちに答えていたようです。〝間違いにはならない〟問いの中で私は、あなたに、最も美しいと思う方法を試している。その羽は青にも紫にも見える、その色を言葉にすることは出来ない。頭の中にある色をあなたに映して、私は探している。あなたが首を振ると映した色があなたから落ちる、ずいぶんと酷いことをする、あなたは私が見つける瞬間を見たい、私は頭を離れて胸の中を探す。「どうして僕を愛すの?」私にとってあなたが〝最も美しい問い〟だからだ。

4/3

快楽について。幼い頃から〝性的な快楽〟に抵抗がなく、むしろ、それが常に「いけないこと」であったために、五つ、六つ、七つ、八つ、九つと、幼いからこそ、その背徳、その官能の虜だった。今の私はどうだ、何一つ禁じていない、この怠惰。人は〝ここにあるもの〟を禁じる。そして、ここにあるものを禁じられたとき、人は初めて、それに背くことが出来る。背くために禁じる。彼を見ていると、その頑なさに、私は〝性的に高揚〟する。私が失ったものを彼は持っていて、私はそれを失う快楽も知っている。あなたはここにあるものを禁じる。あなたが自身に禁じることで、あなたは私にも〝それ〟を禁じることになる。あなたが「いけない」と悩むことで、私たちはより多くの快楽を得る〝その可能性〟を得ることに。

過去に〝死ぬほど好きだった人〟が一人いるが、彼は何座だったんだろうか。双子座だった。知らなかった。死ぬほど好きだったのになぜ、星座を知らない?なぜ興味を持たなかった?〝死ぬほど好き〟とは一体、なんだろうか。最も良いイメージをくれた、それだけではないか。良いイメージに必要なのは相手の知性だけで、星座も、約束も、セックスも必要ない。それは確かに美しく、だから私に〝死ぬほど〟と言わせる。知性にそう言わされている。知性が〝必要ない〟と排除したものの中に星空があって、誓いがあって、愛があるのではないか。今、私は一体〝何に〟そう言わされているのだろうか。

4/4

あらゆる物語に。

4/5

誰が触れても音は鳴る。それが楽器の性質だからだ。学べば誰でも弾ける。だけど、音楽は違う。私はそれをしようと言っている。あなたへの反応をもっと素直に感じて。あなたが起こした音、指から耳へ、あなたがしていることに、あなた自身が喜んで。あなたが触れる、あなたが弾く、指が音になって、ただ一つの音楽が生まれる。

あなたは自身を〝なんでもない〟と言う。だから私には足りないとそう口にする。あなたがダイヤなら指輪に、小石ならペーパーウェイトにする。あなたが蝶なら研究者に、言葉なら哲学者に、月なら宇宙飛行士で、灰なら水曜日になる。それだけ。私はあなたで思考する、何が足りない?知で満ちている。

4/6

〝言葉なら哲学者に〟と書きましたが「思想なら、苦悩なら、疑問なら、理解なら、幸福なら」そう次々に迷って、頭を抱えました。結局のところ、それらを伝えるには〝言葉〟が必要で、つまりはそういう話です。

花瓶に花壇を挿そうとしている。私のわがままはそういうものだ。花を摘んで花瓶に挿せばいい、庭に出て花壇を眺めればいい、わかっている。私は花を美しく見せている全て、その全てを花瓶に挿したい、それだけなのに。そんなことを花は望みはしない、そうわかっているのに。

4/7

砂時計は視覚化された時間で、その砂が落ちていく様子は視覚化された重力だ。私は人間で、視覚化された時間であって、その命が果てていく様子は

なんだと思う?私は人間で、だから、その様子を〝視覚化された永遠〟にしたい。矛盾する?そこに愛が現れる。私はそれを待っていた。ずっとずっと。

4/8

教養〝未知への挨拶〟その仕草とする。

「仲良くしよう」何を前にしても、私の一言目がそうでありますように。

水に落ちた石が水面に波紋を作り、遠く離れた水辺で、その波紋を見つけた者が石を描いた。見たこともないのに、確かに石が見える。創造される、神に愛に芸術。人間が見つめるモチーフは一つ〝人間が見ているものについて〟私たちは皆、同じものを見て、別のことをしている。

そしてもちろん〝別のことをしている〟という〝同じこと〟をしているわけです。やれやれ。

4/9

例えば、私が彼の〝クッキー〟だとする。ある日、彼のところへお腹を空かせた誰かがやってきて言った。「それ、欲しいな。それ、すごく美味しそう。ひどい空腹なんだ、食べないと死んでしまうよ」おそらく彼は悩みながらも、その誰かに私を差し出すだろう。そして、私は私で「あげちゃうの?好きじゃないの?慣れちゃった?飽きちゃった?そうなんだ、私を好きではない人に私をあげるわけにはいかない」そう諦めるだろう。〝お互いに好きなのに〟だ。私はこれを避けるために、本来の自分に反しながら、悶えながら「誰かに渡した瞬間に、私はバラバラになって材料に戻ります。それはもう食べることが出来ません、この完成はあなたのためのものです。私を差し出しても、あなたは〝お腹を空かせた誰かに食べ物を与えて助ける〟ことは出来ません」を続けている。

論理的思考は「その答えは正しいのか?」ではなく「その式は美しいのか?」と問うてくるイメージです。私にとっては「1+1=2」も「1+1=234」も同じことです。もちろん後者は間違いですが〝二つの数を合わせた数が=の後ろにあります〟ということです。その答えが間違っていたとしても、答えは〝=の後ろ〟にあります。美しい式は、私に、間違いを与えません。私は、美しい式にたいして、間違えることが出来ません。

4/10

メモ

彼が抵抗を示すのは、それが自身にとって良いもの(だから避けるべきもの)であると感じているせいではないか。つまり、恋愛や快楽やその対象が、彼にとって〝素晴らしいもの〟であればあるほど、その抵抗は強くなる。〝それ〟を、自分自身を〝保ったまま〟受け入れることは難しいと判断したせいか。自身を脅かすものにたいする本能的な拒絶、生存本能による反射的なーーーーカゲロウはその命の短さゆえに口を持たない。〝より〟生きるために〝口を閉じた〟虫。ブラインドケーブは目の代わりに他のものを得た。〝より〟生きるために〝目を閉じた〟魚。環境に、自身に適応し、完成した生物。彼の完成はどこに?恋愛や快楽にたいする違和感はそのまま、生殖への違和感である可能性が高い。生まれてたきたこと、根本への不信感、自身の生命、その理由への違和感。しかし、なぜ恋愛や快楽が?単純にセックスを連想させるせいだろうか。快楽やセックスへの嫌悪は大変に人間的、道徳的、社会的な感覚だ。社会は〝いけないこと〟を作ることで個人の無意識に折り目をつけていく。制御し、操作する。個人に同じ折り目をつけ、全員を同じような人間にしようとする。個人の喪失。しかし、全ては無意識の中の出来事だ、個人はそれを意識することが出来ない。彼は人間に適応し、快楽を閉じたか?思うのだが、それを「必要ない」と閉じたように、それが「必要」であれば当然、開くのではないか。私は今、彼が閉じた瞼に爪先を差し込んでいる。私の指が開けられなかったものなどない、であれば当然、開くのではないか。

4/11

〝愛してる〟と〝殺す〟がいつも一緒にいる。仲良し。

他人を所有することなど出来ないはずなのに、私はなぜ「彼は〝はじめから〟私のもの」だと感じるのでしょうか。恋でしょうか。

文豪の押し花が見つかったじゃないですか。台紙に日付の入った押し花が「I love you!」と書かれたページに挟まれていたとか。そして、その本を文豪は好きな女に貸したのではないかと、そういう話。花言葉まで恋で香って、選んだのはフランス文学で。わざわざ日付を入れるなんて、私なら絶対に〝貴女と会った日〟に摘んだ花にする。ねえねえ、あなたもそうした?

4/12

私は自身を開示することで「〝知っていること〟を〝知ること〟は出来ない」を体現するところがあります。そのバラは赤いです、あなたはそれを知っています。あなたはもう、それを知ることは出来ません。〝そのバラは赤い〟があなたの胸に飾られています。そして、あなたは〝本当にそのバラは赤いか〟バラが咲くたびに気になるのです。だって知っているから。胸に飾られているから。「知っている」は「持っている」で、あなたのもので、気にせずにいることは難しいのです。この胸のバラは赤いはずだがーーーーあなたは私の全てを知っているはずなのに、なぜだか、まだ知らないことがあるような気がしてくる。確かめたくなる。それはこの〝仕組み〟のせいです。

「知りたい」よりも「確かめたい」がより切実であることを、私は〝知っています〟

退屈には針が付いていて、時間があって、その針は重い、命のように怠い。

4/13

「これ好き、あるだけ買ってきて?」「買ってきたよ」「ありがとう、二つしかなかった?」「三つあった」「なぜ三つ買わなかったの?」「人として?」「人として」「ーーちゃんが一つ、僕が一つ、誰かがもう一つ買えるでしょ」「私は三つとも欲しいんだけど」「ええ」「人として?これは単純な売買の話だよ?私はお金を持っている、店はお菓子を売っている、私は三つ欲しい、誰かって誰?どうして勝手に出てくるの?」「ええ」

もし誰も買わなかったら?もう一つの〝もし〟は無視?

誰かって誰?について 物語の中の人物に食事をご馳走するイメージ 本にステーキを押し付ける 本はステーキを食べない 物語の中の人物は現実には存在しない

4/14

時間の向こうで星が死んで、放たれた、過去の未来である現在から眺める、光

僕は君のことばかり責めて、どこへ行きますか、どこでならば逢えますか

君は僕のことばかり愛して、どこへならば行けますか、どこで会いますか

未来の過去となる現在から放つ、光

眺めている、謎めいていく、時間の揺らぎに星が生まれる

4/15

私の性質と、私の見る夢とが、高揚を以て重なり現実を拒否する。私は性質で家を建てる。私の見る夢はキャンディやチョコレートを集める。私の家は〝お菓子の家〟で、この御伽話はつまり

現在の私に、過去から未来から〝私〟が会いに来てくれるとしたら、私は絶対に〝未来の私〟と会いたい。だけど、わかっている。現在、過去、未来、どこにいたって私は「太陽が死ぬところを見に行く」そう望む。私にすら会いに来ない「永遠に会えないね」どこにいたって私は、私のことなど気にもかけず、私を生きている。

「神様になったらどうする?」「人間を作る、だって人間が過去と神様を作るんだもの。神様は何でも出来るのに、自分を作ることだけは出来ないんだもの」

「その人の夢を見るときは、自分じゃなくて、その人が自分のことを考えているときなんだよ」そう彼が教えてくれた。彼の夢を見た。目覚めた私はすぐに彼の言葉を思い出して笑った。魔法のような言葉。彼の夢を見るたびに、彼が〝きみを思っている〟と伝えてくる。離れていても、話していなくても〝そのような構造〟素晴らしいのは、これから先の全て、その全てを変えてしまったということ。これから先の全て、誰の夢を見ても私は、彼のことを思い出す。魔法のような彼の言葉、そのような構造。

4/16

彼の言う〝合う、合わない〟について考えていた。確かに彼の言う通り「自分が欲しいものをもらえる、相手が欲しいものをあげられる」これは大事なことだ。それによって〝満足することが出来る〟から。不安が少ない状態であるから。私も理解はしている。しているが、感覚として「合ったとして、合わなかったとして、不安がないとして、安心するとして、それがなんだ?天文学者は天体と〝合っている〟の?天体が〝好き〟なのでは?」がある。私のこのような感覚にたいして、彼が〝合わない〟と感じている可能性もある。だけど、それがなんだ?噛み合わないのなら糾えば良い、私はそう言う。

私は〝満足による安心〟ではなく〝発見による感動〟を求めている。私は彼がいるだけで「美しい」となるが、彼はそうではない。

ねえ、なんでわかんないの?あなたが何もくれなくても、私の欲しいものを一つも持っていなくても好きだって、愛してるって言ってるんじゃん、なんでわかんないの?それとも「欲しいものがもらえない」って拗ねてるの?私は満たされるだけでは満たされない、天体をキャンディの包み紙で包みたい、それに意味なんてない、〝もしかして〟が生まれるだけ「これって舐めて良いの?舐めたら甘くて溶けるの?」誰も天体を口にしない、だってキャンディじゃない、だけどもし、キャンディの包み紙に包まれていたら?あなたは私にキャンディの包み紙をくれる、〝もしかして〟私は欲しいものをもらっている?あなたは一人で「不安」って泣くの?泣いてるの?ねえ、泣かないで?大好きだからキャンディあげる、ピンクと水色のかわいい包み紙、私は両手で差し出したけど、〝もしかして〟これって天体かも。

4/17

私の知らないところで勝手に生きないで。

4/18

あなたの言っていることが〝わかる〟耳が突然、その音の〝意味〟を聞き取って、拙い発音で私は、あなたに話し始める。あなたと〝同じ意味〟で話し始める。

確かに彼はずっと〝アップル〟について話していた。私も確かにずっと〝リンゴ〟について話していた。赤くて、丸くて、甘い、ウサギにするよね?パイにもするよね?私たちはお互いに〝同じものについて話している〟ことはわかっていたが、それでも、私にはどうしても〝その果実〟が必要だった。彼に決定的な質問をするために。今夜、彼は月の話をしていた。私はその月を見上げた。木曜が終わりかけた頃、それが突然、月から落ちた。赤くて、丸くて、甘い、その果実。月から落ちてくる、近くほどに鮮やかになる、私は咄嗟に手で掴み、それを彼に差し出した。決定的な質問をするために。私は問う「アップル?」彼は答える「アップル」良かった。これでアップルパイが作れる。

三月

3/1

ねえねえ、

3/2

午前

八月 夏の日差しの中に きみへの言葉を残した 次の八月にはどうぞ 封を切って しまっておいた言葉を聴いて かざした指の間 影として光として届く 宛名はなくとも届く 八月 夏の日差しの中 光として私として きみへ

午後

思考、いつもと違う場所にいる。

3/3

私へ。1の隣が2なら、2の隣は3だね?3の隣が8になるとき、1の隣は2のような〝それ〟を見つけてきて。ちゃんと見つけて、私を喜ばせて。

3/4

午前

〝思考する〟はクッキーを作るイメージ。材料、道具、手順、それはいいとして、出来上がったクッキーは全て同じ味だが、その形によって〝より意味を持つ〟ということ。「クッキー」が「このクッキーは」になる。その意味と、その意味がクッキーに与える印象の変化を見る。基本的に何でもそこを見て、そこを愛す。

その〝部屋〟では人々が十字を切る。そういう話。

午後

彼の頭の中、目に見える宇宙。目を閉じると見える、見えるはずがないのに映る。宇宙船の窓から宇宙へ、手を振る私に、彼が驚いて笑う。そういう夢を見る。

今夜

ゆったりとした知性。

3/5

無くしてしまった過去の日記の再構築をします。パーツはおそらく「宵にコンソメの香り 良い香り 街の切れ目 きみはボウルを手に月を見ている ずっと待っている ぼくはそこへスープを注いで 月はボウルへ落ちた 瞳に月を映して 望めば何でも手に入る 瞳で月を揺らして ぼくはそこへ愛を注いでいる 夜寝にコンソメの香り 良い香り」こんな感じ。

以下、記憶の再構築

街の切れ目 きみはボウルを手に月を見ている ぼくはそこへ金色のスープをそそいで 宵にコンソメの香り 良い香り 美しい人 望めばなんでも手に入る 瞳で月を誘って 恐ろしい人 夜に目配せ もうじき月は落ちてくる 瞳で月を揺らして 街の切れ目 この夜 ボウルに浮かぶ月 ぼくはきみへこの愛をそそいでいる 夜寝にコンソメの香り 好い香り

なぜきちんと日記を残しておかない?と思ったが、私はいつも「大事なことなら忘れないはずだ、忘れても思い出せるはずだ」と考えるんだった。そして上記の通り、記憶は再構築された。細部は異なるだろうが、それは問題にはならない。だって感情なんだもの。〝今〟を含んでより豊かになったと考える。変わってしまったのではない、より豊かに、そう思う。

もともと「コンソメ」とは、仏語で「完成された」という意味で、中世から見られるようになった。

後になって〝こういうの〟に気づく。私は喜んでしまう。今、気づいたということは、今、完成されたということ。はじめから〝そういう約束〟だった。無くすことも重要なパーツの一つだった。

どこかに星もいた気がする。星のパーツ「瞳に星を集めて」

記憶が溢れて、パーツが集まる「明かりの消えた路上」

今夜

何度も確認してはいけない、好意は理論ではないのだから。覚えた。

3/6

肉体的な繋がりがなくても不足なく愛し合っている(という感覚がある)ので、ちょっと肉体をどうするか難しくなってしまったな。

蛇口の下にグラスを用意してハンドルを回せば、グラスの外側を濡らすことなく水をそそぐことが出来る。すでに蛇口から水が流れている状態で〝グラスの外側を濡らすことなく〟水をそそぐには「どうすればいい?」という話で。

〝グラスの外側を濡らすことなく〟なぜだろう。

3/7

夢を見た。朝のはじめに星の停留所がある。星が眠るベンチ、からだを起こして〝夜はここまで〟星はそう教えてくれた。時刻表、始発17:30、19:19、20:20、21:21と続いて、そのあとに一つ、ずいぶんと遅い星がある。深夜3:30「私が眠る時間だ」そういう夢だった。

3/8

新しい傘を持っている。雨を待っている。

私の話した言葉を、あなたが全て忘れてしまったとしても、「あの星だけ、なんだか青く見える」そういうものだ。全てを忘れてしまっても、なぜだか、「あの星だけ、なんだか」

〝特別に愛する〟について、この後に続く文章に映す。私はこの文章に〝特別な愛〟を映すために「括弧、句読点、ひらがな、カタカナ、漢字」を〝自身で選ぶこと〟にする。そうすることで、私の愛を示そうと思う。全体を意識し、括弧の位置、句読点の位置、それから漢字とひらがなのバランスを整える。ここで止まって、ここでは止まらないで、私を聴かせるために打つ、私と話しているみたい?私のリズムを感じる?太陽と書けば日が差してくる、雨と書けば傘が開き、止めば空に虹がかかる、あなたのために。伝わる?あなたは文章の中で見上げることになる、私が虹と書いたから。虹という文字に色なんてないのに、見える?あなたが私から創造するから。私がそれを望んでいるから。私の愛を感じる?〝特別に愛する〟あなたへ、I love you.

3/9

擦れば消えるようなものを意味と呼んでいるなんて。

終わりがない。

綴じたいだけ、綴じれば文学になる。脈がなくても必ず、私は〝意味〟を見つけてくる。

アンカットで。

3/10

あの人の翻訳、好き。良いイメージをくれるから。原文のページには蝶が飛んでいる?それなら翻訳のページにも蝶が必要だ。あの人の翻訳、言語そのものが生むイメージも訳している。ページの中に、見たこともない異国の蝶を飛ばして、その中に、この国の蝶を放つ。それは目を引く、だって母国語は〝意味のある言語〟だから。「安心していい」と言う。意味だけではないから、感動もきちんと訳しているから、だから〝安心していい〟と、この国の蝶を介して伝えている。

思考を言葉にするとき「思考そのものが生むイメージも言葉にしているか」そう自身に問うている。私は他人に〝パンケーキの作り方〟を知らせたいわけではない。パンケーキが焼ける匂いがする、あの高鳴り、それを〝言葉で正確に再現〟したい。その高鳴りを知らせたい。

3/11

二月の終わり頃からずっと、頭の中に白い砂浜があって、波があって、光があたって、ただ眺めている。きらきらゆれる海の音、耳の奥でずっと、眺めている。

3/12

サインよりノックの方が〝合図っぽい〟と思っている。ノックしてください。

三月、春の前、口が重い。

〝あの店のショートケーキ〟が好きなのは、いつ食べても同じ味、香り、同じ重さ、大きさ、同じ喜びをくれるからで、あの店のショートケーキを〝知っている〟から「あのケーキが食べたい、あのケーキが好き」そう思うことが出来るわけです。愛は評価ではなく結果です。結果には必ず原因があります。因果です。過去であり、記憶であり、相手の人間性、そして関係性です。それが私に「あの人に会いたい、あの人が好き」そう思わせるわけです。

そう思いたいわけです。

あやとりをしているのだから、二人とも「あやとりが好き」なのは当然のことで、私は、あなたが私のために〝流れ星〟を作る姿を見たいんだけど。

3/13

私の「全て許すよ」が嘘ではなかったことに感動している。私はあなたに本当のことを言っている。

私を見て。私の目を見ていて。あなたの不安が映るたびに瞬いて、それを閉じてあげるから。

3/14

恋しい。

3/15

そう耳元で口にする。

ねえ、どっちがいい?木が地面に影を落として、ねえ、どっちにする?この影は木のもの?それとも太陽のもの?私が見ているあなたは私のもの?それともあなたのもの?太陽がないと何もないのに、木がないと影はないの。私がいないと誰もいないのに、あなたがいないと私もいないの。ねえ、

3/16

何度も口にする言葉、身体。

3/17

思考は大胆に、言葉は冷静に。そして、態度は鷹揚に。

3/18

覗き込むと光で満ちてすぐに姿を変える。

例えば、海を見て「綺麗」だと感じたとき、それは単純な感動であって、感情であって、まだ完成していない。まだ海は綺麗ではない。綺麗だけでは満たされない。場所、時間、視点、重なり、実体。私の鼓動を利用して生まれる、この〝綺麗〟という感覚は一体、何を意味している?まだ海は、

理解などしなくても〝そのままで美しい〟から感情なんだってそれはそう。私はただ、感情で一つ、理解でもう一つ深く〝美しい〟が欲しい。綺麗に結ばれたリボン、自分で結ぶことが出来たら、素晴らしい。〝自分で〟そう出来たら、他人に結んであげることも、教えてあげることも出来る。美しい。

3/19

私の犬、愛してる。

3/20

同じ物語を、別の言葉で。

3/21

美しい構造、世界を〝理解する〟完璧な錯覚と、答えのない問い。おはよう、新しい朝食、パンを〝理想とする〟完璧な欲望と、私の焼ける匂い。熱を与えると膨らんで〝その性質〟があなたの鼻先をくすぐる、いつもこの香り、愛の焼ける匂い。だって、熱を与えないと私は〝愛〟にならないから。

その椅子に座って、もうパンが焼ける。

占いのお姉さんから「11室乙女座、太陽の理想主義が強い。世界平和が好き。それを魚座木星で受け止めている。12室天秤座、金星(ライジングスター)が魚座に向かって、木星を強化している」と教えてもらった。詳しいことはわからないが、〝木星を強化している〟この構造、大変に私らしい。

吉星の中でも「木星」は「グレート・ベネフィック」と言われる大吉星です。木星は幸運を表す惑星で、繁栄、発展、成功をもたらします。

私の興味は常に0にある。0を明確にするために1を生む、1で0を〝より0〟とすること。この0が〝何であるか〟理解すること。ところでこの1だが、1になるなら100にも1000にもなる。「そうなるから、そうする」という話で、〝木星を強化している〟はこの構造と同じ、私の興味はつまり

私が〝より私〟になることで幸運が強化されただけで、私が幸運であるかなんてどうでもいい話で。

3/22

彼の骨、好き。体も好き。私を押し返して逃げ回る、骨と体。

私があなたを欲しがるせいで、あなたは嫌というほど自分を持つ羽目に。〝持っていないもの〟を、他人にあげることは出来ない。あなたはどれくらいあなたを持っている?それで、それを全部、私にくれる?

3/23

神様を待たずに運命を描くと時々〝もう一つのモチーフ〟を持って神様がやって来る。大抵の場合、それは愛と呼ばれる。

もう一つの〝それ〟を描こうとしないこと。神様が運命に光を向けると〝もう一つのモチーフ〟が影として落ちる。神様が光を向けたくなるような、そんな運命を

運命で一つ、神様で二つ、愛で全て、手にする。

単純な構造、複雑な伝達、彼の愛について。

〝グラスに氷を入れてコーラをそそぐとコーラはよく冷えて美味しくなる〟ここでは、これを彼の愛とする。単純で美しい。彼はグラスと氷とコーラを持っている。彼は聞く「何か飲む?」私は答える「飲む」おそらく彼は、誰にでもそう聞くことが出来る。彼自身の献身を以てそう。彼は私の前にグラスを置く、コーラを開け、ふと手が止まる。

氷はどうしよう?おそらく彼女は喉が渇いていて、コーラも嫌いではなくて、僕の申し出を受け入れて。それで、氷は?聞けば良かったな。氷を入れなければグラスにたくさんのコーラをそそげる?でもよく冷えたコーラが好きだったら?僕は〝グラスに氷を入れてコーラをそそぐとコーラはよく冷えて美味しくなる〟それを知っているんだけど。でもそれも僕の思い込みかも。それで、氷は?

彼は聞く「寒くない?」複雑な問い。これが彼自身の献身を超えた愛であると私は考える。「寒くない?」彼は示した〝グラスに氷を入れてコーラをそそぐとコーラはよく冷えて美味しくなる〟と。私は答える「寒くない、氷ってある?」

3/24

私の性質があなたを壊してしまうとしても、私は私をあなたに見せたい。だから〝私について〟その全てをあなたに話している。私を知れば、私を避けることも、愛することも出来る。自由に。あなたはあなたを私から守って。絶対に壊されないように守って。それで、私は、あなたを絶対に壊すから。

これは日記ではなく暗示。

月は地球に落ちながら地球の周りを回り続けている。落ちては来ないけれど、落ち続けている。あなたの話をしている、あなたと私の話。ところでなんだか、月が綺麗ですね。

これは日記ではなく啓示。

3/25

意味と待ち合わせをしている。

3/26

言葉から溢れた場所でキスをする。

ページがめくれる音がする。紙が流れる音、離れる時、重なる時の音。あなたからその音がする。髪を撫でて良い?流れる指、重なる唇、耳から離れないその音。

3/27

あの人の身体、睡蓮の庭に浮かべたい。耳を沈めて、胸が呼吸する音を聴いて。

天使に階級があるの、どうしようもなく〝人間の創造〟でニコニコしてしまう。

27/28

あなたが言うように、子供の愛なの。綺麗な羽をもいだりする。まだ善悪もない無垢な愛と、その残忍性をあなたに。

3/28

子供の頃、トンボや蝶の羽を片側だけもいでいた。花弁みたいに。死なせたいわけではない。やがて死ぬんだろうけど。奪いたいだけ、〝その象徴〟を奪いたいだけ。二度と飛ばないで。

そこに思想などない、鼓動がある。身体中が一つの心臓のように強く、脈打つ。私自身が鼓動になる。

好き、大好き、愛してる、結婚しよう?

彼にたいしてよく心を開いていると思うが、考えてみれば、私にとって私自身の心はどこか他人事のようなところがあって、つまり、この先でまた別の〝何か〟を彼にたいして開く必要があるのだと思う。その〝何か〟とはなんだろうか。動物たちは人間に聞き取れない音を聞いている。私が開いている心は〝人間が聞き取れる心〟であって、つまり

私よりあなたの方が上手く聴きそうだ。あなたは耳が良い。言葉をそれぞれの思想として、心として、心を耳で聴く。

私の犬、何度も振り返って〝ちゃんとついて来てる?迷子になるよ?〟してくれる。何度も私を確認してる。ちゃんといるよ、愛してる。

3/29

ゾウと、絵と、ゾウの絵を描く私と、ゾウの絵を描く私を見ているゾウ。私はゾウが好き、私はゾウを見つけた。私は絵を描くことも好き、私はゾウの前にキャンバスを立てた。ゾウが好き、絵が好き、だから〝ゾウの絵を描くこと〟が、ゾウよりも絵よりも〝特別なこと〟になってしまう。ゾウは私を見ている。私は完成した〝この特別な絵〟を愛として、それをゾウに見せることが〝全て〟だと思い込んでいた。そこで〝この特別な愛〟が完成するのだと。絵を見てくれたらわかる。それは今でもそうで、絵を見れば全てわかるはずだ。絵を見れば、絵が、絵は、絵さえあればーーーーだけどゾウは私を見ている、絵はまだ完成していない、私を見ている。私はゾウに何か言うべきだ。挨拶でも説明でもなく「愛している」よりも何か、確かな言葉を。絵を見なくてもわかる、まだ、それしかわかっていない。

恋愛が好きなんでしょ?って言うけど、映画が好きな人には特別な一本があって、音楽が好きな人には特別な一曲が、私は人間だけど私で、恋愛が好きだとしても、好きだからこそ、特別な一人がいるはずでしょ。

それが君だとして、私は君の名前を〝特別な一人〟にあげるわけなんだけど、例えばね、例えばだよ?君も同じように私の名前を〝特別な一人〟にあげたとして、それは全く同じ話なのに、同じ曲なのに、別の表題であって、なんかそれってすごく、いいよね。

3/30

メモ

穴に糸を通すイメージ 数珠繋ぎ 穴は〝それら〟のどこにある? どの位置にある? 均等ではない 一つの共通点 不平等の中にある唯一の平等 「穴があること」 繋がなければ穴を〝確実なもの〟とすることはできないが、繋ぐことで不平等は〝明確なもの〟となる それらの大きさ 比較 ひと目でわかる 個性 一つの共通点 唯一の平等 真理について

例えば、全ての人間にリンゴが与えられたとする。大きなリンゴ、小さなリンゴ、赤いリンゴ、青いリンゴ、甘いリンゴ、苦いリンゴ、新しいリンゴ、古い、腐ったリンゴ。どのリンゴを与えられたとしても〝リンゴが与えられた〟という事実だけは平等だ。不平等の中にある唯一の平等。平等とは何だろうか、自然だって同じように〝甘くて美味しいリンゴ〟を作れるわけではない。人間は自然には出来ない〝全てのリンゴが甘くて美味しい世界〟を作ろうとしているのだろうか。どれを与えられても同じ、どれを齧っても同じように甘い、自然には出来ない不自然な世界、美しく反する世界。

絵のリンゴ、色のリンゴ、文字の、言語の、概念としてのリンゴはどうだろう。上記の〝どのリンゴ〟に含んでも問題ないだろうか。

例えば、あなたがイチョウの木だとする。秋の頃、葉は光のように紅葉し、辺り一面を金色に染めた。私はその様子を見て思う「この素晴らしい光景を〝そのまま〟私のものにしたい」私はイチョウの木の周りに木を立て始めた。雨の日も、風の日も、雷、酷い嵐の日にも、ねえ、どうして火が降ってくるの?私は絶え間なくそれを続けた。今、イチョウの木は森の中にある。イチョウの木はイチョウの木のまま、あなたはあなたのまま〝そのまま〟あなただけのもの。だけど、この森は私の森で、私のもので、イチョウの木は森の中にある。ねえ、この森はとても

3/31

この美しい物語を完璧なものにするために〝あなたの性質〟を利用する。愛を以って。

どうして逃げ回るの?って考えていたんだけど、私の愛と策が同じだけの熱を持っているせい?今どちらの熱であなたに触れているか、わかる?

二月

2/1

青い蝶、ピンを刺しても頭の中でひらひらと舞う。何を以って死とする、何を以って蝶とする。

彼の心拍の上に〝恐れずに、もっと夢中になって〟と書き加えておこうかな。

2/2

〝好き〟は多弁だ。あらゆる結論に「でも」と言う。その一言で全てが覆される。

2/3

私のことは私に確認して。

あなたの恋人は、あなたの欲望を反映している?彼は、彼女は、まるであなたの欲望〝そのもの〟で、誰かに見られてしまうのは、知られてしまうのは、気が引ける?

誰かに自分の〝考え〟を話すとき、「だいたいこんな感じ、あとは話しながら作る」で話し始める。木のシルエットが浮かべば口を開く。幹を、枝を、葉を書き足していく。森がいい?庭がいい?根を張り、葉を揺らす風もあると良い、そうして話し続ける。自分自身を信じている。なぜシルエットは浮かんだ?私はまだ気づいていない、だけどもう、私は知っているはずだ。枝も、葉も、風も私は知っている。この木は必ずここに立つ、そう信じて口を開く。

深夜

動物園にいるライオンを見ても〝ここが彼らの居場所だ〟とは思わない。砂漠や草原を思う、彼らはそこから来たのだと感じる。例えば、それが動物園で生まれた個体であったとしても、彼らに砂漠や草原を見る。

私は、彼に自由を見ている。そこから来たのだと感じる。彼の居場所を思っている。

2/4

メモ

思考と同じことを感情でする。同じように感情を構築する。思考と同じように〝噛み合って支え合って静止する〟これをする。静止した先で、より動かすことが〝出来るようになるために〟そのために一度、静止させる。何かでコーティングして閉じ込めるのではなく、そのままの性質で組めるようにする。ゼリーをキャンディに変えるイメージ。飴細工、性質の変化、変化後の性質が、最初よりずっと感情らしいこと〝それらしいこと〟熱すると動く、冷ますと止まる、熱すると動く、口の中で溶ける。

午後

「ウサギの耳」と聞いたとき「ゾウの鼻」と返ってくる。私はこれを〝教育〟だと思っている。だけど、両親はそうではなかった。「ウサギの耳」と聞いたとき「ヒトの耳」だとか「ネコの耳」「イヌの耳」もしくは「ウサギの目、鼻、口」そう返ってくることを、彼らは〝教育〟だと思っていた。だから、私の「ゾウの鼻」はいつも〝いけないこと〟だった。

象徴している。ちゃんと同じなんだよ。

2/5

コクトーのシャボン玉、その光景が浮かぶような良い詩であることはもちろんだが、知的好奇心を刺激する良い詩でもある。詩であり、問いのよう。確かに、シャボン玉の中に庭は入ることが出来ない。しかし、シャボン玉は庭の中にある。自らの中に、庭を含んで浮かんでいる。庭の〝中にいる〟が、庭は〝中にいない〟「いる、いない」が弾けて消える。シャボン玉は既に庭と同一だ。弾けて消えるまで、ずっと。

夕方

この世界に存在するもの、その全てに「愛」という名前が与えられたとき、あなたはどれを「愛」だと感じる?どれが「愛」だと考える?全てが愛であるのに、きっと見つけてしまう、あなたが〝愛している〟と手を伸ばさずにはいられない、一つの、あなただけの愛を。

二つの、と書こうか迷いました。この迷いも、愛の性質の一つであると考えます。美しいです。

2/6

彼の胸に花を挿している。左胸のポケット。何度も咲く、胸で咲く、いつも、そういう気持ちでいる。

2/7

何を象徴している?花について話すとき、その声で、音で、意味で、言葉で目の前に月を描いていたとしたら。その人の象徴は花か、月か、どちらになる?

花の香りがする月、月のように光る花、朝に咲いて、夜に現れる。地上に、上空に、私の目の前に、あなたは。

なぜそうしてはいけないの?と他人に問い続ける人生だった。返事はまだない。私はまだ頷いていない。

ミューズ〝創造性の象徴〟太陽は太陽を連想させない、太陽が連想させるのは月だ。

2/8

2/9

午前

久しぶりにSNSに触ってみて、やはり〝他人の思想〟が溢れる場所で、自身について思考することは難しいと感じた。例えば、その場所で「喜び」という言葉を使うとき、それは、100の1000の喜びに対応する喜びである〝必要がある〟のではないか。そうでないとき、100の1000の喜びがやってきて「それは〝本当の〟喜びではない」と〝教える〟のではないか。100の1000の喜びを傷つけずに、100の1000の喜びを喜ばせる、喜び。私が欲しいのはただ一つ、私の喜びだ。100の1000の喜びを払い、傷つけ、〝本当〟が割れる音が聴こえたときにだけ響く、喜び。私の喜び。

上記「SNS」は「社会」という言葉への置き換えが可能である。

午後

平和を好み、理想主義的である。綺麗なものを守るために戦い、支配的であるが、その動機は〝より良くしてあげたい〟である。

上記「私の星について」である。つまりあれだな?私の精神性に合う職業は〝王〟だな?

理想を掲げられない者に、理想を叶えることなど出来ない。夢みたいなことを、と笑われるかもしれないが、理想を動機としない現実で、誰が夢を見るのか。世界が現実に横たわったとき、私は、世界に素晴らしい夢を見せたい。笑われることを恐れる者に、誰が心を託すのか。人の心が集まらない場所に作られた現実など、虚像だ。現実ですらない。

夕方

午前と午後で、私の「人」にたいする意識に、全く矛盾はありません。午前は、箱の中のチョコレートにたいする「私」で、午後は、チョコレートの箱にたいする「私」です。箱の中には当然、チョコレートがあります。私は終始〝チョコレートについて〟話しています。

今夜

子供の頃に読んだ占いの本に〝社会ではなく自分のモラルに従います〟と書いてあった。

2/10

その絵を切ってパズルにしたい、そう私が言ったとき、悲しまない人が良い。喜んでくれる人が良い。バラバラになった絵をもう一度完成させたとき、余分なピースが一つある。絵と同じ、魚の形、嬉しそうに笑う姿、そう私を許してくれる人が良い。

そのピースは愛だ。私を喜ばせるために生まれた。どこにも収まらないピース、余分なピース。私の手に、ポケットに、心に収まり続けるピース。

メモ

対象の要素を収集し、再構築する。完成イメージは〝理想〟であり〝対象〟よりも〝美しい対象〟に近づく。注意が必要。それは「対象」と名前のついた「自身」であること。対象よりも〝自身が含まれている〟分、自身に強く作用する。理想的な自分自身、それを描くことが出来る自分自身、それに溺れないこと。影響、星の光を見ている、光から星を見ないこと。光を先に作ることは出来ない、星が先、これは絶対。対象を失えばいつか光は届かなくなる、その影響について考える。

星が死んだとき「光はまだある」なんて言うの?

今夜

常に〝良い方へ変化している〟というイメージがないと不安になる。

2/11

「自分のこと変だと思ったことない」「そうだろうね。例えばね、ここがスタート地点だとして、ここからスタートして、それで普通は真っ直ぐに進むところを、上へ行ったり下へ行ったりする。蛇行したりね。そういう人を〝変な人〟って言うんだろうけど、そもそもきみはスタート地点が違う。違う次元から来てる感じ。きみは真っ直ぐに進んでるんでしょ?うん、だから変だと思わないんだよ」「違う次元から来てる、じゃあ、ここにいるはずの私はどこにいるの?」「きみがいた方へ行ってるよ」「向こうの私ってどんな髪型だと思う?」「あはは、本当にね、そういうところだと思うよ」

意識から生まれた〝実体〟を拒否することは人間に許されていない。例えば、神様。

なぜ、私たちは神を呼ぶのか。死を共にしているからだ。私の意識があなたによって吹き消されたとき、あなたも私と共に消え去るだろう。神々の〝一つの〟死。神は人と共に生まれ、人と共に死ぬ。人に神は殺せない。〝その性質〟を律儀に意識の中で体現し続けている。人間にはそれが許されている。哲学者はいくらか神を殺した。〝神という構造〟は確かに何度も死んだが、その日のうちに、神の骨は世界中の意識の中に散らばり、世界中の神の欠陥を補強した。より強固に。神を殺しても神は消えない。人間が生きている限り、その意識の中に。あなたの構造は死ぬほど単純で美しい、私はそれが欲しい。あなた一つで全てが手に入る、私は絶対にあなたを

今日も小さな神様はたくさん死ぬことだろう。それでも小さな星は数えきれないほどある。「星は〝どこに〟ある?」これが私の神様への答えです。

つまり、人間の一人一人がパーツとして神を構成している。全てのパーツが置き換わったとしても、それは

午後

彼にたいして、自身のことを〝話し過ぎている〟という感覚は確かにあるが、不安はない。自身について話すことで、彼に軽蔑される可能性がある、それもわかっているが、後悔はない。それ以上に、私にはわかっていることがある。他人にたいして口を開くのは、これが最初で最後だろうということ。だからより正確に、正直に、話すだけだ。

2/12

私が話した言葉、あなたが聞いた言葉。

私の〝好き〟について。私は象を愛しているけど、例えば、象が密猟で絶滅してしまったとしても平気。だって、私は象を愛しているから。それなのに、彼にたいして〝どうしたらいいのかわからない〟ときがある。今までのように、例えば、彼が死んでしまったとしても平気。だって、私は彼を愛しているから。それなのに、なぜ、別の愛し方を探したくなるの。

私が話した言葉、あなたに届いた言葉。

今夜

私たちは「灰色」で「大きな耳」と「長い鼻」を持つ生き物を、単純に「象」と呼んでいるわけではない。彼らがどこで暮らし、何を食べ、他の個体とどのように関係し、どのように生まれ、死んでいくのか。その生態と、彼らを生かしている環境までを含め「象」だと認識している。それが私たち人間の象だ。

これが私の象です。人類の事情、貧困、欲望によって絶滅したとしても、それは〝私の象〟の環境に含まれる。だから何があっても、その全てを、私は愛している。

だから何があっても私は、あなたの全てを、愛している。

深夜

私は、彼からとても大切なことを学んでいるのだと思う。私はこれまで、蝶を見つければ「蝶だ!」と大騒ぎして喜んでいた。種類は、生態は、あの国にいて、貴重で、模様は、特徴はーーーー何でも知っているつもり。それで、花に止まった蝶の羽を指で掴んだ。乱暴に、人間の力で。そこに悪意はない、なくて。彼は、それでは蝶が死んでしまうと教えてくれる。私には永遠に〝蝶が可哀想だよ〟はわからないのかもしれない。だけど、彼が教えてくれる。私の指が少し、優しくなる。

何でも知っているつもり、触れ方すら知らないのに。

2/13

いくつか質問をいいかな(あなたの脳を取り出しますね)

二度の心理検査でわかったことは「興味がないことは全く出来ない」ということです。この〝全く〟の度合いが酷い。簡単な問題(興味がない)は出来ない。複雑な問題(興味がある)は出来る。興味さえ持つことが出来れば、簡単な問題も出来るようになるのだろうか。〝興味がないことに興味を持つ〟がそもそも難題で、つまり、出来るようになるな?

結局〝そこ〟を解けるかどうかで、頭の良し悪しが決まるんだろうな。この良し悪しとは「自由であるかどうか」で、解放を意味しています。

自身の本質を知るために〝何も頑張らない〟ところがある。これを言い訳という。しかし、何も頑張らずにいられること自体、自身の本質であって。

知らないことを知りたい。

2/14

関係とは何か、関係するとは何か、考える。

2/15

話は上から下に、ページは右から左へ、私たちは

では、肉体を置き去りにしても良いのか?という話になる。精神と肉体について。どちらがどちらに影響を与えているのか、どちらがどちらに依存をしているのか、確かに重要だが、二つは既に〝多くの接点をもって互いを共有している〟状態にある。ときどき 、切り離されそうになる?その点は線を拒否している、点である自身を失うことなく〝点のままで線になる〟そう主張している。ときどき 、切り離されそうになる?点線だからだ。

自身の精神と肉体の間で起こっていること、これを私はあなたとする。精神的な繋がりと肉体的な繋がりについて。あなたが何を恐れても、二人は既に〝多くの接点をもって互いを共有している〟状態にある。私たちは線を拒否している、点である自身を失うことなく連なり、そうして線になる。ときどき 、切り離されそうになる?

話は左から右へ、ページは上から下に、私たちは

.................................................................................................................................................................

知ることが好き。だから、知らないことが好き。

緊張感。

確かに私には飽きっぽいところがある。打てば響く、なぜ打つのか。打てば響く、そう〝感じる〟から打つ。響かないものは二度と打たない。響くものにもすぐに飽きる。私が探してきたもの、私を響かせるもの。私が打つと、あなたは私を響かせる。それはあなたであるのに、音と音の間、あなたの音に確かに、私の音色が響いている。

〝僕が、僕だけが、保守的な君の世界におけるテロリストだ〟

2/16

私は「誰に教わることなく自然と始めること、出来ること」以外を軽視しているところがある。とはいえ、努力して出来るようになったことは〝自然と努力することが出来る〟結果であり、つまり、全ての人間と、その様式を賛美している。ここでは個人の性質と、その悪意までは問わないこととする。

メモ

白 無意識の色 色であることを意識させない色 その性質が欠けることはないのに、はじめからその性質がないように見える 他の色と存在するとき、その特徴は顕著に 愛 無意識の形 おそらく個人の〝重要な何か〟を模している 他人と存在するとき、その特性は顕著に 白 独特な色 愛 独特な形

全てが独特な形を取るせいで、それらは普遍的なのか。

今夜

こんなに動揺したのは人生で初めてかもしれない。

小説で描かれる愛や、それを映した心情、その描写にたいして〝これは物語なので〟と思っていたが、確かに創作ではあるが、あのような感情は実在するのかもしれない。あれはーーーー物語の形を借りたーーーー告白だったのかもしれないーーーー。喜びに、苦しみについて、あなたの、私の告白。

性格診断では「(恋愛では)知的な人を好む」と書かれていることが多く、それにたいして「?」と思っていたが、〝散りばめられたオマージュに相手が気づくか〟という話であれば頷く。私が相手の、相手が私の、意図したオマージュに気づかなくても、〝物語は正しく進む〟オマージュは遊びだ。ただの遊び。だけど、あった方が良い。遊びはあった方が楽しい、それはメッセージになる。そう考えるのだからやはり、〝そういう人〟を好んでいるのだろう。「同じものを同じように知っているか」ではなく「同じもので同じように遊べるか」という話であれば。

一緒に遊ぼう、私と一緒に。

2/17

フランシス・ジャム、いいえ。ポール・フォール、はい。

毎朝、瞼をあける。世界の切れ目、いつも上と下にある。見えないように触れる、瞬き、私は考えることで満たされる、静かな部屋で暮らす。壁に絵を飾る、あなたの絵を飾る、あなたは私の隣へどうぞ。見えないように触れる、鍵をあげる、毎朝、どうぞ。

眠りの前であなたは、私のためにおとぎ話を広げて。声を聴かせて、叶うなら愛も。

私は〝赤い三角〟と〝青い四角〟を持っている。彼が持っているのは〝赤い四角〟と〝青い三角〟だ。私たちは互いの中に、赤、青、三角、四角を見つけて「同じだね」と笑った。私が「青い三角が欲しい」と言うと、彼は自分の青い三角を見せてくれる。それから私の青い四角を指して「同じように青いよ」と教えてくれる。彼が「赤い三角が欲しい」と言うと、私は自分の赤い三角を見せる。それから彼の青い三角を指して「同じように三角だよ」と教える。あなたが色を見て、私が形を見るから、どのように分けても〝同じだね〟幸運な相違、私たちは同じように違う。

2/18

父の思想を映した〝素晴らしい情景〟が私の名前には与えられている。それなのに、父はすぐにそれを忘れてしまった。私だけが今も、その〝素晴らしい情景〟を眺めている。

停滞、嫌い。衰退、もっと嫌い。

思うのだけど、あなたが〝大きな火〟を持っていて、私が〝小さな火〟を持っていて、それぞれの〝火〟を相手の前に差し出したとき、それらが「同じ大きさ」である可能性はある。あなたの中にあるから火は大きく、私の中にあるから火は小さく、見える。燃える。

時間、時間、時間。人間の性質と、地球(宇宙)の性質、どちらにより倣っている?

私の星とリリス「知りたい知りたい知りたい、でも知ると〝知りたい〟が減っちゃう、それは嫌なの、どうしたらいい?でも知りたい知りたい知りたい」こんな調子らしい。かわいい。

2/19

50秒、50kg、50cm、〝概念一つ〟で数字に時間や重さや長さを与える。あらゆる場面で〝それ〟をする。人間、罪深いです。

2/20

頭の中にある〝形のないもの〟を掴もうとするとき、それを〝掴めそうなもの〟を探す。水を汲みたい、スプーン、グラス、バケツ「両手があるでしょう?」そうだね、でもそれは最後だ。両手は〝掴めそうなもの〟を探す。水だけでは生きていけない。両手が濡れてしまえば、掴めるものも掴めなくなってしまう。

花を摘むか、描くか、撮るか、語るか、歌うか、誰かにあげたい?確かにどれも掴んでいる、どれが最も花を〝あなたの花〟に変える?

神様のことは人間で掴もうかな。それからサンドイッチのことは木漏れ日で。

考えてみれば、私はいつも誰かの恋人だった。

最低気温0度の憂鬱があるとき「美味しいスープを食べる」だとか「暖かいベッドで眠る」だとか、その隣に「ーーーーーーーー」があって、そういう〝どれにしようかな〟があって、いつもいちばん最低なものを選んできた。だってすごく寒くて、凍えてしまいそうで、それだけのことで。

2/21

完璧であることを理想としない。0と決めたものはやがて0になる。1と決めたものは1に、10は10、100は100になる。それになる。〝それにしかならない〟私は数になる。自由になる。

神も愛も人の頭の中にある。神と愛と人は同一であるか?パブロフ、例えば私たちが〝神様の人間〟だったとしたら?愛がどこにもなくても、愛はどこにでもある。〝ベル〟よだれを垂らして求めている、愛を、認めている。同一であるか?例えば人のすることが全て愛になるとしたら?私はあなたを求めている、認めている。その全てが推測だったとしても、構わない。〝ベル〟愛している。

ベルを。

2/22

天井に光る星のステッカーたくさん貼ってあげる。

お気に入りの夢に私を呼んで。

2/23

午前

人間と連想と自己について。私の頭の中では全てが〝人間〟になってしまう。例えば、ステンドグラスから連想されるものは人間だ。リンゴも、太陽も、ラクダも人間。〝それを見ている、考えている、知っている、生んでいる人間〟になってしまう。ステンドグラス、ガラス、絵、模様、教会、宗教、賛美歌、響き、反響、自然、火、天井、窓、光、床に落ちる影、色、何らかの意味、思想、象徴、つまり〝ステンドグラスから連想されるものは人間〟であって、人間が口にする言葉であれば、何一つステンドグラスと関係していないものであっても、人間を接点とし、関係してしまう。例えば、ステンドグラスから連想されるものは血液だ。だけど見て、床に落ちる赤い光、まるで血のような光。こうして私は、関係していないものなど何一つないのだとまた、頭を抱える。人間が創造するものは全て、人間がこれまでに見てきた、考えてきた、知ってきた、生んできた〝全て〟に、関係している。私たちは、人間によって名付けられたもの、その全てを、この世界から孤立させることなど出来ない。私も、もちろんあなたも、この世界で、孤独になどなれるはずがなくて。

だから何にも夢中になれなかった。だって全てが人間だから。私はいつも退屈していた。

午後

それで、話は彼へ続く。〝人間〟の隣に突然、現れた彼について。あなたは何も分かっていない。私がどれだけあなたの存在を祝福しているのか、何も。この話を何も。私は話して聞かせる、あなたが分かるまでずっと。

今夜

空白に、美しい構造を書き込んでいる。最後は〝人の形になるように〟という話だったと思うが、私には、自由と時間と好奇心がある。当然、彼の背中には翼が生える。最後は〝人の形になるように〟という話だった。だけど当然、美しい構造の先では、人の背中にも翼が生える。

深夜

五月、箱根、卯の花腐し、部屋、篭城、私の男の子、心中するみたいなセックス。

セックス、生の象徴、死の代替、生よりも、死よりも確かに〝今〟実体で掴む、生の、死の体現。

2/24

同じ絵を見ていて。同じように感じなくても、同じように考えなくても、良いから。

心の中へ瀬踏みして。あなたが足を入れる場所だけ浅くしておくね。それで、どこまでも沈んでいく身体、すぐ底に、私もいるから。

太陽の光 海に降りそそぐ金色の矢、は、水面で白く散る 散って散って押し寄せる 砂浜には白い波、が、散って散って押し寄せる さらした足元には金色の光 夏の風、と、吹き抜けて

2/25

午前

自身の感情にたいして否定的な感情がある。

最初に見つけた蝶が、その先の私に〝何を見せるか〟決めてしまった。その羽で〝青〟を知った。その先は全て、その青と、他の青だ。

午後

以下、過程からの結果です。

指へとまれ 金色の背中に震える羽音 花の間を飛びまわる束の間、四月の頃 春の日差しをさした羽、蜜蜂 葉脈のようなその羽 この庭に楽園は咲いて 本を閉じる音、その先に彼女がいる 物語の続きに彼女がくる 昼下がりにはおいで、蜜蜂 彼女を喜ばせる 指へおいで

以下、過程です。

指へおいで 金色の背中に震える羽音 花の間を飛びまわる束の間、四月の頃 春の日差しをさした羽、蜜蜂 葉脈のようなその羽 この庭に楽園が咲いて 本を閉じる音、その終わりに彼女が見える 物語の続きに彼女が来る 昼下がりにはおいで、蜜蜂 指へおいで 彼女を喜ばせる 震える羽音

以下、結果からの再構築です。

金色の背中に震える羽音 蜜蜂 四月の音 この頃、庭に楽園は咲いて 春の日差しをさした羽 蜜蜂 指へおいで 束の間、花の間を飛びまわるその羽 葉脈のようなその羽 本を閉じる頃、物語の続きにおいで 昼下がり、春の日差しにとける羽音 金色の指先 この庭に楽園は咲いて

以下、再構築からの自我です。

指へおいで 金色の背中に震える羽音 蜜蜂 四月の音 この頃、庭に楽園は咲いて 春の日差しをさした羽 蜜蜂 指へおいで 束の間、花の間を飛びまわるその羽 葉脈のようなその 本を閉じる頃、物語の続きにおいで 昼下がり、春の日差しにとける羽音 金色の指先、に、楽園は咲いて

深夜

口の端からポロポロ好きがこぼれる。口がゆるい、舌もゆるい、服がよごれる、脱いでもいい?

2/26

髪とか爪とか、好き。〝死んでる細胞〟好きな人の死んでる細胞、好き。

美しいって何色だと思う?どんなドレミ?どんな香りで、ねえ、聞いてる?どんな味だと思う?

「脈なんかねえぞ」みたいな小説、好き。読み終えた〝印象〟を〝物語として〟与えてくる、好き。

私であなたの世界が軋むとき〝壊れる〟と思う?それとも〝変わる〟と思う?

「0っぽくない0ってどんな0だと思う?」「ああ、移動するとか?」

彼に「ーー」とか「ーーー」とか言っているとき、いけない言葉だとわかっているのに心地良くて、愛しくて、彼と同じ意味の中にいるようで暖かい。

2/27

午前

白い雪は灰色の空へあがる 飛び立つ視線の先に 鳥を見たか 凍える両手に 私は 私を見たか 呼ぶように鳴け 白い声が雪に沈んであたりは 静まり返る 灰色の冬へあがる 凍える鼓動の先に 飛び立つ鳥を見たなら 伝うように鳴け

午後

「ねえねえ、知ってる?ーーちゃんってここにホクロがあるの。ここにもあって、あとここにも。それからここにあるのがぼくのお気に入り」って言われたいので明日も生きます。

深夜

私が求めているのは正しさではない、喜びだ。

それぞれの時代の〝今〟に、フランス人が書いた詩を読んでいる。「食べること、歩くこと、見ること、抱くこと、つまり生きること!眠り、安らぎ、今に昇る太陽!蝶よ、花よ、芸術よ!それらが好きか?死ぬほど好きか?そうか、では詩など書くな、あちらで好きな女とでも愛し合っていろ」そう鼻先を振って詩を書く。絵に描いたような詩人の仕草。

2/28

午前

私が常識や道徳に興味がない理由は「時代や場所や〝顔触れ〟で変わるような話で、一体、それらの何を信頼する?何が信頼に値する?天気の話と変わらない。午後が雨だろうが、明日が晴れだろうが、私は生きる。濡れてもいい、暑くてもいい、それだけの話で」それだけの話です。

午後

鳥は鳥として飛び、花は花として舞う。風の中を自由に。人は人として、鳥にも花にも風にもなれる。意識を以て何にでも。人に吹いた風は、体を自由にはしないが、心を自由にする。人は体に受けた風を心へ通す、窓を開いて待っている。描くこと、吹き抜けていく知の風。

今夜

日本語 歌わない言語 字で音を作る 音で音を作らない

探していた本を買った。どこにも売っていなくてフリマサービスで。未読本とのこと。定価より当然高い。それで、その本を譲ってくれた人なんだけど、著者のお孫さんだった。神様、いつもありがとう、大好き。

2/29

五月が来たらバラを見る。

届いた詩集を読んで、もっと側で声をかけないといけないと思った。もっと小さな声で、優しく、相手が耳を寄せたくなるような仕草で。そうして、心の中へ声をかけるように。

二月

今に永遠を集めている。

一月

1/1

何十年、何百年経っても理論が美しいのは、汚れないのは、神様が側にいて息を吹きかけているからだって私が言ってた。

美しいだけではダメなものが好きだ。椅子と、言葉と、理論。美しいと良いが、美しいだけではダメ。きちんと機能していないと。

今年こそ絶対に文豪と結婚する。それで絶対に「ーーさん、あまり遠くに行ってはいけませんよ?あなたって人は、ずいぶんと大人なのにすぐに迷子になって。まったく世話のやける人だ」って叱られ(愛でられ)てやるからな。

私〝らしくない〟ことなど一つもない。私のすること、言うことは全て、私らしいことだ。私らしくないことも全て、私が〝そうした時点〟で完璧に私らしい。〝あなたらしくない〟とか、何の話。

1/2

「ひらがな」エロくない。「漢字」エロい。「すずき」エロくない。「鈴木」エロい。好きな人のこと漢字で呼んでみようかな。でも、ひらがな、かわいい、あいしてる。

クラフトコーラ、好き、愛してる、喉は痛いんだけど、キスしよう?

1/3

午前

子供の頃から〝死ぬまで眠っていたい〟つまり、死んでしまいたいと思うたびに「もしかしたら今、私の運命の人も同じ瞬間にいるのかもしれない。私たちは同じように〝死んでしまいたい〟と泣き出しそうになっているのかも。それなら絶対に泣かない。私が泣いたら運命の人も泣いてしまう。こんなの全然平気なんだって教えないと」そう思っていた。私が〝冷たい〟とか、何の話。心臓も、心臓から送り出される血液も全て、愛へ向かう、体の隅々まで熱い、私は必ず、あなたへ向かう。それで、わかった。私がなぜ泣かないのか。あなたが私に教えているからだ。私の〝それなら絶対に泣かない〟は、あなたの思い。私へ向かうあなたの

午後

以下、メモです。

運命 ぼんやり 可能性 小さくなれば入れる 今あるものは家、ショッピングセンター、テーマパーク、拡張 大きいままで入れる 人間の意識だけで成立しているもの、神、愛、運命 トックリバチ、巣

以下、メモからまとめたものです。

「運命とか信じるんだ?」と驚かれるが、私は運命を信じている。正確に言えば、〝その可能性〟を愛している。例えば今、ここに確かに存在している(とされている)ものは、家のイメージだ。表札があり、玄関があり、その先にはリビング、キッチン、ベッドルーム、バスルームへと続く。庭にプールもあるかも。生死、スマートフォン、昨夜観た映画、そのようなものたち。家だから当然、私たち人間は身を屈めることなく入ることが出来る。人間のままで入ることが出来る。それが可能性を広げた結果、私たちが得たものだ。自由と呼ぼう。その自由は更なる拡張を続ける。家がショッピングセンターになり、テーマパークになり、一日では回りきれないほどの広さにまで広がる。人工知能、インターネット、そのようなものたち。

では、運命はどうだろうか。人間の意識だけで存在している(と考えられる)もの、神様や愛、そのようなものたち。私はトックリバチの巣をイメージしている。そこに確かに存在しているが、私たち人間は身を屈めても入ることが出来ない。どんなに繊細な仕草をとっても、入るまえに壊してしまう。人間のままでは入ることが出来ない。可能性を広げる必要がある、これまで人間がそうしてきたように、人間が入れる広さにまで広げる必要がある。だけど、と私は思った。その選択は望まれていないような気がしている。運命や、神様や、愛は、その選択を祝福しないのではないか。〝その可能性〟に合わせ、私たちに、小さくなれと言っているのではないか。入り込めるように「考えろ」と。これは意識の話ではない。私たちの意識は、精神は、希望は、肉体に依存している。単純な肉体の話だ。実際に肉体を小さくしろという現実的な話。

運命や、神様や、愛。〝その可能性〟に合わせ、意識を小さく集中させ、実際にそれを「感じる」人たちもいるだろう。巣の中は幸福だった、愛に溢れ、暖かく、豊かで、彼らはそう話して聞かせてくれるかもしれない。だけど、彼らにだって、巣の中にある本棚にどんなタイトルが並んでいたかなんてそんな話は、出来ないはずだ。

運命を信じるだけで、頭の中はこんな調子だ。死ぬまで一緒にいよう?私は〝その可能性〟に、私の全てを捧げるから。

夕方

私から見ると「≠」のふきだしには「断っておくが」とか「言うまでもなく」とか書いてある。ちょっと偉そうでかわいい。

私にはよく考えてもらいたい。運命をトックリバチの巣に例えてはしゃいでいるような人間はおそらく、モテないということを。

深夜

私が一人でトックリバチの巣をつついている間に、みんなは、誰かと笑い合ったり許し合ったり愛し合ったりしている。私が一人で運命とか神様とか愛とか言っている間に、みんなは。これがおそらく私の孤独である、とか言っている間に今度は、海を渡る不思議な蝶を見つけた。

友人から「あなたの言葉でi love youを訳すとどうなる?」と聞かれたとき、私は「ああ〝わからなくていい〟かな」と答えた。全てだ。何でもわかろうとする愚かな私が、愛の前で「わからなくていい」と口にするとき、全てだろうと思う。全てはきっと、その瞬間のためにあって。

「愛を定義することなど出来ない、だから、愛は好きに定義しても良い。どこまでも自由で、どこまでも〝自分〟を要求してくる、厄介なものだ」そう昔の私が話していました。海の中にプールを作るような話、人生を賭けるだけの価値がある話。

1/4

午前

昨日、言葉が止まらなかった。頭が回っている感覚があって、空想の中で次々に現実が構築されてしまう。それは空想であるのに、まるで現実のように繊細で、正確。空想の中に雛などいなかったはずだが、今、タマゴはカチカチ音を立てて揺れている。雛だ。私の周りにはタマゴばかりが転がっている。タマゴの中には雛がいる。空想の中には確かな現実が。私がそれを構築した。だけど、その姿を見たことはない。タマゴが転がっている。人はそれを「空想」と呼ぶ。この殻を割って、雛を取り出した者だけを、人は「天才」と呼ぶ。

だけど、わかって欲しい。その殻ですら、私が構築した現実だ。空想を模している。よく出来ているでしょう。

言葉が止まらないせいで、上手く話すことが出来なかった。頭がきゅるきゅる鳴って、何も説明することが出来ない。「こうで、こうで、つまり、こうです」が出来なくなる。全てを落として口にする言葉は「こうです」だ。これでは他人が困ってしまう。

午後

今、細部を作り、全体も作る、という愛をしている。「細部を作ることで全体を作る」ではない。細部を作り、全体も作る。細部が全体に向かうわけではない。〝同じもの〟として二つが同時に存在している。矛盾している。そういう愛をしている。それがあなたに伝わらなかったとしても、今、私たち二人は〝同じ愛〟のもとに同時に存在している。

考えてみれば、地球は光っていないのか。光ってもいない星に引っ張られて、私は、ここに立っているのか。まあ、光っていたらここにはいないんだけど。あの人をこの星に繋ぎ止めているのは蹠で、ああ、そうか。底から愛せば良いのか。

鳴っている。思考に向いた温度へ意識を下げている。頭の中が涼しい。

今夜

「あの人ってどんな人?」と聞かれても、私は答えられないかもしれない。私があの人から受け取るのは、あくまでも「私への印象」であって、正確に言えば「あの人の印象」ではないからだ。だから「あの人ってどんな人?」と私に聞いたあなたが、知ることになるのは、もちろん私のことだ。あなたは永遠に〝あの人について話している私について〟知ることになる。

深夜

ゆっくりと速度が落ちて、音は鳴り止んだ。冬の中でプールサイドに立っていた。濃紺のコート。その水面を見つめていた。吐く息が白い。冬の中には雪が降っていて、強い風で、それなのに、その水面はぴたりと静止して少しも揺れることがない。私は両手を左右のポケットに押し込んで、震えることも出来ずに、その水面と同じようにぴたりと静止して立っていた。

1/5

午前

母は「その人が〝カラスは白い〟と言ったら、カラスは白いの。黒くても白いの。そう思えない相手ならやめておきなさい」と言った。私は「そうなんだ」と思った。

現在の私「〝カラスは白い〟」

午後

精神的な繋がりについて考えること。

精神的な繋がりにおいて、肉体(欲求)を排除するという考えは、私にはない。そもそも何かを排除した時点で、その関係は脆弱ではないか。

〝精神的な繋がりについて〟の好きな人の見解が素晴らしく「好き、大好き、絶対にあなたが良い」と「なるほど、美しい、それ私が考えつきたかった」で複雑に愛している。

今夜?

以下、メモより抜粋。「彼の時間についての考察」

過去と未来は「今ここに〝ない〟」という意味で同じ。過去と未来を〝同じように〟捉えているのではないか。

時間が先へ進む線のイメージではなく、円のイメージで回る。進まない、回る。昨日と今日と明日が曖昧。線には未だ先(未来)がないが、円には切れ目がなく、先がある。続いている。いや、先も後もないと言うべきか。彼には〝既に未来が存在している〟ようだ。

円の中心に彼がいて、〝同じように〟浮遊している過去と未来を現在(彼)に引っ張っている。星のイメージ。過去と未来は〝現在の彼〟に向かって落ちる。すぐ横にそれがないせいで捉えづらいのかもしれない。

昨日の夜と、今日の夜が〝同じもの〟だとしたら。そもそもなぜ、別の夜だと思っている?〝同じ日〟を何度も繰り返しているだけかもしれない。現実、事実よりも〝その意識〟に意識を向ける。

深夜

ここ数日の反動ですかね、虚無です。コットンキャンディってあるじゃないですか。うん、バスキンロビンスのあれです。あれって食べたことないんですけど、多分ですよ、うん、多分なんだけど、あれを食べればこの虚無を脱することが出来る、そんな気がしますね。

ゲーテが好きな女に贈った詩を読んでいる。詩を贈られない人生に一体何の意味があるのか。「ここに座って。きみのために詩を書いた。聴いてくれる?」を聞くまで私は絶対に死なないからな。

嘘です。本当は「ここに座って。きみのために詩を書いた。聴いてくれる?」そう私が口にしたとき、「遅いよ、ずっと待ってたんだけど?早く聴かせて」と笑ってくれる人が欲しいです。

1/6

午前

うんざりするほど繊細に組んで、完成したのちにパーツを全て外せるか、その物体の終わり、境界線は外側か内側か、終わりを失ってもその形であることを示せるか、崩すときに見たことないパーツを見つけられるか、それを理解できるか、それを探すために組んで崩すのか、何なのか(メモ)

午後

紙で鶴を折ることが出来るのだから、世界だってそうなのではないか。私が見ているのは、折り終えた世界で、〝紙で折った世界〟で、〝世界〟ではない。それは〝紙で折った鶴〟と同じ。紙で折った鶴は「紙、鶴、紙で折った鶴」で出来ている。それでは、世界は。「紙、世界、紙で折った世界」私はまだ、紙と世界を見ていない。

紙とは何か、世界とは何か、こうして自分を折って、私は、何を見せようとしているのか。

ああ、大事なことを忘れていました。〝それを誰が折っているのか〟ですね。もしかして皆、それを神様と呼んでいる?私は全くそう思いません。誰が折っているかなんてどうでもいい。

もっと自由に。

今夜

彼が書いたメモ、足音がする。街と、踏切と、誰かの笑い声。彼の心拍まで聴こえてきそうで、自由で、綺麗だ。私たちは死を持って生まれてきた。幸福と共に母親が抱くのは、小さな命であり、小さな死そのものだ。そのように生まれてきた。彼の足音が生まれる、死よりも早く世界へ溶けて、死を拒んだ。こんなの追いつけないと死は笑って、その笑い声を、私は聴いている。

1/7

午前

「私ってどんな人に見える?」「はっきりしてる」「ああ、意見がはっきりしてるってこと?」「いや、意見はぼんやりしてる〝こうであり、こうでもある〟みたいな。いや、決めてよ、みたいな」「ああ、でもあらゆる物事ってそういう側面があるよ〝こうであり、こうでもある〟」「うん。なんかいつもそうやって、大きなところっていうの?大きなところを見て考えてるけど、それって個人の意見ではないよね?世界の真理みたいな、哲学者みたいなさ」「そうだね、私個人としての意見ではないかも。私から見た物事の仕組みについてって感じだね」「うん、そんな感じ。そんなの聞いてないからね?真理じゃなくて、ーーちゃんの意見を聞いてるんだけど。こっちは〝夜ごはん何がいい?〟くらいの話なんだけど」

個人としての意見。感情や嗜好ということか。確かにそれは前に出ない。「オセロ楽しい」「オセロ好き」「オセロ〝偶然が関与しない〟ゲーム」全て自分の中にあるが、前に出るのは「オセロ〝偶然が関与しない〟ゲーム」だ。

午後

感情なあ。

今夜

あなたが五つの点を打ったとき、五芒星を描ける人間でありたい。目の前に、星と五角形が同時に現れる。あなたが10を望むとき、私は11を与えたい。特別な1を見せたい、それを愛としたい。

中心に現れた五角形に星を描く、その中心にまた描く、永遠にそれを続ける。

私は懐疑的な人間だ。ここにいる理由が〝感情〟だけなんて不安だ。それは海や風や雨と同じ、何も望めやしない。私は感情を思考で補強する、観測する。全てを使い、確かなものを作る。そしてそれが美しければ尚良。それだけの話です。

1/8

クリームソーダの上のサクランボ、私は食べない。いつも食べない。あなたがそれを好きだったら良いなと思う。あなたがサクランボを好きだったら良い。

深夜

私が賭けた方が〝勝つ方〟だって神様も言ってた。

1/9

午前

「きみの言葉には愛情が乗っていない」と言われたことがある。そうだろうと思う。あなたは助手席に愛を乗せてやって来る。だから私の助手席を見て〝どうして〟と思う。助手席にない、愛がない、そう感じる。私はここに来るまで、たくさんの回り道をした。約束の時間に遅れないように、早起きをして、それをした。見せたい仕掛けがある、話を聞いて?上から見て。私の道筋は、あなたに愛を運んで来ている。そうだろうと思う。こういう愛はあまり歓迎されない。でも好きなんだよ、そういう愛が。

午後

何かについて人と話しているとき、「ああ、そう解釈するのか、確かにそうとも考えられる、独特な解釈だな」と思うことが多かったんだけど、最近になって人から「多分、相手の方がそう思ってると思う」と聞かされた。私の解釈は人類の意思なんだが。

それで思い出しました。小学校の授業です。「ーーーを、どう思いますか?」という問い。全員の答えをまとめたものがクラス中に配られたが、私だけが皆と違うことを書いていた。私は「あれ?間違えたかな?」と思った。少し焦りもした。皆が〝その物語の感想〟を話しているとしたら、私は〝その物語(本)の装丁〟について話しているイメージだ。おそらく正しいのは皆です。一人では間違えようがないのに、皆といると突然、〝間違い〟が生まれる。皆って間違いばかりだな。

当然、一人では〝正しい〟も生まれない。私は正しさで自身を罰しない。

夕方

「神様 マーク」で検索した痕跡があるな。

私の最上級の愛は「私の知らないところで生きるな、私の知らないところで死ぬな」です。よければ結婚して欲しい。もしくは神様にして欲しい。

母は、私に何度も言い聞かせた。つまり〝他人の気持ちを分解してはいけない〟ということを。私は、母の言うことを聞かずに〝知りたい〟と夢中になって皮を剥いで肉を切り骨に触れる。他人の気持ちにそんなことをして良い訳がない。理解している。理解しているのに、それを思い出すとき、私はいつも骨を手にしている。言い訳はない。後悔もしない。私はこの骨を大切に愛すると、自分と他人に誓っている。

今夜

ある一つの考え。

1/10

午前

私「あなたの数学ってどれ?〝入り口だけあって、出口を決めて道を書く〟〝入り口だけあって、道を書いて出口を見つける〟〝出口だけあって、入り口を決めて道を書く〟〝出口だけあって、道を書いて入り口を見つける〟〝入り口と出口があって、道を書く〟〝道だけあって、入り口と出口を決める、見つける〟〝それを迷路と呼ぶとして、その迷路全体がどのような形であるかを見る〟〝その迷路が宇宙のどこに置かれているかを見る〟他のものとの関係性を見るとかでもいいな、どれ?組み合わせてもいいし、他にあるなら他でもいい」家族「んー数学は数学だね」私「じゃあ、0を分解するとか、それを他の数で体現するとか」家族「いや、数学は数学」私「答えが強固、数学だね?」

午後

自身の愛についてあなたに話しているとき、私は自身の存在も、あなたの存在も、心地良く感じます。この愛は、私の中にいるより、あなたとの間にいた方が、ずっと自由です。

今夜

大きな1、小さな2、緩い3、固い4、赤い5、青い6、甘い7、辛い8、早い9、遅い10。大きな1と、固い4と、赤い5を足したとき、答えは遅い10ですか。どうですか。

1と3と4と5と7を足したら、大きな赤いゼリーのようなものが出来るな。それがなに?って思うじゃん?これが私の人生です。

推しがへんてこな髪型にされている。絶対に許さないからな。

1/11

占いのお姉さん「性別のない星からきてる。地球にきて性別があることに驚いてる」

性別にこだわりがない。どちらでもいいと思う。明日、肉体が男性に変わったとしても「これが男性の私か」そう思うだけ。女性の肉体に〝女性の私〟が入っているわけではない。ただの〝私〟が入っている。何に入れたって、何も変わらない。

気づいたこと、思ったこと、その不思議を全て、彼の周りに書き留めている。覚書だ。最初の一語から際限なく続けている。次々に分岐して今、彼の周りは文字で埋め尽くされている。私は腕を組んでそれを見つめる、考えている。宇宙の中にいる彼の中にも宇宙があって、その中にまた彼がいて、それが際限なく続いていく。小さくなっていくのか、大きくなっていくのか、わからない。彼がどこにでもいて、どこにもいないのは、際限なく続いている宇宙の、途中の、どの彼を〝彼とするか〟誰にも決められないせいだ。そう考えている宇宙の、途中で、私はふと「字が汚いな」と思った。

ソクラテスに友達がいたかどうか調べた痕跡があるな。

1/12

思考「好きな人にたいして限界まで感情を使ってみるというのはどうだろう?」感情「ねえ、馬鹿なの?私のこと好きなときに呼び出せるのは、毎日毎日〝好きだよ〟とか〝可愛いね〟とか、私に声をかけ続けた人だけなんだけど?好きな人にあげたいなら私のことちゃんと愛して。愛してもいないものをあげるつもり?馬鹿なの?」思考「それはそう、ぐうの音も出ない」

早朝

「ねえ、起きてる?帰りにパイナップルジュース買ってきて欲しい。パイナップルジュース飲みたい」「え、うん、なに?覚えてられない、メモする、4時!!!!!」「うん、4時だよ」「4時に言うこと?」「言わないと忘れちゃうと思って。私のこういうところが好きなんだよね?」「それはそうだね。パイナップルジュースね、あはは、変な人」楽しそうでなにより。

1/13

午前

大人になってわかったことは〝日常〟では「リンゴはおいしい!」に「リンゴはくだもの!」と返してはいけないということです。もちろん「リンゴはおいしい!」に「ブランコはたのしい!」と返すのもいけないことです。基本的な日常において「リンゴはおいしい!」に対応するのは「そうだよね!リンゴはおいしい!」だけです。

追記 

イチゴは野菜とのこと。リンゴへ変更しました。

午後

「リンゴはおいしい」に「リンゴはおいしい」と返すことに何の意味がある?という葛藤がある。リンゴに対応してはいけない、まずは相手に対応しなければ、私は歯を食いしばる。相手に対応した、上手く行ったようだ、それなのに、相手はすぐにリンゴの話をやめてしまった。私の頭の中はもう〝リンゴのこと〟でいっぱいなのに。リンゴと私にたいする酷い裏切りであるとそう、思わないか?

今夜

「リンゴ(果物だったかも)とガソリンの似ているところはどこですか?」と聞かれて「何かを動かすもの、エネルギー。リンゴは人や動物、ガソリンは車やバイクを動かす」と答えたけど、それで良かったのかどうか、わからない。

深夜

私はもう何も願うな。私にだけ願え、全て叶えてやる。

1/14

三島は、ラディゲの〝エレガントな文体〟に強く心惹かれたという。エレガントな文体、そうとしか言いようがない。テーブルに花や皿、ナイフにフォークにスプーン、それからナプキンなんかを綺麗に並べることが出来る作家はたくさんいる。ラディゲは向かいの席に着く。自然に、洒落た仕草で〝ーーーー?〟と話している。彼がテーブルに乗せた手の形が美しい。私たちはそれを見ている。生まれたときから〝そう出来る〟人間の何気ない仕草、手の形が美しい。それを見ている。

今夜

いい大人なのに「わあ、美味しそう、いただきます」と口を開いた瞬間によだれ垂らしたりする。動物の類かな。まあ人間も動物だしな。

私だって他人のメープルシロップに口出ししたい。もっとかけた方が美味しいよ?と言いたい。愛を押し付けたい。一緒にパンケーキとかワッフルとか愛とか、食べよう?

他人のメープルシロップに口出ししてはいけない、覚えた。

1/15

午前

家族から見ると、私が友人と話している様子は、私が相手を〝からかっている〟ように見えるそうだ。「それってーーじゃない?」「さっきはーーって言ってたよね?」言いたいことはわかる。嬉々として問うし。わかるけど、私はからかっているのではなく、相手の意見を補強している。つまりサポートしている。自身が常に自身にたいしてしていることを、相手にしているだけ。私が気づくような綻びなら、誰でも気づく、誰にも壊されないように補強してあげたい。それで私が壊してしまうという、これはジレンマの話です。

午後

「あなたの思い通りになるのは嫌」と言われたので、自由を提示したところ、それも「嫌」とのこと。それはそう。私が提示した自由を手に取れば、それは〝私の思い通り〟だから。どうしたって私の思い通りになる。自分ではどうしようもない。そうなっている。あなたが選んで。私は会いたいのに。どちらにする?選んだ方にも、選ばなかった方にも、私がいる。どちらにしようかな、だって全て、神様の言う通り。

今夜

「誰かいますか」ドアの向こうにそう問いかけて「誰もいません」との返事。これを「いるじゃん」とするのは簡単な話で、夢のない話で、私が愛さない話で。

1/16

午前

頭の中、どうなってる?と聞かれて考えた。磁石だ。11月にも思考について同じようなことを書いていた。何かを理解するとき、組めると確信したとき、それまで好き勝手に存在していたパーツが磁石に変わる。選ばれたものは一気に引き合い、一斉に集まる。その理解が赤ならば、そのパーツは〝何色であっても〟赤に変わる。性質が変わる。人間の重要なエレメントの一つ、変化、私が思考や理解に死ぬほど夢中なる理由。

組み上がったそれはまた〝一つのパーツ〟になる。赤いパーツになって、引き合うときを待っている。

午後

私にとって重要なのは「泳ぎ方を知っていること」であって「早く泳ぐこと」には興味がない。とはいえ、他人にたいして「泳ぎ方を知っている」と口にするときには、努力に努力を重ね「早く泳ぐ」ことになる。他人は大抵〝早く泳ぐことが出来る人〟を〝泳ぎ方を知っている人〟と認めるからだ。この状態をなんて言うか知ってる?だるいって言う。だるいことはしない。私は口を閉ざしている。

1/17

死ぬほど欲望を噛んだ。

1/18

どれを選んでも不正解になるような、そもそも〝正解がない〟ような瞬間に、私は、ーーーを呼ぶ自分の声を聴いた。良いも悪いも失って、ふと、したことのないことをしてみようと思う。これを人類は〝希望〟と呼ぶ。私はどのようなときにも希望を優先する。神様はこれを祝福する。だって同一だから。あなたが私を呼んで、私があなたを呼んで、私はあなたの声を使って神様を呼ぶ。あなたは私の声を

いらないと思ったものを持っていられない。

「ねえ、ぼくのこともいらなくなったら捨てるの?嫌だ!いらなくても持ってて!捨てないで!ーーちゃんがいらなくてもぼくはいるからね。あ、これは〝居る〟と〝要る〟のダブルミーニングだからね?」って言われたいので明日も生きます。

誕生石の話、禁止な?こっちは十二ヶ月の中で最も「なにそれ」みたいな石を割り振られている、絶対に禁止な?

1/19

彼の願いは、シンプルで優しくて美しい。それは私が〝愛していること〟そのもので、だから、わかるでしょう?彼が私にそれを願えば、互いの中に、同じ意識を持った永遠が生まれる。

1/20

私「私のことどれくらい好き?」家族「一番好きだよ」私「いちばんって何?人の中でいちばん?森羅万象の中でいちばん?」家族「一番は一番だよ。一つしかないでしょ、森羅万象の中で一番。ーーちゃんの一番はいくつもあるの?」私「え?」家族「おや、これは一番を使い分けているな」私「えへへ」

過去に書いた文章「あれ?ここって」そう思って触ると、全てがバラバラに崩れてしまう。それで「ああ、ここはそこにかかっているのか、違和感を作ってあるのか」と気づく。過去の私が〝触るな〟と言っている。私が触ることに気づいている、仕掛けてある。触ると気づく〝触るな〟私と遊んでくれる。

「彼氏と別れて」と言われても大抵は別れない。でも「彼氏と別れて」と言われないのは嫌だし「彼氏とも仲良くして」と言われると「じゃあ、あなたとは別れようかな」と思う。わがままだから。

〝話し合う〟以上の愛情表現なんてあるのかな。そもそも私は誰とも話し合わない。自身で何でも考えて決める。だから話し合う以上の愛情表現なんて

今もらえないものは一生もらえないだろうと思う。今くれないなら一生いらない。

□→□

例えば、恋人とジェンガをしようとする、私はこう考える。「抜いたパーツをすぐ隣に積んでジェンガを再生したいな〝二人によってジェンガは少し移動したのであった〟をしたいな」私は抜いたパーツをジェンガのすぐ隣に置いた。私が求めているのは〝同じことを考えていた〟ではない。もちろん同じなら嬉しいが、ただ「なんでそんなことするの」と呆れないでいて欲しいだけであって。

深夜

二人の肉体は、自切した尻尾のようだと思った。二人は個体の生存のために自切し、尻尾で愛し合う。もちろん個体でも愛し合う。個体は精神そのものだ。個体で愛について語り合い、許し合い、そうしている間に、尻尾はただ欲望のままに求め合う。

素晴らしいと思う。だけど、私はきっとこう考える。「なにもかもしたい」精神には肉体があり、肉体には精神がある。切り離すことなど出来ないのだと、切り落としたときに痛いほど理解する。二人は個体で求め合い、もうそんなことをする必要はないのに、自切を続ける。尻尾は愛について語り合い、許し合い、そうしている間に、二人はただ自由のもとで愛し合う。

1/21

月について話すとき、私の言葉はきちんと月の形になっているか、そんなことばかり考えている。

美しいものが好きだ。その最たるものが君だ。

心に手を入れて、体に、頭に手を入れて、心を、体を、頭を、あなたの全てを、手に入れる。

中学の国語だったと思うが「物語を読んだ感想を絵にする」という授業があった。どのような絵を描いたか、よく覚えている。鳥籠の中に森が閉じ込められている。鳥籠の周りは夜のように暗く、暗闇の中で、その小さな森だけがきらきらと明るい。籠の森にはたくさんの蝶、きらきらと美しい蝶。〝少年の日の思い出〟暗闇の中で、痛みだけがきらきらと眩しい。

1/22

何か特別なもの。〝夜なのに明るい〟とか、そういうの。

心が重いとき、体の中をソーダ水でいっぱいにする。踵から頭へ泡があがる、青とか緑のソーダ水。

1/23

無数に残された折り目を見て考えている。一体、何が折られていたのか。これが私の人生です。

私の支配は、暴力や恐怖を支持していない。それらは弱い。期待、希望、感動、人間を真から動かすもの。私は先に与え、喜びの中で、より多くを奪う。あなたが差し出し、もう何も、誰にも〝奪われることがない〟幸せの中で、より多くを得る。

1/24

他人の感情はわからないが、構造はわかっている。何を言えばいいのか、子供の頃から知っていた。

「悪意がないから良い」と言われる。確かに私に悪意はない。完璧に〝それ〟をしている。完璧に〝悪意がない〟をしている。それだけのことです。

ねじってとめるだけで不思議な輪は完成する。他人にそれを見せることに完全に飽きている。

どうして他人は私にそれを見せてくれないんだろう。

良い「どうして」と、良くない「どうして」が、あります。

「君は全てを愛すって言うけど、全てを愛すってことは、僕が全てを見せなきゃいけない。それって怖いよ」と言われたことを思い出している。私の〝そういうところ〟を好きになったのに、なぜ、いつも最後にはみんな、私のそういうところを拒むのか。

恐れるな、進め。そんなに難しいことかな。

何か面白いこと。〝夢なのに覚めない〟とか、そういうの。

〝飴なのに溶けない〟と、迷った。

ああ、私は〝その性質に反する〟をしたいのか。

私と話していると「責められているような気分になる」と責められて、こういうのが人間の面白いところだよなと思った。

私は矛盾を許さないわけではない。「その性質に矛盾を含んでいるもの」の矛盾は許している。矛盾することに矛盾がないからだ。〝許さないわけではない〟まだ矛盾がないものしか許していない。矛盾するでしょう?許している。

1/25

家族「ーーちゃんって、何も覚えてないよね」私「そうかな?」家族「そうだよ、今のことしか考えてない。過去に興味がなくて、未来に不安がない。ぼく、今日休みだって言ったよね?覚えてないでしょ?」私「今、思い出した」

例えば、彼女が黒地に白い花柄のワンピースを着ていたとする。私の記憶は「彼女は黒地に白い花柄のワンピースを着ていた」ではなく、黒地は色へ、花柄は花へ、ワンピースは服へ、重要なのは「彼女は私と会った」になる。

あなたが「彼女は僕を愛している」と感じるとき、確かに、私から分離した無数の〝要素〟が、そこかしこに、存在しているはずだ。

もしかして、私が他人からの愛を感じづらいのは、要素が足りていないせい?死ぬほど複雑に組みたがるから必要な要素が多いのかもしれない。つまり、私のせいだな?

1000のパーツで組んで、1になるまでパーツを外す。〝印象〟が壊れることのないよう注意する。この1は、1000を含んだ1になる。私は999のパーツで組んで、1になるまでパーツを外す。998、997、996、それを繰り返す。最後の1になったとき、この1は、何もかも全てを含んだ愛になる。

「愛されるはずがない」という思いと「愛されなければならない」という思いがあって、それらは当然、幼少期の〝愛への飢餓〟に起因するものだろう。それで、私はいつも、相手への完璧な支配を望んだ。不安だからだ。愛されるはずがない、だけど、愛されなければならない「もう私以外のものは見なくていい」凍えた指で相手の腕を掴んでいた。

もちろん、私に純粋な支配欲があることは事実だ。それは〝他人に支配されないために他人を支配する〟ではなく、単純に〝そうできるからそうする〟それだけのこと。この欲は、決して他人の前で膝を折ることがない。

私は、その対象の前でいつも膝を折っていた。「私に支配させてください」と願っていた。彼らが、私以外のものを見ると不安になった。そして言う「それならいらない」馬鹿馬鹿しい。私は、本来の自分を思い出して欲しい。他人の愛ではなく、それを欲するのではなく、自分の愛を思い出して欲しい。何かを考えるとき〝例えば〟と口にするとき、私はいつもリンゴを掴む。モモでもブドウでもサクランボでもいいのに、手にするのはいつもリンゴだ。愛しているから。私は、私を信じて欲しい。

もう一方では激しく鳴っている。「ああ、全てを壊せばいいのか。なぜ相手に問う?問うから迷う。もう私以外のものは見れないようにすればいい」そう呻いている。何もかも全てを含んで、どちらを選んだとしても、この1は

最初の1と最後の1、どちらがいい?最初の1は一度も傷ついたことがない1。999個の希望を受けた1。最後の1は何度も傷ついてきた1。999度の喪失、何度も再生して、一度も絶望しなかった1。私はこれも希望と呼ぶ。だから、どちらを選んだとしても

何か知的好奇心を刺激するもの。〝指で触れると溶ける音〟とか、そういうの。

ねえねえ、心拍に合わせて歌って?

1/26

〝頭から離れない〟欲しいのはそれだけ。

0をゼロで示すにはどうしたらいいの。0は1つの数字、ゼロは2つの文字。0はどこにあるの、あるの?〝ない〟という言葉が〝ある〟あなたは私ではない、本当にそう?

好きな人のことを傷つけないように、壊さないように気をつけているけど、私の距離感と力加減がおばかさんすぎる。調整して、機能して。そもそもその機能あるの?

踏み出したら一歩も引かない。

記憶について。記憶が海を〝私の海〟に変える。記憶になければ、海はいつまでも海のままだ。もちろん、それは美しい。だけど、誰が聞きたいと思う?海が美しいことなどもう知っている。〝あなたの海〟の話を聞かせて。記憶が全てを〝私の物〟に変える。私の世界について。私は、私が見つめる全てに敬意を、そして記憶を。

以下、メモより抜粋。「彼の直感についての考察」

私の直感 1、過去の記憶 2、要素 3、重なり←直感する 分解可能

彼の直感 1、過去の記憶(名前がない) 2、重なり←直感する

おそらく私と同じことをしているが、要素を認識していない(名前がない)可能性が高い。そのため自身で分解することが出来ない。〝なぜそうなるのか〟気にならないようだ。要素がない分、私よりかなり早く多く直感する。精度に優劣はないだろう。

1/27

私の最上級の甘えは「なんか食べたい、なんか食べさせて」です。

はじめて彼を抱きしめたとき「ああ、ホットケーキの上のバターってこんな感じかな」と思った。私は溶けて無くなるけど、私が消えて無くなるわけではない。むしろ、溶ける前よりずっと、強く香って〝ここにいる〟と、そう知らせている。

一度でも快楽に開けば、脳は決してそれを忘れない。何度も〝それ〟を再現する。開き方を覚えている、脳が覚えている。あなたも、私に、開いて。何度も何度も何度も。あなたの鼻先で香りが、耳元で声が、口元で唇が、私が、体温が、再現される。何度も何度も何度も。

1/28

午後

過去に気を取られていると今が欠ける。この今が過去になる。欠けた過去に気を取られ、また今が欠ける、繰り返す。馬鹿馬鹿しいと思う。

私は今にいる。

時間と視覚について。砂が落ちるまでの三分間、水が溜まるまでの三分間、火が消えるまで、日が暮れるまで、眺めている時の三分間。時間は三分間を、視覚は〝時間の実感〟を構築する。

今日の三分間はまるで永遠のようなので〝時間を眺めている時の三分間〟とします。

他人に生かしてもらうために〝出来るだけ何も出来ない方が良い〟と思って過ごしてきた。私が運転免許を持っていれば、いつか「どうして運転してくれないの?いつも自分ばかり運転している」と不満が生まれる。それがわかる。だから〝これしか出来ない〟そして〝これ〟が、その人にとって宝石のように美しいこと。それを気にかけてきた。

今夜

何かもちもちしたもの。もちかな?

私はなぜ、デートで現地集合を希望するのか。

母親から「嫌われたくない、嫌いにならないで」と懇願されたことがある?私はある。彼女に私は強すぎた。可哀想に。だから死ぬほど愛していた。

少し反省してみます。

ゴッホゴーギャンの関係が大好きすぎて、解説に〝二人の関係について〟を見つけるたびに「好き、大好き、愛してる、これが見たくて来ました」とニコニコになる。

「きみのために詩を書いた、聴いてくれる?」はまだないんだけど、「きみのために曲を作った、聴いてくれる?」はあって、私の〝あはは、なんで撮ってるの?ねえ、なんで?あはは〟という声から始まって、そのあとはなんかずっとピコピコきらきらしてた。

ぱんとあんのバランス、探っていきたい。

深夜

プラネタリウムが好きなんだけど、毎回「暗いな?温いな?眠いな?」で全く集中できない。

彼の神様はどういう形をしているんだろう。夜は眠るのかな。朝はパン?ジャムは欲しい?彼が私とキスをしているとき、どこにいるんだろう。つかまえて深く刺す。

1/29

例えば、彼女の髪に飾られた赤いリボンを見て「赤いリボン。青いリボン、黒いリボン、白いリボンはある?どこにある?」と〝今ここにないものを探す〟このような思考の広がりはおそらく、あまり良くないんだろうなと思う。私にとっては良いが、彼女と、赤いリボンにとっては良くない。

「話、聞いてる?」この人生で何度も聞かれた。聞いてる、聞こえていないだけで、聞いてるよ。

興味について。例えば、共感覚〝音に色を見ます〟これにたいしては「そうだろうね、全てが脳の中の出来事だ」としか思わない。だけど、もしこれが〝音に色を見る者は皆、同じ音に同じ色を見ます〟だったとしたら。私は死ぬほど問い始めるだろう。

相手が私のせいで病んでいる姿を見ると、死ぬほど愛しいと感じてしまう。性癖かな。

私は、あなたの好きな星にも、あなたと星を眺めることにも、〝まだ〟興味がない。私はあなたの夜空に星を生みたい。昨日まではなかった星、新しい概念。

新しい星は、あなたの〝いちばん好きな星〟になる。私は、あなたとその星を眺める。

つまり、どこもかしこも四六時中なにもかも〝私〟ということになる。

1/30

正直なところ、私は自身をワガママだと思ったことは一度もない。

深く潜っていく、浮上の酸素は考えない。

元彼「きみのワガママは本当にワガママだ。〝あれして欲しいこれして欲しい〟なんてかわいいものだ。きみは何も言わない。何も言わないで〝何をしてくれるか〟を見てる。そうでしょ?言ってよ、何でもするのに」私「かわいい」

私は、彼にたいして精神的な繋がりを感じている。同じ場所を知っている、その場所に行くことができる、来ることができる。そこで話をしている。その場所と時間を、精神的な繋がりだと感じている。いつも繋がっているわけではないのに、その場所にいるときには〝いつも繋がっている〟と感じる。一瞬が、多くの時間に影響を与えている。その一瞬だけが、全ての時間を見せてくれる。

アップルパイの横には絶対にアイスクリームがあって欲しい。

今夜

以下、理想的な世界です。

「ねえねえ、それって恐竜の骨?」「そうだと思う、それを調べるために掘ってる」「ねえねえ」「なにかな」「ふわふわの恐竜がいたかもって聞いた。知ってる?」「ふわふわ?え?ふわふわってふわふわ?え?ふわふわ恐竜ってこと?」「うん、ふわふわ恐竜」「知らない、想像してみる」「うん、代わりに掘っておくね」「ふわふわ恐竜、ふわふわ、ふわふわ恐竜」「ねえ!もう夜だけど?ねえ!おなか空いてるけど?」「ふわふ・・・あ、ごめん」「うちでごはん食べる?来てもいいよ、来て?」「うん、行く、ふわふわ恐竜」「あはは、行くよ?」

深夜

全ての文学、音楽、映画、芸術、快楽を、あなたの感想で鑑賞したい。

私は自身がどのような人間であるかを知っている。ブレーキがない。だからエンジンはかけない。〝動かしてはいけないもの〟を、両手で押して動かし続けている。

「一緒に死のう」そう約束をして、お互いのからだを紐で結んで海へ落ちる。私はナイフを隠している。あなたもそうであって欲しい。だけど、あなたは絶対にナイフを出さないで。私がナイフで紐を切って、自分とあなたを助ける姿を見ていて。もし、私がそれを出来ずにいたら、迷っていたら、あなたがそれをして。自分と私を助けて。「一緒に生きよう」と言えなかった弱さを悔やんで、それで一緒に生きて。

1/31

母「頭が良いのに、どうして〝あんな人〟のことを信じて罪を犯してしまったんだろうね」私「頭が良いせいでは?〝私は神だ〟と言われたとき、頭が良ければ神を分解(理解)出来てしまう可能性が高いよ。あなたが神を名乗るには何か理由があるはずだって。空っぽの入れ物に〝自分の知性で〟神を詰めてしまう。神を名乗る人に自分(知性)を詰め込んでしまう。そうなると離れるのは難しいのでは?だってそれはもう〝自分の作った神〟なんだもん。自分からは離れられないよ」母「あんたって詐欺師みたい」

ねえ、こっちに来て?私に神を詰めて。

自分の中に〝相手の神を詰められる場所を持っておく〟というのは良いかもしれない。それは愛に近い行為、もしくは愛をよく模した行為、となるかもしれない。

魂がジェラートを呼んでいる。

「同じように切っても、きっと同じ痛みではない。意味がない。あなたは切らなくていい」「ぼく、そこまでバカじゃない。そんなのわかってる。ーーちゃんと同じがいいだけ。本当のことなんてわからない、でも、どうせわからないなら嘘でも同じがいい。同じ嘘で、同じ嘘の傷を持ちたい」って言われたいので明日も生きます。

ホットケーキにアイスクリームを乗せてくれる人、好き。

鎌倉プリンスホテルの建物とプールの雰囲気、好き。

好きな人と六月の箱根で旅館にこもって死にたくなりながら死ぬほどセックスしたい。

「いやいやしないで」って私は言うけど、あなたが〝いやいや〟ってすると、好きがあふれる。私は好きでいっぱいになる。「こんなに好きなのにどうして」って追いかけ回したくなる。だから、あなたは一生〝いやいや〟しててもいいよ。

一月


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十二月

12/1

午前

私の精神的な恋愛は「神様か奴隷」ですが、現実的な恋愛は「互いを尊重」です。この居心地の悪さのせいで、私は夢中になることが出来ない。だって、たしかに、私はどちらも望んでいて。

午後

「今日こそ違うものを頼む、絶対にだ」と思うのに、カウンターに立つと思考停止して「モスバーガーとポテトとアイスコーヒー」しか頼めなくなるの、なんなの。

今夜

私が浮気相手に「彼氏いるけど、それでもいい?」と聞くのは、単純に嘘をつくのが面倒だからです。そして「それでもいい」と承諾した相手が、後になって気まずそうに「彼氏と別れてよ」と言い出すのが可愛くて大好きだからです。

深夜

まず顔が良い。圧倒的に華があるのに、常に「もっと出来るはず」と努力する姿勢が美しい。ちょっと体幹が弱そうなところも可愛いし、なんかときどき方言が出てるんだってね?可愛い。あと顔が良い。推し、生まれてきてくれてありがとうな。

12/2

午前

「きみに愛を受け取らせるのも、きみの愛を受け取るのも、難しい」と言われて思った。例えば〝あなたのことが好きだから〟という理由で私が、あなたの家の庭にリンゴの木を植えたとする。数年後、あなたは言う「リンゴがたくさんなった!ぼくはリンゴが好き、甘くて美味しい、ありがとう」私は答える「あなたの部屋の窓から見える景色って、ちょっと寂しいなって思ってた。リンゴが好きだったの?それなら良かった。でもリンゴってどこでも買えるじゃん。あなたの窓から見える景色は、あなただけのものだけど」こうなる。だからなんだって話ではある。

午後

私がグラスとして作ったものを、花瓶として使っても別に良い。〝それ〟を好きであることには変わりない。だけど「この花瓶、良いでしょう?美しいでしょう?花も喜んでる。この花瓶は素晴らしい花瓶なの」と言われたら「違うよ?それはグラスだよ?」とはなる。だからなんだって話ではある。

「こうしたら素敵、こうしても素敵」は、たしかに素晴らしいことだと思う。だけど、一度はきちんと〝それとして〟使ってみて欲しい。私は他人を見るとき、そこを気にしている。本来の使い方。あのグラスは口をつけたときの感触が良い、縁が薄く、柔らかく唇に触れる。そのように〝作られている〟それを知らずに、知ろうともせずに、自分がそうしたいからって、花を飾るの?

相手が望んでいないことでも、その行いが一般的に「良いこと」であれば肯定されてしまうのは、なぜなの。

今夜

簡単に壊せるものを壊して、それに一体、何の意味がある?快楽と情熱はある?私はいつか壊される日のために、絶対に壊れることのない私を有している。全てはその日のために。私の情熱はそのようにして使われている。

憂鬱になると喋る(動く)タイプなので、毎年毎年、12月は馬鹿みたいに喋るし、馬鹿みたいにーーーーする。

「思い出したときだけ連絡してくるのやめて」って言うけど、私のこと受け入れるじゃん、じゃあいいじゃん、受け入れるなら叱らないでよ。

母から「ねえ、こっちに来るときは普通の服で来て?あんたっていつも夜の匂いがする」と言われたことを思い出して笑ってる。

私は、他人に「自分の行動を理解しているか、説明することが出来るか」と問う。理解している、説明することが出来るのであれば、〝何をしていても問題ない〟と判断する。その行動の善悪についてはまた別の話であるし、他人の行動の善悪は私ではなく、他人が判断する。それが人間に、個人に与えられた自由であり、試練であり、権利で、自分である理由だからだ。

12/3

午前

母親に似てくる、という話がある。母は美人で、不器用で、真っ直ぐな人だった。あとちょっと言葉遣いが怠い。要は〝可愛い女〟だった。彼女の基本的な言い分は「意見が偏るのは良くない。それがどんなに良い(正しい)意見でも、一方に偏るのは良くない。みんなが同じ意見を持っているとき、一番注意しないといけない。それは本当は怖いことで、誰かがバランスを取らないといけない。うちでは私がそれをする」こうだ。私は子供だったので、正直なところ「馬鹿馬鹿しい、正しいものは常に正しい、だから〝正しい〟と呼ばれている。母は何を言っているのか、母は弱い(可愛い)女そのものだ」と思っていた。馬鹿だった。教育は素晴らしい。教育は、私に「私は間違っていた」と言うことを許してくれる。それは人間にたいして常に寛容だ。間違いは許しても、決して、傲慢に正すようなことはしない。私は今日も「正しいものは常に正しい」と思っている。しかし、一方で母と同じように「注意しなければならない」とも思っている。そして、それが自分に出来ることならば、進んでやろうと思うのだ。彼女は美人で、不器用で、真っ直ぐで、ちょっと言葉遣いが怠いけど、そこが可愛い。強い女だった。

〝間違いは許しても、決して、傲慢に正すようなことはしない〟これ、私が他人にしたいと思っていることだな。私は、教育が自分にしてくれたことを、他人にしたいと思っているのか。

午後

「はじめまして」で導火線を切りたい。私は待てない。短く切ってから火をつける、確実に火をつけるために。私だって危ない。だけど、絶対に逃げない。逃げられない距離にいる。精神性です。自身を危険にさらせない者が、他人を危険にさらしてはいけない。逃げ方を知っている、だから逃げ出さずにいられる。助け方を知っている、だから助け出すことができる。

今夜

友人「なんで女の子って男の手が好きなんだろうね」私「自分の中に入ってくるって思うからじゃない?」友人「最低な答えだな」という会話をした記憶がある。

母胎の中で受精卵が細胞分裂を繰り返しながらだんだん動物らしい形になっていくときに、その形作りに重要な役割をはたしているのがHox遺伝子。面白いのは、胴体の末端である生殖器や泌尿器を作るHox遺伝子が、同時に手や足の指という末端部作りをつかさどる。その仕組みを知ったときに、指が気になるのは遺伝子が共通だからとわかった。

絶対に謝って欲しい。

深夜

私「あなたのこと教えて?」男「んーそうだな、何を知りたい?」私「〝あなたのこと教えて〟って聞かれたとき、あなたが自分のどんなことについて話すのか知りたかったの」男「ああ、そっか、わかったよ」なぜかはよくわからないけど、このやり取りで、後のことは全て上手く行きます。

12/4

午前

先日、私は初めて「相手の言っていることがわかる」という経験をした。もちろん、これまでにも、他人の「言っていること」をわかってきたつもりだ。その言葉を理解し、対応してきた。それは間違いではないと思う。それなのに、いつも〝きみにはわからない〟と殴られる。意味がわからない。しかし、彼らは正しかった。私はわかっていなかった。

自分の中に留まる、まだ言葉になっていない感情を「自分」とする。言葉になって、自分の外へ向かう感情(言葉)を「他人のための自分」とする。私は、この「他人のための自分」を「その人」だと認識していた。実際、その人の「自分」に興味を持ったところで、見ることも触れることも知ることも出来ない〝意味がない〟と思っていた。

因果だ。結果には必ず原因がある。彼らが「寂しい」と言葉にしたとき、それを私に向けるとき、私は「寂しいのか」と、彼らの結果に対応してきた。話しかけたり、問うたり、会ったりした。もちろん、それにも意味はあると思う。しかし、彼らは原因に対応して欲しかったのかもしれない。「自分」に対応して欲しかった。だって、私のことが好きだから。

感情から言葉が離れないように、自身で調整する。これは大切なことだ。私は常に気をつけている。それでも埋められない距離はあって。「好き」のような感情があれば尚更、大きく揺れて、調整が難しくなるのではないか。そんなことすらわかっていなかった。彼らの「わかって欲しい」を「甘えている、可愛い」と愛でて、孤独を強いた。今更、胸が。

ところで、私が経験した「相手の言っていることがわかる」だが、これも自身の錯覚に過ぎないのかもしれない。しかし、希望がある。私はこの素晴らしい経験を、その瞬間に生まれた感情を、言葉に出来ずにいる。あなたの「自分」を見た、あの喜びは、死ぬまで私の中に留まり「自分」であり続けるだろう。

午後

私は、らくがきせんべいの全面を塗るような大人にはならないぞ。絶対にだ。

毎年、冬になると牛乳ばかり飲んで太る。今年も美味しい、愛してる。

私、クリスマスのこと大好き。

今夜

数日前に退院したばかりだと男は話した。統合失調のせいで人生が常に曖昧だと話は続いた。数年前から知り合いだったので、その夜に問題なく寝た。曖昧の中でも(曖昧だからこそ)彼は、優しかった。優しい人なのだろうと思った。翌朝、私は彼より先に目を覚まし、上半身を起こしてぼんやりと部屋の様子を眺めていた。ぐしゃぐしゃなベッドの上、カーテンは開いたままで部屋がひどく明るい。テーブルに蓋のないペットボトルと薬の殻、食べかけのケーキに、私の煙草と吸い殻。彼は「ーーちゃん」と何度も私を呼んだが、きっと忘れているだろうと思った。人生が常に曖昧なせいだ。しばらくすると彼は目を覚まして、はじめましてのように言った「あれ、女の子がいる、女の子だ、かわいい」それからずるずると引きずられるようにもう一度寝た。私には女の子以外の名前がなく、彼にも名前がない。自分の人生に、常に自分の名前がついているとは限らない。精神が常に曖昧なせいで、寝ている間も部屋はひどく明るい。

深夜

私「ねえ、さっきなんて言ってたの?」男「〝こんなときだけーー語で話すなんて変な気分、そんなに良いかな、なんて言って欲しい?教えて?気持ち良い?俺のこと好き?聞いてる?〟って言った」私「日本語でもエロい」

12/5

午前

実際の私は、細かいことにあまり興味がなく、まあ森を見て木を見ないタイプだ。木が森を作っていることは理解しているが、森はもう森として、木から切り離された、独立した別の存在であるとも考える(私の偏見による)。それはもう、単純な木の集まりではない。意外に思われるかもしれないが、私は、ぼんやりとした大きなものを優先する。信頼ではなく、優先だ。例えば「冬の」「ある一つの」「感情」を誰かに伝えようとするとき、私は「寒くて、切なくて、暗くて、悲しくて、甘くて、楽しくて」ではなく「金木犀の匂いを感じたときの、あの感じ」こちらを選択する。感じ方など、それこそ人によるわけで、全く「正確であること」に弱い。だけど、私は後者の方が正確に伝わると判断する。最後はなぜか他人の解釈や感覚に頼り、他人を信じる。他人を愛しているからだ。

まあ単純に、感情は抽象的なものであるから、抽象的な表現を選択し、抽象的という同一性を持たせることで、違和感を避け「正確であること」を強化した、とも言えるんだけど。

午後

私、推しのことはイノセントな目で見てる。推しはエロいけど、エロくない。他のメンバーについてはまあ、あれだ、うん。

深夜

死ぬほど好きだったけど、死ねないことはわかっていた。だって私は、悲しいほどに〝そういう人間〟だから。いつか終わるだろうといつも思っていた。真冬の夜、彼は言った「しゃぼん玉しない?」深夜一時。近所にある大きな公園、街灯に照らされた彼と、彼の黒いコート。吐き出した白い息で、愛は真っ白な実体を得た。愛が意思を持って彼の形を模している。「寒くない?しゃぼん玉が凍りそう」そう遠くで笑う姿。しゃぼん玉を目で追って、空を見上げる仕草。星が増えたような夜に、私が呼んだ名前は〝神様〟だった。この瞬間を死ぬまで忘れたくない。そう祈った。いつか私たちは終わるだろう、だけど私は、この夜の彼のことをきっと、何度も何度も思い出す。そう思った。結局、冬は一度しか来なかった。私のせいで来なかった。神様、あのとき、あなたの名前を呼んでよかった。嘘ばっかり、いつか終わるならもっと、彼の名前を呼べばよかった。

12/6

午前

「君は痛みを感じない、君みたいになりたい」と恋人。私は、自身を大切な存在だと感じていない。自己肯定感が低いだとか、そういう話ではない。あなたは少し勝手だよ。花が舞い散れば、美しいと見上げるでしょう?落ちた花びらの上を、靴で歩くでしょう?今、花は死んで、踏みにじられているのに。痛みはどうしたの?あなたの痛みの前では、あなただけが特別なんだね。私も、花も、あなたも、誰かもみんな同じ。あなたが死んだとき、誰かが美しいと見上げるかもしれない。悪意すらなくて、ただ自然なこととして、靴で踏みにじるかもしれない。それを許すんだよ、私みたいに。

午後

基本的には「あなたにはあなたの自由が、理由が、正義がある」という精神状態なんだけど、追い詰められると「いいか、よく聞け、愛している、何が不満だ?言え。不安か?勝手に不安になることを許していない、言え。秒で解決してやる、言え」となる。めちゃくちゃ言わすじゃん。

今夜

新しい楽器を作ろう、という授業があった。子供の頃の話だ。私が作ったのは、音の出ない楽器で、見た目はオブジェに近い。形は何でも良くて、そのときは木のような形にした。枝の先に「あ」や「か」や「り」などの「字」が付いている。人が集まることを前提とした。これを見た人々は、頭の中で口にする「〝あ〟」「〝か〟」「〝り〟」と。それぞれの声には、高さ、低さ、女性、男性、大人、子供、それぞれの個性があって、みんな違う。様々な音がある。私の楽器はその音を集める。それを並べて「音楽」にする。

もちろん、音は聴こえない。頭の中の声だから。だけど、自由がある。確かに説明は必要だ。指で押して音が出るようなものではない。楽器として機能しているのかは難しいところ。だけど、自由がある。私がこの楽器について人々に説明をすれば、彼らはすぐに、頭の中で音楽を奏でることが出来る。誰でも弾ける。私のように、実際は楽器を弾くことが出来ない人間も、一瞬で音楽家だ。そして、この説明が終われば〝オブジェ〟さえ必要なくなるかもしれない。楽器から概念へ。そういう楽器だ。

私はこの楽器を心から愛している。私が愛する〝仕組み〟の全てがそこにあるから。あなたはこの楽器に似ている。楽器で、音楽で、概念。人々であるのに、大変に個人的。どこまでも自由なのに、そうであるために説明を必要としている。いい?よく聞いて、私はこの楽器を心から

深夜

友人「あなたの〝〜だね?〟って口調を聞くと安心する。少し偉そうなところ、安心する」私「あはは、そうでしょ?」

私「ねえねえ、私の口調って少し偉そう?」家族「ん?そうだよ?気づいてなかったの?基本的に上からじゃない」

考えたことなかった。私が上からなのではなく、みんなが自身を下に置きすぎているのでは。ん?こういうところか?「〜だね?」は「私はこう思う、あなたはどう思う?」みたいな雰囲気で、なんていうか、自分の中では〝余裕を持たせた語尾〟なんだよね。私はこう思う、あなたはどう思う?二人で決めようよ、みたいな。変更可能だよ、そういう仕様だよ、だからさ、これはすごく、愛に満ちた語尾だね?

12/7

午前

私は、相手に、私を持たせようとは思わない。信仰は、服に縫い付けられたボタンと同じ。他人に持たされた信仰も、確かに機能するだろう。雨や風を凌ぎ、体を暖めるかもしれない。そのボタンを愛しているというのも事実だろう。だけど、ボタンが割れ、服は擦り切れ、みっともない姿だと人から笑われ、それが〝機能しなくなった〟とき。あなたは魔が差したように一瞬、簡単には脱ぐことの出来ないその服を、疎ましく、重く、感じるかもしれない。私はその揺らぎを、弱さを、決して許しはしない。私は、相手に、私を気づかせなければならない。この服に縫い付けられているボタンがそれであったと。雨や風を凌ぎ、体を暖め、心を満たす。ボタンが割れ、服は擦り切れ、みっともない姿だと人は笑っている。あなたは動じない。そのボタンに愛されているという確信があるからだ。心ない人がやってきて、あなたの服を切り裂き、奪っていった。あなたは恥じない。その体は、心は、あのボタンが縫い付けられた服を着ていた。その事実を、誰が奪えるというのだろう。信仰は決して寛容などではない。相手を選んで語りかける。私はあなたを選んだ。

午後

フィレオフィッシュを頼んでいる人、全員かっこよく見える。

12/8

午前

言い争いになった。完全に行き詰まった。彼女とは付き合いが長いし、これくらいのことは問題ない。「あいつを殺さなければおまえを殺すと脅されて、人を殺しました」このような話。私の主張は「どのような理由であっても、人を殺したという事実は変わらない。もちろん、事情は理解する。だけど、事実として人が死んでいる」こうだ。彼女の主張はおそらく「脅されてしたことだ。もちろん人を殺したことは悪いが、脅した奴が一番悪いと思わないか?脅されなければ人を殺すことなんてなかったはずだ。脅した奴が一番悪いと思わないか?」こうだ。正しいんだよね。だから何も言えなくなる。お互いが「あなたの言っていることは〝ある意味では〟正しい。だけど」こうなる。

事実は人で見ない。だから私の主張は、誰の罪も同じように裁こうとするだろう。事情は人を見る。だから彼女の主張は、誰の心も同じように救おうとするだろう。

ところで、その日の深夜、私は彼女に「仲直りしよう。もっと別の言い方があった、ごめん」と送った。「仲直りしよう」はエロすぎないか。絶対に言われたいんだけど。

午後

頭と心が一致して、初めて他人を要求した。人生の余暇に誘ったわけではない。人生に呼んだ、人生に必要だと言った。絶対にあなたが良い。

夕方

「ねえねえ、思ったんだけど、ぼくって〝ぼくと会ってるときのーーちゃん〟としか会えないでしょ?ーーちゃんも〝ーーちゃんと会ってるときのぼく〟としか会えない。でもぼく、ーーちゃんと会ってないときも、ーーちゃんと会ってるときの自分でいる。あはは、なに言ってんの?って感じだよね。でもそうする、そうしたい」って言われたいので今日も生きます。よろしくな。

今夜

今朝、目が覚めて最初に思ったことは「ダメだ〝すきすきセックス〟しないと死ぬ」だった。既に人として死んでる。

ごめんなさい。本当は〝しゅきしゅき〟でした。僅かな理性が〝すきすき〟と偽りました。私は恥ずかしい人間です。絶対に愛して欲しい。

12/9

午前

ぼんやりと政見放送を眺めていると、突然愛の告白が始まった。おそらく〝そういうタイプ〟の候補者だった。彼は、何度も恋人の名前を呼び、自分がどれほど彼女を愛しているかという話を、最初から最後まで続けた。私はぼんやりと「これ、パフォーマンスアートかな」と考えていた。本人が何を意図していようが関係ない。芸術はそのような性質を含んでしまっている。誰か一人でも、見る者が〝それを疑ったとき〟既にそれとして機能している。

私はニコニコしながらそれを眺めていた。大なり小なり芸術は政治をやるが、基本的には「芸術の中でやる政治」だ。自身の作品や、芸術に、主張を「反映させる」あくまでも芸術家として主張するのであって、誰も彼らを政治家とは呼ばない(思想家とは呼ばれるかもしれない)。だから当然、政治家として批判されることもない。

その候補者を政治家と呼ぶことは出来ない(芸術家でもないだろうし、思想家ではあるかもしれない)が、〝あらゆる思想が許容されるような世界〟ではなく、〝絶対的な正解を求められるような場所〟で、それをやった。何を主張したかは大した問題ではない。言葉は思想を反映する、変化を許容してしまう。どこで主張したか。行動は情熱を反映している。私は、最初から最後まで、ニコニコしながらそれを眺めていた。だってなんか面白かったから。

午後

好きな子の家、ドアに〝数学〟と書かれた部屋に入ると、一台のピアノが置いてある。私を悩ませる、私と遊んでくれる、私はそういうのが死ぬほど好き。

夕方

三連になっているリングを買ったとき、店員さんが「一本一本に意味があって、それぞれが愛情、忠誠、友情を表しています」と教えてくれた。「へー」と思った。私は〝三本が回転しながら指に収まっていく様子〟を気に入った。

12/10

午前

時間、記憶について話していて思った。今、こうして、あなたと話している私が「未来のあなたの記憶の中の私だったらどうする?現在が未来の過去だったら」あなたが完璧に再現した私だったら。そう考えた瞬間、私は時間を失っていく。意識の縁が滲む、私は私であるという確信がひび割れて、私の自分を失っていく。それで、思う「本当は私があなただったらどうする?」新しく確信していく「他の記憶の〝あなた〟はきちんと私に馴染んで〝あなた〟になったのに。この記憶のあなたは全然私に馴染まないんだね、あなたはいつ私になるの?最初から、あなたは私で、私があなたなのに」相手の目の前に指を立てるのは、意識を集中させるためだ。簡単にバラバラになろうとする意識を引き止めるため。単純な暴力ではない、救済なんだよ。私の指を見て?それから私を見て、聞いて「私ではないあなたは、あなたではないのに」これは私ではなく、未来のあなたの言葉。

午後

みんなへ。今から私が言うことを最後までよく聞いて。わかる、否定したい気持ちはわかる、でも最後まで聞いて。私、これまでに一度も、他人に「欲しいものを求めたこと」がなかったかもしれない。わかる!!!!!死ねって感じだよね!!!!!絶対にモテたい!!!!!

深夜

推し、別におしゃれではないメガネ、別におしゃれではないチェックのシャツ、両親から贈られたネックレス、というシンプルオタクスタイルでレコーディングを頑張っている。その映像の全てが私の性癖に刺さる。あと指が綺麗(二回目)骨っぽくて大変に良い。他意はないが推しの指が気になる。他意はない。他意など。

12/11

午前

私が「この人いいな、側にいようかな」と思った友人、いつもオープンに見える。私もわりと他人にたいしてオープンなんだけど、それはあくまでも「全ての考えを聞く、優劣はない、矛盾したら質問するよ」であって、他人と「じゃあ食事でもしながら話そうよ」とはならない。食事はしない。友人は〝はじめまして〟で「じゃあ食事でもしながら話そうよ」をやる。信じられないほど楽しく、優しく、軽くその誘いを断ることが出来る雰囲気まで添えてやる。だから相手はそれを断らない。彼は、他人を受け入れる。そこには「他人の考え」も含まれている。私は、他人の考えを受け入れる。そこには「他人」は含まれていない。

午後

好きな子の家の周りをぐるぐる回って、家の中もぐるぐる回って、ずっと調べている。いちばん好きなのは、私「ねえねえ、屋根のいちばん上についてる飾りって何?あれって何の意味があるの?」「え?飾りがついてるの?気づかなかった。多分ぼくが作ったんだよね、ぼくの家だし」私「そうだと思う。あれがいちばん好き、かっこいい。この家のシンボルでしょ?何を意味してるんだろう」「なんだろうね」私「考える」これです。ずっと考えている。

今夜

相性ってあるじゃないですか。「お互いのために生まれたみたい」という自然な相性はもちろん好きなんですけど、「わかった、ちょっと待って。今、自分のこと壊すから。いや、君のこと絶対に欲しいし、全く問題ない。今、君のために生まれる。それが自分のためになる」という不自然な相性も好きです。つまり、なんでもありだな?

それで、あなたは「〝自然〟と〝不自然〟の場所を入れ替えても、不自然ではないね?」と笑って欲しい。

12/12 

午前

「空気が読めない」と言われてきたけど、あれだけ言われるということは実際、そうなんだろう。正直なところ、私のどこを見てそう感じているのか、よくわかっていない。ただ、空気に興味がないのは事実です。空気、誰の願いを叶えている?私に空気が読めたとして、それは誰かの願いを叶える?私が空気を読むことで、100の満足を得る誰かが存在する?それは私に確認することが出来る?私は自分を読むことで、100の満足を得ている。これは死ぬほど確認した事実です。空気はこの事実より重要?誰かが嫌な思いをしないための空気なら、その誰かは私でもいいね?ああ、なるほど。これか。

私の「緑が好き、緑が欲しい」にたいする「緑ね、わかった(エバーグリーン、フォレストグリーン、セージ、モス、ミントグリーン、セラドン、いやビリジアンかな?もしかして青も緑と呼んでいたりする?)」というあなたの繊細さ、大変に美しいと思っています。

深夜

思想は言葉にすると意思のように見える。思想より自然に、言葉より自由に、意思は願いを叶えてしまう。

12/13

午前

「くまさんのクッキーは可愛い」には、最低でも三つの「知っている」が必要になる。一つ、くまさん。くまさんを知らなければ、くまさんの形を作ることはできない。二つ、クッキー。クッキーを知らなければ、クッキーを焼くことはできない。三つ、女の子。女の子を知らなければ、くまさんのクッキーを〝可愛い〟と感じることはできない。甥が四つになったら教えてあげようと思う。

もちろん〝可愛い〟の部分はなんでもいい。私は「〝可愛い〟は何に例えよう」と考えるまでもなく「女の子」が浮かんだ。どう生きたか、生きているかによる。ここまで教えよう。

ところで「くまさんのクッキーは可愛い」は、私の直感についての話です。私がどのように直感(連結)しているか。そして、どのように確信していくのか。話は、新しい蝶を見つけたような話へ続く。以前にも書いた〝その蝶は、確かに昨日も世界にいた。だけど、昨日までは世界にいなかった。私が蝶を見つけると、その蝶に昨日が生まれる〟という話へ。突然、意味を持つことを私は直感と呼んでいる。その蝶は、確かに昨日も世界にいた。待っていた。自身が必然に変わる瞬間を、世界で、待っていた。

午後

感情「なんかわかんない」思考「何がいちばん嫌?」感情「わかんないのが嫌」思考「わからないと不安になる?」感情「多分そう」思考「〝わからないから不安になる〟ことがわかったけど、どう?」感情「うん、そうだね。でもわかんない」思考「つまりね、これは何の問題もない状態なんだよ、〝わからないから不安になるのは当然のこと〟で、当然の状態である今の、何が不安?」感情「わかんない、でもなんか落ち着いてきた。話してくれてありがとう、好き」思考「うん、いいよ」

今夜

心理士さんは「知的好奇心を刺激されるものでないと興味が持てないのかもしれません(そうでないものに対する反応があまりに鈍い)」と教えてくれた。私は自身の知的好奇心を意識したことはない。何もかも全てを〝熱狂的に知りたい〟というタイプでもない。自身ではそう感じていた。趣味もないし。誤りだった。知的好奇心を刺激するものに出会ったことがなかっただけだった。知的好奇心を刺激するもの、その対象、完全にやばい。ーーで良くなっているとき「ああ、全てが嘘だった。今、この瞬間まで、世界に〝気持ち良いこと〟なんて一つもなかった。全てが嘘だった、今が本当」とゲラゲラ笑って言ったが、それすら嘘だった。その対象、あの子は完全にやばい。

深夜

「熱いストーブの上に一分間手を乗せてみてください。まるで一時間ぐらいに感じられるでしょう。ところが、かわいい女の子と一緒に一時間座っていても、一分間ぐらいにしか感じられない。それが相対性というものです」

思春期に読んだ本の中で、ある物理学者の言葉として紹介されていた言葉。私は「なるほど。条件(人間)によって時間は変わる。じゃあ、その対象に完全に対応(一致)するものを見つければ、一分間は一時間に、一時間は一分間になる。時間を脱して、自由になるね?」と思った。これは私にとっては正しい。他人にとってはそうでもない。まるで人生そのものです。

12/14

ああ、私?私は〝無邪気な邪気〟って呼ばれてる。よろしくな。

友人がくれた「たくさん持っていても余らせてしまうだけだ。大丈夫、きみはめちゃくちゃ綺麗だよ」という言葉を、ときどき思い出している。余らせてしまうだけ。綺麗な思想だ。

心理士さんから「論理的に考えます」と言われて考えたんだけど、論理的思考とはつまり「1+1=2」から「 + = 」を取ってくるかどうか、という話だと思うんだけど、どうかな。

好きな子「おすわり、待て」私「ええ、かわいい、余裕でする。いいこにするね?」好きな子「・・・」私「もしかして〝よし〟を知らないのかな?かわいい」

私は自身の性欲に嫌悪感がない。だから、平気でそれを他人に向けてきた(だって綺麗なものと変わらないから)わけなんだけど、そうか。相手が自身の性欲に少しでも違和感(嫌悪感)があるようなら、他人から「他人のそれ」を向けられることも、苦しく感じるのかもしれない。考えたことがなかった。無神経だった。

今日、頭が全く回りません。キスしないと死ぬ。以上です。

〝よし〟を、ずっと待ってる。

前から感じてはいたんだけど、何かについて説明をするとき「ーーで、ーーで、ーーだ。例えば」この先「例えば、くまさんのクッキーは」「例えば、うさぎのぬいぐるみだとして」「例えば、キャンディが」これ。私、例えが妙にメルヘンになる。なぜなのか。

12/15

私「私のどこが好き?」元彼「クズみたいなところ」私「好き!!!!!」

端の方に小さく「キス やり方」というタブが見える。人として死んでる。

私「なんで〝変わってる〟って言われるんだろう。私はわりと保守的なところがあると思うんだけど」家族「まあ、変人だよね」私「政治に関してはリベラルかもしれないけど」家族「ほら!今、政治の話なんてしてないよね?なんで出してきたの?そういうところだよ?」私「ええ?保守的と言えば政治が浮かぶよね、おかしなところなんてないけど?」

例えば「パズル」の話だ。そのパズルが木製なら木の話をしても良いし、緑色なら色の話をしても良い。立体ならビルの話、平面なら道路の話。完成した後に、動物が現れるのなら料理の話、花が現れるのなら蜂の話。どんな話をしてもおかしくはない。この「パズル」は矛盾した後に、人生を表す。

うん、そうだね。そのせいで、私のコミュニケーション能力は死んでる。人生をよく表しているね。

12/16

言われたこと、教えられたことをするのは、鏡に映った街を歩くようだと子供の頃から思っていた。そこも街だけど、私の視線は街にあるけど、その中に入ることは出来ない。立体を映した平面。今も同じ、理解していないことをするのは難しい。

壊れないものをあげたいと思う。絶対に壊れないものを。だけど、あなたがそれを手にするとき、私はきっと「絶対に壊れないけど、こうすると簡単に壊すことが出来る」そう教える。私の愛が、愛しているならそうしろと言う。愛と自由は一緒にいないと。

私「どうして匂いを嗅いでくるの?」家族「なんか良い匂いがするんだよ」私「それってどういう匂い?」家族「なんか甘くて、なんていうの」私「〝クッキーみたいな匂い〟」家族「そう!焼き菓子の匂い!」私「前に言われたことがある、クッキーみたいな匂いがするって」色々なことが心配だな?

「あれ?私と話すのつまらない?」と感じると、父が首を傾げる姿を思い出す。その話はしたくないという合図。見たくない仕草。

だって、絶対に今日だって思った。あなたは私のものだよ。

「ーーちゃん!このあとって時間ある?本当?あの、うん、あ、えっと、ーーちゃん!うちパルムあるよ?(だからうちに来て)」って言われたいので明日も生きます。よろしくな。

12/17

私「私のことどれくらい好き?」元彼「君がそんな低俗なことを聞くなんて驚きだよ」私「えへへ(私にどれくらい〝言葉を尽くしてくれるのか〟と問うてる)」

猫が撫でられているだけの動画を眺めていたんだけど、猫、ずっと「お?ああ、まあ、そうだろうな?」みたいな顔で撫でられていた。うん、まあ、そうだろうな?

占いのお姉さんは「恋愛だけだと力を持て余してしまう(何か他のことにその力を使った方が良い)」と教えてくれた。わかります。そして、それを聞いた自分が何をするのかも、私はわかっています。もちろん恋愛だ。今までよりずっと良くなる。だって、私「ああ、じゃあ、相手に死ぬほど贅沢をさせるか」と思った。私は有り余る私で、相手に死ぬほど贅沢をさせるつもりだ。他のことは後でやる。

深夜

祖母が入院したとき、私は祖父に「私にあげられるものがあれば何でもあげる」と声をかけた。臓器の話だ。祖父は亡くなるまで、何度もその話をした。嬉しかったと、救われたと。あなたは本当は優しい人間なのだと、何度も私に教えてくれた。子供の言ったことだ。おじいちゃん、今度こそ喜んで良い。私は今、愛する者に、きっと同じように声をかける。そのような大人になった。あなたがそう教えてくれたから。喜んでくれ。

祖父がため息まじりに「幼児洗礼を受けさせたんだけどね、あれだもんね」と口にしたことがあった。父のことだ。あれは13歳の冬。帰りが遅いと父の部屋に呼ばれ、膝を折った瞬間にまずは右の頬を打たれた。父は「何度も同じことを注意させるな」と怒鳴ったあと、今度は左の頬を打った。体が崩れ、心は完全に折れた。神様、私はまだ何も差し出していません。神様、私は一体、何を教えられたのでしょうか。

12/18

午前

君を思っている、守っている、愛している、そう伝える仕草も、努力も、過去もなく、頬を打てば、それは当然ただの暴力になる。親も、子も、役割もない。暴力は他人の心を傷つける。当たり前のことを言わせないで欲しい。全ては〝関係性〟によって許されているだけだ。全て甘えだよ。他人から多くを許されたいのなら、許したいのなら、日々、関係を続けるしかない。仕草を、努力を、過去を、与え続ける。何度も同じことを言わせるな。

あのキスは愛情で、このキスは暴行だ、だって〝恋人〟じゃないから。

今夜

私は別に、君を理解しようだとか、理解してあげたいだとか、そんなことは思っていないよ。君の心は君だけのものだ。私はただ、本になっているから読むだけ。読まれるために本になったはずだ。それで、それが、どの本よりも好きだったという話。そういう御伽話で、死ぬまで枕元に置きたいと思った、それだけの話。

「(ねえねえ、ーーちゃん、ぼくのも一緒に注文してもらっていい?なんかちょっと、うん、ラブポーションサーティワンにする)」って言われたいので明日も生きます。よろしくな。

11/19(今日は過去からお送りします)

100万回生きたねこ、白いねこが「ええ。」と答える場面、涙が止まらないな?

自分を生きなければ、自分として死ぬことは出来ない。私は自分として死ぬために、自分を生きる。

自身の暴力性のようなものはよく理解している。抑制している。人は「危うい」と言う。「あまり孤独にならない方がいい」と。それは自身に向かう。いくつかのパーツは飛ばしている。

「他人を傷つけたことに傷つくな」と自身に言い聞かせている。他人を傷つけずに生きることなど出来ない。私が傷つけたことで傷ついて良いのは他人だけだ。

生きるとか死ぬとか神様とか言って、大変に十二月らしいですね。

「死ぬまで膝を汚すな」とのこと。

あらゆる欲求を持て余している。絶対にモテたい。

ガレットってあるじゃないですか。うん、そば粉の。私、ガレットって好きだな。

大人と子供がガチャガチャ切り替わる。相手は大人であることを求められたり、子供でいることを求められたりする。私と一緒に楽しんで欲しい。

12/20

私、人との約束をあまり覚えていない。

「怖い」という感情、二度と感じたくない。

燃え上がろうとする欲を、踵で踏んで消している。

フランス詩人、食べ物と女の話ばっかりしてるな?愛してる。

停滞を感じると全てが怠くなる。

その人のことはその人がする。手を出してはいけない。それなら、ーーはどうやってするの。

いちばん好きな詩を読んでいる。体温があって、幸福があって、喜びと、それについて回る恐れ、それから願いのようなものもある。

マックのハンバーガーって、なんかこう、ちゃらちゃらした紙に包まれてるじゃないですか。好きですね。

他の人にされたら押し返すような態度も、あなたには許している。少しも嫌な気持ちにはならなくて、不思議な気分で見つめている。他の人に言われたら押し返すような言葉も、あなたが言うなら聞くことが出来る。〝聞いてしまう〟ではないよ。聞くことが出来る。耳から入って頭を回って心に落ちる。だから、何でも話して。あなたの声、すごく好き。

ねえねえ、全部あげるね。

12/21

午前

私はこの人生で一度も〝お隣さんの夕食のメニュー〟を気にしたことはない。だから、どのような性別、性自認性的指向にたいしても「そうなんだ。私は今晩、ハンバーグに目玉焼きを乗せる予定だよ」この程度の感想だ。挨拶と変わらない。もちろん、彼、彼女らと社会について。彼らが社会から受ける影響、彼女らが社会に与える影響については、人間として考える必要があると思っている。思ってはいるが、私はそもそも他人に興味がない。私に何か言えることがあるとすれば〝お隣さんの夕食のメニューなど気にするな〟この程度のことだ。では、なぜ私が今、この話をしているのか、それは〝今、この世界に存在する人間のほとんどは、ほとんど例外なく全員、男性と女性の間に生まれている〟この一点にひどく心惹かれるからだ。どのような性別、性自認性的指向であろうとも、皆、同じ。同じように生まれた。科学や医学ではなく、これは精神の課題だ。根幹をノックする、心が震える。お隣さんの夕食のメニューなど気にするな、私たちは皆、同じように食事をする。生きるために。では、この空腹は一体、どこから。

〝生きるために〟と書くか、〝生きているせいで〟と書くか、少し考えた。上が私の答えです。

午後

生殖について。私はおそらく、ここで遺伝子を切るだろう。こう考えている。〝私が完成形である〟と。これまでの全て、父も母も他も、何もかも全てが〝私になるために〟尽くしてきた。私で咲いて、私で散る。種は落ちない、私が握り締めている。これ以上の花など望ませない。もう何も望めないほどに、私で、完成した。そうでしょう?

完成形が無職なの、人類という感じがして大変に素晴らしいな?

夕方

抱き合った相手から体を離したとき、深く、自分自身を感じる。私は、型で抜いた方を私だと思っている。それなのに、あなたが手にしている私ではない方のそれも、まるで、私みたい。

お昼にツナを食べた。口から猫の匂いがする。飼ってる。

昔の恋人、二の腕とか太ももとか〝人には見えない〟ところを切りながら、何度も自分を傷つけながら、私に「きみの体は綺麗だから絶対に切らないで」と願ったこと、死ぬほど切なくて、死ぬほどエロいと思っている。

願って、叶えるから。

私「ああ、だからそれは(手が止まる)」家族「ごはん食べてからね?」私「ああ、だからつまり(手が止まる)」家族「冷蔵庫しめな?」私「ああ、だからこれは(手が止まる)」家族「お風呂に入るんじゃなかった?」人生で静止する時間が多すぎる。

深夜

あの子の口に死ぬほどリンドール詰め込みたい。キスしたら甘い。

12/22

子供の頃から、〝大人になったら働く〟というイメージを自身にたいして持つことが出来なかった。やはり、イメージ出来ないことは実現しないのだな。なぜだかずっと「大人になったら画家になって、たくさんの絵を描いて、たくさんの恋人を持って、病んで、叫んで、人のお世話になりながら暮らして、愛したり、愛されたりして、それでなんか、どうしても寂しいんだろうな」と思っていた。絵の才能はなかった。それ以外の才能はあった。やはり、イメージ出来ないことは

髪に、頬に、唇に指をかけて、爪の先でゆっくりとひっかいて。暗闇みたいな夜空に、青の、赤の、緑の星が現れる。子供の頃にそうしたように、私に、そうして。

「誰か」と祈った。祈った分だけ、私は、私になった。誰もいない。全ての「誰か」が私になって、ただ、ここに、私がいる。

12/24

「そんなことは聞いていないんだけど」と言われて「ああ」と思った。なぜ、待っていてくれないのか。私は今、確かにその話をしている。可能性を拾い集めている。「はい」か「いいえ」で答えられることに「はい」と「いいえ」で答えれば、話はすぐに終わる。私はもう少し話していたい、ここで話していたい。だから出かけていく。最後には帰る、あなたに答えるから、もう少し待っていて。

心ってどうやって作っているんだろう。クッキーみたいなタイプと、レモネードみたいなタイプに分かれるイメージがある。

小指に白い糸が結ばれている。あなたの小指にも。私は手首を切って、白い糸を赤く染める。血が伝う、赤く走る、血管で繋がっていくイメージでもうすぐ、あなたに運命が届く。

死ぬほど悩みながらも「え?なるなら?ドムかサブか?ああーーーーードムで」と答える。

いろいろな人に会った。綺麗な折り紙を持っている人、珍しい折り紙を持っている人、沢山の折り紙を持っている人に、難しい折り方を知っている人や、新しい折り方を考える人。そういう人と出会うたび、私は「素敵だね」と思った。私は一人で鶴を折り続けていた。他のものは折らない。最初に鶴を折ったとき、死ぬまでこれを折り続けると〝わかってしまった〟から。ある日、あなたはやって来て、私に言った。「自分はこの〝金色の折り紙一枚〟しか持っていない。この一枚しかない折り紙で、何を折るかずっと考えていたが、鶴にする。きみは鶴を折るのが上手いんだろう?」私はわかってしまった。他のものなんて

真夜中、真冬の路上。吐き出した白い息と街を歩いていると、街の端に切れ目を見つけた。夜が破けている。近づいて覗き込んでみると、あちら側で同じことをしている人間と目が合った。〝まぬけなやつ〟彼だ。私は聞く「私のこと、まぬけなやつって思ってる?」彼が答える「思ってる。思ってる?」私も答える「思ってる」彼は続ける「あのさ、ソーイングセットって持ってる?」私は鞄の中からソーイングセットを取り出した。彼はこちら側へ戻ると、夜の裏側もまた夜だった、つまらない話だったと針に糸を通した。白い糸。彼は「夜を縫うのは初めてだよ、せっかくだから星座みたいにしよう」と笑った。笑って私にそう言った。彼の指で、夜がきらきらと直っていく。街の端、星座の隣、星のように揺らめいて、彼が聞く「あのさ、やっぱりいい、言わない」私は答える「思ってる。思ってる?」彼が言う「思ってる」唇から離れたあと、温かい白い息を吐き出して彼は笑った。

ここにいろ、離れるな。

12/25

そんな感じで、次の曲に行こうかな。ラピスラズリとといちゃんからのリクエスト。おお、とといちゃんいつもありがとうね。なんかそう、去年のクリスマスもリクエストくれてたのかな。ああーとといちゃんは今年も一人か。いや、書いてあるのよ、今年も一人ですって。でも大丈夫、今年もぼくが一緒にいてあげるからね?あはは、じゃあ、とといちゃん一緒に聴こう?サカノウエヨースケで〝ランプシェード〟

私が拗ねたときはスイスミスを(お湯ではなく牛乳で溶いて)渡して欲しい。

好きな子の声、甘い。鼓膜に泊めたい。指で喉に触れて、声にキスしたい。

「あなたは誰のことも羨ましいと思わないんだろうね」と言われたことを思い出している。不思議なことに、私は誰のことも羨ましいと思わない。

金魚、人間の欲望で作り出された美しい観賞魚、愛してる。私は人間だから、少し乱暴に愛でるね。

大変なことに気づいてしまった。私、クリスマス    したことない。なるほどな。

きらきらする前にクリスマスが終わってしまう。私は焦っている。

死ぬほど悩みながらも「え?一番好きなアジアン・カンフー・ジェネレーション?ああーーーーー〝君という花〟で」と答える。

12/26

「好き」と「なぜこんなに好きだと感じるのだろうか」で、私は三つの好きを掴んでいる。私がこれを〝三つ〟と数えることを、あなたは多分、わかっている。

その年は〝何でもポケットに入れておきたい〟年だった。私は全ての持ち物をポケットに入れてどこへでも出かけた。ある人は「小銭が鳴ってる、女の子なのにみっともない」そう言って私にキスをした。ある人は「女の子なのに鞄を持っていないのがかっこいいと思った」そう言って私にキスをした。どのように愛してもいい。私はただ、彼らの自由を見ていた。

ドーナツを特別な食べ物だと思っている。思考させるから、はまた別の話として、単純にドーナツという食べ物を特別だと感じているし、それは〝好きな人と食べるもの〟だと思っている。私は、特別にドーナツが好きなわけではない。好きな人と一緒に食べたいだけ。今朝、なぜなのかと考えていて、思い出しました。父です。父が好きでよく買いに出かけた。私の手が止まる。父が何を好み、選んでいたのか、何も思い出すことが出来ない。〝好きな人と食べるもの〟可哀想で、笑える。父へ、一度では足りないので、もう一度死んでください。

ゴールデンチョコレート、ダブルチョコレート、チョコファッション、という私の選択にたいして「全部同じじゃん!全部チョコ!」とのお言葉。鈍感さんなのかな?

私は全ての〝やってはいけないこと〟を〝やってはいけないとされていること〟と考える。結果は同じだが、様子は異なる。

好きな子の膝に座って「ねえねえ、お仕事してえらいね?お仕事してるのかっこいい、好き。お仕事いつおわるの?ねえねえ、好き?」と聞くだけの生き物になる。ぜっっっっったいになる。

愛及屋烏(あいきゅうおくう)

溺愛、盲愛のたとえ。 「屋烏」は屋根にとまっている烏のこと。 その人を愛するあまり、その人に関わるもの全て、その人の家の屋根に止まっている烏さえも愛おしくなるということから。

初めて楽園を見た。足元に遠浅の海。私は真っ白な砂を足で踏んで、巻き上がったそれを指の間から逃している。太陽でぬるくなった海水、砂を映した真っ白な海。どこまでも続いて、先は空と繋がる。彼も、私と同じようにしてそこに立っていた。静かに、指の間から砂を逃している。私を見ていないのに、見ているみたいだった。手を繋いでいないのに、繋いでいるみたいで、何も言っていないのに、何もかも言っているみたいだった。何もないのに、ないものが一つもない。いけないことなど一つもなくて、私たちはただ、お互いを

12/27

精神を見つめている。

私は、他人の性質をほとんど拒絶しない。それでも「ああ、それはダメだよ。その思考は不潔、受け取らない」という瞬間はあって、でも、それだけ。「それは受け取らない、他のものが欲しいよ」と続く。続いていく。

12/28

ここでの印象と、実際に会って話している私の印象はかなり違うようで、昨夜もペラペラとはしゃいでいると「言葉のセンスどこ行った?(意訳)」と笑われた。おそらく私は、無意識に調整している。ヘラヘラしている。だって隠しておけば、私の中にそれを探すでしょう?私の中にそれがあることを、あなたはよく知っているでしょう?探しに来て。

兄「ーーー(私)は、他人の懐に入り込むのが本当に上手いなあ、どうやってるの?」私「〝おじゃまします〟じゃなくて〝おかえり〟って言う」

何があるかわからない世の中なので、良さそうなフレーズを拾って来ました。私はこれで行きます。「Sorry, I forgot your name. Can I call you mine?」よろしくな。

どうして私は、自分自身を〝このパーツひとつ外せば全て壊れる〟そのように組んでしまうのでしょうか。本当は何が欲しいのかと自身に問うて、返ってきた答えは愛です。愛とされていることは、もういい。私は知りたいのです。〝このパーツひとつ〟が、私の全てであるということに、あなたが気づくのかどうか。これは私の愛です。愛とされていることではありません。

12/29

「なにそれ許す」と「なにそれ殺す」が同時に同等に存在する。

元彼「子供がいたらなんて名前にしたい?」私「〝本音〟」元彼「それは可哀想だからやめた方が良いと思う」なぜなのか。美しいのに。

〝本音〟は男の子だから大人になったら「え?あはは、不安?ねえ、名前呼んでよ。うん、そうだよ。だから嘘は言わない」って言う。

死ぬほど依存されたい、死ぬほど依存されて馬鹿みたいに愛されたい。本音です。なるほど。本音、ろくなものではないな?確かに可哀想だ。

いつも「サーティワン」って呼んでるのに、検索するときは「バスキンロビンス」って打ってる。なぜなのか。

12/30

「これってリンゴ?」「うん、そうだよ。リンゴのこと知ってるの?いちばんお気に入りの絵だよ。リンゴの絵」「知ってるもなにも。え?リンゴのこと知ってる?」「うん、リンゴはこれでしょ?」「いや、これは絵でしょ?リンゴの絵だよ」「ああ、それはそうだけど。知ってるよ。果物だよ。赤くて、丸くて、大きさは手のひらに乗るくらい。香りがあって、皮も食べることが出来て、食べると甘い。ああ、緑のもあるって聞いたな」「ねえ、リンゴを食べたことないの?」「ないよ。私のリンゴは〝絵の中にあるリンゴ〟だからね。ずっとここにあるよ。リンゴって食べたら無くなってしまうでしょう?このリンゴは、リンゴの実体の欠点〝食べたら無くなってしまう〟を失った完璧なリンゴ、〝失うことで完璧になった美しいリンゴ〟だよ。素晴らしいよね。一緒に眺めよう、一緒に愛そう」「うん、眺める。それはいいんだけど、え?リンゴを食べたこともないのに、リンゴを愛してるみたいなこと言うの?正直驚いてる。ちょっと待ってて」「うん、待ってる」「やあ、リンゴを持ってきたよ。家にあって良かったよ」「触ってみてもいい?」「うん、いいよ。持ってみて」「ああ、リンゴって重さがあるんだね。確かに丸いけど、丸いとは言い切れないな。底はこうなってるのか。すごく良い香りがする。こんな香りだったのか」「かして、むいてあげる。あ、皮も食べてみたい?」「うん」「じゃあ、うさぎにしてあげるよ」「うさぎ、うさぎってなに?」「ああ、むいたら説明する」「きみって何でも知ってるんだね」「同じことをあなたに思ってるよ」「きみって明日も会える?」「明日も会いたいの?」「そうだね、うん、そうなのかも」「じゃあ、明日もリンゴを持ってくるよ。ぼくのは〝何も失っていない不完全なリンゴ〟だし、食べたら無くなるけど、甘くて、美味しくて、可愛い。うさぎだからね?〝あなたを幸せにすることで完璧になる美しいリンゴ〟だよ。一緒に食べよう、一緒に愛そう」「うん、ああ、約束したいけど、約束では不十分だ。明日も来るって自分に誓ってくれ」「あはは、いいよ。あなたって本当に、いや、いい。明日言うよ」

【愛について】

12/31

「どうして私の言うことを聞かないのかな、あなたを愛しているし、壊してもいいよね?」という衝動がある。つまり、私の〝支配欲〟があなたに支配されている状態だ。

死ぬほど泣かせて、死ぬほど慰めて、甘いものをたくさん食べさせる。あなたの全部を甘くしてから全部食べる。もぐもぐ食べる。

「ーーちゃん!あの、大好きです!ーーちゃんが離婚したら結婚してください!えっ、あっ、なんで笑うの?もう、なんで笑うの!」って言われたいので来年も生きます。よろしくな。

十一月

11/1

新宿でゴッホ。「記憶を見ているみたい」と思った。

11/2

午前

あなたが、私のために「何もかも失った」というフリをする横で、私は、あなたのために「何ひとつ失っていない」というフリをする。

午後

例えば「箸」と聞いたとき、食器、道具、プラスチック、木、食べ物、和食、マナー、誰かと過ごす楽しい食事の時間、バチ、箸置き、という感じで、誰でも様々な方向へ連想するものだと思うんだけど、その中のどれに付箋をつけておくかで、それぞれの考え方が明確になると思っている。私は「箸」であれば「二つで機能するもの」に付箋をつける。それはドアノブや手袋と同じ色の付箋です。

夜中


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11/3

午前

他人にたいして「知りたい」という感情があまりない。教えてくれたことは覚えているけど、なんていうか、知らなくても好きなんだよね。もう「好き」がそこにある。無から有へ。〝無からは何も生じない〟とか言って笑うの?あなたが良い人間だと知っても、悪い人間だと知っても、何も変わらない。変わらないし〝無からは何も生じない〟つまりね、私は、愛するために十分な「あなた」をもう知っている。本当に好きなの?とか言って笑っちゃう。私は死ぬほどロマンティックな人間だよ。

夕方


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深夜

私には「仕送り(食品)をしたい」という願望があります。

11/4

午前

「頭が良いってそんなに大事?もっと他に大事なことがあると思うけど?」と友人。「大事だよ、絶対ではないけどね。使い方を知るためだよ。使い方を知らなければ、使えずに終わるか、乱暴にして壊してしまう。使い方を知らないってことは、直し方も知らない。壊すだけになってしまう。自分もそうだし、他人にもそうしてしまう。それが好きなら問題ないけどね。壊れないものを探して、見つけてどうなる?この世のほとんどのものは壊れてしまうのに。使い方がわかれば、直し方もわかるかも。作り方も見つけるかも。壊れないものすら作り出せるかもしれない。可能性だよ、可能性を見つけ出せる程度に頭は良くないと、頭を抱えるばかりになってしまう。自分のためだよ、絶対ではないけど大事」と私。

午後

18のとき、初めて恋人を持った。一人では足りないと二人目の恋人を持った。それからしばらくして三人目の恋人。私はこの三人目を気に入った。二人と別れ、彼と付き合いだしたが、すぐにまた別の恋人が。正直なところ、最初からずっとこんな調子で、一度も一対一で付き合ったことがない。半年ほど誰とも付き合わない時期があって、そのときには「次はちゃんとする」と思った、思ったんだけど、新しく恋人が出来るとなぜだか「そうだった、私はもっと欲しい、集めたい、願いたい、叶えたい」この調子、頭を抱えるばかり。

夜中

「1+1=2」このとき、私が見ているのは「 + = 」こうだ。自分の感情すら他人事なのに、他人の感情と一体、どう寝ればいい?絶対に寝たいんだけど。

11/5

午前

私はコーヒーが好きな人にコーヒーを売る。紅茶が好きな人のところへ行って「美味しいコーヒーがあって」とは言わない。ただコーヒーが好きな人にコーヒーを売る。そうしていると、紅茶が好きな人がやって来て、私に、言う。「美味しいコーヒーがあるって」

午後

本当のことを言ったあとで「嘘だよ」と笑うのも、嘘を吐いたあとで「本当だよ」と笑うのも、自分の弱さで、だけどそれは、他人のために用意したものだ。欺くなんてと怒る?私はいつも、あなたに触れる指先に、余計な力が乗らないように注意している。だって私のための私なんて誰が欲しがるの、私以外に誰が。わかる?あなたは全てをわかって「もう黙って」と笑って。

好きな男とポーラ美術館の森の遊歩道で迷子になるまで、私は絶対に死なないからな。

11/6

自身の性質を完全に忘れ、久しぶりに髪を染めた結果「そうだった、こうだった、ええ、だるい、プリン!!!!!とりあえず無視!!!!!」この有様である。

「顔が好き」と言ってくれる人、ほとんど全てのことを許してくれる。顔が好き、強固である。私は「きみの顔が好き」と言ってくれる人と付き合う。

11/7

午前

相手の好意に引っかけ、罪悪感を引っぱり出し、相手に加害者意識を持たせることで、相手を縛る、そのような言い回しがある。口にする本人が、それに意識的でも、無意識的でも、相手にそのような効果を与えてしまう言葉。私は使わないが、恋愛に慣れている人間であれば大抵は使う。効果的な場面で、より効果的に使う。これは本当に無駄がなくて、相手の好意が大きければ、大きいほど、面白いように機能する。だから、私は使わない。

午後

私「どこにいても、一目見ればわかるはず。私の相手なら、美しい球体として再生している。半球体の中にただ一つ、私の運命だけが、美しい〝一つの〟球体として存在している。だって、私ならそうする。そうやって、私があなたの相手だって、知らせる」

「だるい、あとでやる」で、こちらはまだ再生していません。おそらく、向こうもそうだと思います。急ぎます、急いでください。

夜中

すぐに「結婚する?」って言っちゃダメ、覚えた。

11/8

午前

夢を見た。大きな家のリビングにいる。その日の夕食には私の好きな男もいて、彼は、いつも通り優しく私の話に耳を傾けていたが、いつも通りすぐに、食事を終えると部屋に戻ってしまった。彼は、私のことなど好きではないのだ。大きな家のリビングで、私はその家の犬の腹を撫でていた。テーブルから綺麗な男が私を眺めている。私は、この男を「美しい容貌の男」だと思っていた。それだけだった。綺麗な男に言う「こっちにきて、私にも同じようにして」撫でて欲しい。男は私のすぐ横に膝をつくと、楽しそうな様子で腹を撫でた。それから髪を撫で、頬を撫で、キスをした。セックスの途中、彼は私以外の全てを「嫌いだ」と言った。生きることも、働くことも、自分も全て。本当は私のことだって好きではないのだ。それでも私を除いた。この夢には私の名前がついている、だからこれでいい。彼は「午後から仕事があるから」と悲しそうに笑うと、自分の家に帰っていった。

森の中にあるベンチに綺麗な男が座っている。通り過ぎる友人らしい男が「午後から仕事だろう?」と声をかける。彼はいつも飲んでいる薬を、いつもより多く飲んで、ボトル一本の酒を飲み干すと「今日は出来た、完璧に出来た」と言った。好きな女に好きだと言うことも、死ぬことも、今日、全てが完璧だった。

綺麗な男が死んだと聞いて、私は考えていた。彼が死ななければ、あれはたくさんあるセックスの一つだった。ひと月前の食事のように、やがて「食べた」という事実以外は失われていくような、そのうちに「ひと月前も、もっと前も、私は何かを食べたよ、何かを食べたから今、生きているんでしょう?」なんて、そのように消費されていく一日の、一回の、一つだった。それで、ああ、彼が好きだと思った。好きだと思って、だけど、もう全ては完璧になって閉じられてしまっている。私は綺麗な男を好きだと思って、それで「嗚呼」そういう夢だった。

午後

私が触れられないものは、私のものではない。私が触れないものも、私のものではない。

夕方


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物語にされると理解が遅れるので、私に何かを伝えたいときは、結論からお願いします。私も無理をせず、結論からお伝えします(結論)。嫌だ!!!!そんなの会話じゃない!!!!

夜中

私が間違えると、別の私がやって来て「何度やり直したとしても、またここで間違えるよ。それを選ぶ人間なんだもん、何も間違っていない。だから先へ進んで」と言う。そうして教えてくれる。私はいつも、私として、正しく間違えていると。

11/9

午前

男「ここにいてくれたらそれでいい」私「そんなことでいいの?」男「そんなことすら叶えてくれないくせに」

私、アメリカンクラブハウスサンドのこと、好き。こんなに好きなのに、どうして上手く食べられないの。好きだから?余裕がないから?そうなの?

午後

恋人はいつも「かわいい服きてるね、よく見せて?」と、私を自分の前に立たせる。私はそれ、最高に好きだって思ってる。

今夜


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11/10

午前

「なんなんだろう、感情。なんであるんだろう」と友人。「思考するためにあるんだよ。思考もまた感情のためにある。感情は人間に与えられた問題で、思考はその問題を解くために与えられた道具だよ。そしてこの二つがあるから人生に退屈しなくて済む、と私は思う」と私。

午後

ちょっと遊んだ男の子の恋人から呼び出されたことがある。良い子だった。声を荒げることもなく、あなたのことは許せないけど「会ってみたかった」と言った。私のブログが好きだったと。がっかりした?私は彼女にがっかりされたとそう思って、それでひどく、胸が高鳴った。妙な愛しさ。それから彼女は、ケーキを食べる私に「こぼしてる。そういう感じなの?なんかもうどうでも良くなったよ、ふきな?」と笑って、ハンカチを差し出してくれた。私はときどき、貴女のことを思い出すよ。貴女の恋人のことはあまり、思い出せないのに。

深夜

三日(長かった)我慢したあとで見る推しの姿、大変に美しくて頭を抱えている。

11/11

午前

友人「君は昔の哲学書みたい。時代が変わって、人も変わって、時代にも、人にも合わなくなってるのに、〝この世界の人々〟みたいな古い本を読んで〝こうなんでしょう?〟ってわかったつもりでいる。それは違うから。君にはラグがある、本になる前に人は変わる。君だけちょっと遅れてる」私「それはそうだね。確かに過去の哲学は過去のものだ。本はどんな内容であっても、その時代の空気や、人々の暮らし、悩み、喜び、憤り、希望なんかを記録したものでしかないし。時代が変われば何もかも変わってしまう。だから哲学があるのでは?それぞれの時代の人間が、過去を覗き込んで〝美しい〟と感じたものを現代に移す。そうやって取り出して、変わらない〝変わらないと感じる〟人間の気持ちを現代に映す。今だってページは増えてるんだよ。それぞれの時代で、誰かは必ず、その本を手に取る。哲学書はもうボロボロかもしれないけど、一度も忘れられたことがない。この先も埃をかぶることはない。私のような人間がいるからね。私は遅れていていい。あなたが時代に迷ったとき、人に迷ったとき、手に取るのはこの本だって確信してる」喧嘩である。

午後

私は「一方的に関係を断ち切る」ということはしない。しないが、関係をゼロに戻すということは普通にする。「話しかけても返事がない」という状態になることはない。質問に答えるという自身の性質があるからだ。だけど、ある日、それがどんなに親しい友人であっても「はじめまして、メッセージありがとうございます、それでは質問に答えます」という返事になることは普通にある。〝はじめからやりなおし〟だ。

今夜


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恋人の心を眺めている。瞬きのたびに瞳が澄んで、私に星が映りそう。

11/12

午後

友人の話を聞いていて思った。例えば、精神だけで完全に愛し合える世界があったとして、その世界の中でなら、彼女の愛も安心して眠れるのではないか。だけど、私たちには肉体があって、その肉体は社会の中にあって。「愛している」だけでは愛し合えない世界で、彼女は泣いている。ここが精神だけの世界じゃなくてよかった。私には肉体があって、社会には電車があって、だから、私たちまた会えるね。今日、寒いよ。何か温かいものを飲んで体を暖めよう。精神に出来ないことは全部、そうやって、肉体がしてくれるよ。

11/13

午前

本当は何が欲しい?

午後

新しいコート。「今日、このコートのこと好きになった」と私。「え?気に入ったから買ったんだよね?」と友人。「そうだよ。この形が好き、色も好き、着てみて私に合うと思って、好きって思って、それで買った。でも、好きってもう一つあるじゃん。実際に着て、一日を過ごして、窮屈じゃないとか、階段のときに裾が気にならないとか。最初の好きは握手だよ、二回目の好きでキスする」と、また私。

夜中

楽しく出来ないときは帰る。だって、楽しい方が良いから。他人に不機嫌を押しつけて、楽しめるはずがないから。

11/14

午前


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嫌というほど自分を知っている。自分の気に入らないところを直してみても、きっと、私は何一つ気に入らない。「どうして最初からそうじゃないの?」そう口にする。傘が欲しいわけじゃない、傘なんていらない。雨に濡れるのが嫌なんじゃない、そんなの何でもない。「どうして雨が降っているの?」知りたい。そう口にする、私を知っている。だから傘がなくても歩ける、ひどい雨でもどこへでも。どうして雨が降っているの?私の気を引くために、雨は。

午後

「どうしていつもそんなに〝自信満々です〟みたいな顔してるの?」と聞かれて思った。例えば、誰か、他人のように生きようと思えば、私もきっと不安になる。どこか間違えているんじゃないか、いつか失敗するんじゃないか。だけど、私は私を生きている。私が私を生きるのに、間違いも、失敗もない。ただ生きているだけで、完璧に、私だ。それが良くも悪くも顔に出ているんだと思う。多分。

夕方

子供の頃に好きだった人のことを思い出した。彼が懸命に隠そうとした孤独を、私は見つめていた。彼は彼の事情によって孤独だった。孤独だったが、いつも笑うことを選んだ。選ぶことが出来た。美しい人、それを品性という。どのような生まれでも、どのような暮らしでも、彼は生きる。彼が選び、作っていく、美しい自分。その美しい孤独を、私は見つけた。

今夜

怠いセックスってあるじゃないですか、好きです。手首とか腰とか足首とかに重しを乗せていくみたいなセックス。閉鎖病棟で拘束するときって、手首と腰と足首を拘束するんですよ。そうされて、自我は浮き彫りになる、削ぎ落とされる、削ぎ落とすために自我は呼び起こされて、そういう、怠いセックスです。

11/15

午前

素晴らしい考えの側にいたい。

午後

私はいつも私でいる。そうしたいからそうしている。そうしていると、他人も「あの人は、あの人だ」と、私を判断できるようになる。それってなんか安心するでしょう?そうやってもっと、仲良くしよう。

夕方

友人「おしり叩いてって。猫はおしりをトントンされるのが好きらしい。性的に気持ち良いみたいだよ」私「性的に気持ち良い(猫のおしりをトントンしつつ)」

今夜

「嘘つき。あのとき、ああ言ったじゃないか」と責められるたびに「そうだね」と思う。「そうだね。あなたは今、あの言葉を嘘にしないために、私に嘘をつくことを求めている。でも、そうすると、私はあなたの嫌いな嘘つきになる。どちらにしても私は嘘つきだ。自分に都合の良い方の嘘は許すの?そんなのダメだよ、許さないで。私を引き止めたいのなら〝嘘にしないで〟ではなく〝今ここで嘘をついて〟と言うべきだった」と思う。

11/16

午前

他人の、たくさんの「お願いだから」を払い除けてきた。だから、私の「お願いだから」が他人に払い除けられたとしても、それは仕方がないことだとそう、全く思わない。私は誰よりも願う。初めてのように願う。誰に否定されても、拒絶されても、私を払い除けようとする他人の手を掴んで、願う。

午後

あなたのお願いが叶わなかったのは、あなたのせいだよ。あなたが叶えなかったせい。だからね、私のお願いが叶わなかったとしたら、それは私のせい。私が叶えなかったせいで、あなたのせいじゃない。

深夜

ああ、私が自分のものをどのように扱う人間か知りたいのか。つまり、私のものになりたいのか。

11/17

午前

今朝、思い出した。そうだった。私は、あなたの「後であげるんだからいいでしょ?」みたいなところが怠くて、それで会うのをやめたんだった。あなたは確かに後でくれる。ちゃんとくれる。でも、後ならあなたじゃなくていい。私が欲しいときにくれないのなら、意味がない。

午後

犬歯が目立つ人、好きだ、愛している、結婚しよう。

私は何でもあげることが出来る。欲しいと言われれば何でも。あげたものだから返さなくていいよ、返さないで。だって、それはもう私のものではないから。私の名前が書かれたものを、他人に持たせたくない。だって、面倒だから。私は名前を消して渡す、さよならをしている。愛にも金にも私にも、どれにも名前はない。私のものではない。だけど、あなたには、私の名前を書いたものをあげるよ。四六時中「ねえねえ、ちゃんと大切にしてる?」そう言って付いて回る。追いかけ回す。死ぬほど面倒だな、それでもいいよ。だから、あなたは私の名前を呼んで。私からあなたに、愛を込めて。

私はいつか愛でおなかいっぱいになって眠るからな。ぜっっっっったいに眠ってやるからな。

今夜


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深夜

自分の姿を見たことがないのではないか。彼は、よく澄んだ自分に他人を映している。たくさんの他人がやってきて、彼に自分を映す。うっとりと見つめる。だって、曇りなく美しく映るから。彼は自分の髪が気になる、服も気になる、靴も、ちゃんとしている?変ではない?気にしている。自分の姿を映すものがないから。他人はまだうっとりと見つめている。彼が不安に揺れると、その水面も歪む。他人は言う「どうして」一緒に揺れてしまう。私の目を使うといいよ。瞬きのたびに澄んで、あなたを映す。髪も、服も、靴も、素晴らしいよ。それでも、他人の「大丈夫」では不安になる。自分は〝大丈夫〟だと理解するまで、私の目を使うといい。そんなことを言って、本当はただ、見つめ合いたいだけだったりして。私がどのような人間であるか、あなたに、よく映っている。

11/18

午前

日常の中にある議論で「相手を黙らせようとする人」っているけど、一体なんなの?相手をねじ伏せ、黙らせてしまった時点で、議論は台無しなんだけど。相手にもう一つ良い考えを出させること、それ以外に価値なんてないのに。自分が相手にそうできたとき、相手も自分に同じことをしてくれるはずで、もっと他人を使いなよ。相手がいなければ生まれなかった〝新しい考え〟以外に、ここでの勝ちなんてないのに。

午後

私は神様のことが大好きだけど、それは、私にとって神様が〝人間が作り出した最もロジカルな創造物〟だからで、一つの命題であって、構造があって、自分なりに分解、証明する必要があると思うからです。人間に答えるのは人間であって欲しい、私は神様とのーーーを続ける。

今夜

通常「何を意味しているんだろう」ストレス「意味なんてないのかも」非常「何一つ意味なんかねえぞ、人間ごときに意味なんかあるわけねえだろ、自惚れんな」

投げやりになるときは大抵「意味がわからない」という嘆き方をする。私は意味に執着している。すぐに「それってどういう意味?」と聞きたくなる。意味がないことを続けることは出来ない、だって、そんなの意味がわからない。ねえ、ところで、意味がないってどういう意味?

11/19

「月の裏側を見たことはないけど、私たちは月を愛でるし、月もそれを見せないけど、黙って愛でられている」と友人は言った。照らし出された部分を表とか言われて、愛でられて。でも裏があるとか言われて、疑われて。書いてもいないものを読まれて、勝手に作り出されて。それで愛しているとか言われて、言われてもさ。

午後

私は帰らないけど、あなたはどうする?

今夜


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深夜

相手の〝考え〟を愛している。素晴らしい考えを見つけると、真っ直ぐに駆け寄って「それすごくいいね、見たいな、どうなってる?自分で作ってる?自分で分かってる?触ってみてもいい?重さを確認したい。見た目より軽いな、意識的にそうしてるの?本当は軽いけど重く見える、本当は重いけど軽く見える、そう見せる、みたいな。そういうのがあなたの好み?教えて?もしかして何か仕掛けがある?こんなにシンプルな作りなのに、鍵穴があるなんて不自然じゃない?鍵では開かないはず。鍵で開くと相手に思わせるために付けてある、鍵を探させるために付けてある、誘導してる、そうでしょう?本当に鍵をかけて隠しておきたい何かがある、違う?隠しておきたいはずなのに暗示してしまう。孤独を許し切ってはいない、何かを待ってる、壊れない錠を探してる、違う?違ったとしても、私と話そう?」を始める。

11/20

午前

「一方で成熟し、もう一方では幼稚という、ユニークな特性の組み合わせ」とのこと。心臓は子供で、そこから送り出された血液は大人という感じか。他人から〝よくわからない〟と言われることが多い。他人への発言は大体「むり!いやだ!やりたくない!そもそも私は何が嫌なんだろう、避けたいことは何?何を恐れている?」こうだ。これで一文。相手は私のどの部分に対応すべきか迷う。

午後

「他人を理解することなど出来ない、理解したところで確認のしようがない」そう考える一方で、「他人を理解するために、私は常に、良い質問者でなければならない」とも考える。他人に鍵穴などない。良い質問は、相手に扉の場所を教える、内鍵があると教える。教わると同時に教えなければ。良い質問は、お互いに同じだけ与える、お互いが同じだけ得る。そう信じている。一方的になればいつか終わる、同時に、同じだけ、解けなければ。

「言ってることと、やってることが違う」と叱られるんだけど、それはそうだよね。私は言いたいことを言って、やりたいことをやる。言いたいことと、やりたいことは、全く別のことなんだけど。

深夜

あなたは、あなたの世界に私を拡散して。私は、私の世界をあなたに集約する。

11/21

午前

思考はパズルだ。それは平面で、立体で、実体で、表象。色があり、形があり、心もあるが、絵はない。だから何をしているのか分かっていない。「思考している」他に答えはない。答えはないはずなのに、あるとき突然、パズルのピースは嵌り出す。しかも磁石だ。引き寄せて離れない。色があり、形があり、心もあって、それが絵になる。私は描き終えてはじめて、自分は描いていたのだと気づく。

午後

みんなはサンドイッチをジップロックに放り込んで叱られたことがある?私はある。ラップで包んでから放り込むんだって。それはそうだよね。そのまま放り込んだりしたら、サンドイッチと共に、サンドイッチのアイデンティティも崩壊するわけで。サンドイッチのアイデンティティを守ることも、サンドイッチを食べる者の務めだと思う。よろしくな。

「もう少し頭が悪かったら良かったのにね」と母は口にした。入院したときだ。私を救いたかった人間の言葉。だけど、私はそうは思わない。私の幸福は、自身を理解し、完璧に機能させること。例えば自身の性質によって病んで、痛んで、そのせいで生きるほどに苦しむとしても、構わない。それが私なのだから。私の今ではなく、私の全てを見て。私の今が、泣いていたとしても、私の全ては、笑っている。それが私なのだから。

11/22

森を見て歩く。相手の時間の中にいるような気分になって、ああ、これは全部、名前を付けずに覚えておこうと思った。

11/23

午前

駅で知らないおばあちゃんから「お前みたいなのがいるから男が痴漢をするんだ!」と罵られたり、エレベーターに乗り合わせたマダムから「素敵な服ね、ふふ、男の人が触りたくなる気持ちがわかるわ」と声をかけられたり。私は一人でいるときも、男の人といるみたい。

午後

好きな人がふと口にした言葉、私も同じように感じていた。感じていたけど、言葉にしたことはなかった。だから、あなたがそう口にしたとき、あなたが言葉として突然、完璧に私に機能したと思って、それで、あなたは私の好きな人に。私はチョコレートを食べるたびに、あなたのことを思い出すよ。

夕方

「死ぬのが怖い」と泣いて、母親を困らせるような子供だった。死についてはその都度考え、その都度答えを出してきたが、「どうして私は死ぬのが怖いの?」という問いへの、最初の答えは、「私が死んだあとも、世界が続いていくことが怖い」こうだった。子供だった。自身の恐怖を理解し、納得した。無限への恐怖。人間は、精神は、肉体の中にいる。例えば、精神が肉体の外に蒸発したとしても、私たちの精神は再生する。自身の肉体の中に生まれたものを精神と呼ぶからだ。有限の中にある無限が人間であって、だけど世界の、死の、無限の中にいる私は、この有限は、どうなる?答えはない。私が死んでも、世界は続いていく。ところで世界は別に無限ではない、死もまた同じ、まだ死んだことがないからわからないが正しい。あの頃、泣いてばかりいたのは、私が子供で、ただ無限だったからだ。

「私は死と同じじゃないの?」と恐れ、泣いて、生きて、私と死は同じだと知った。何もかも全て、まだわからないが正しい。少しも矛盾していない。

今夜

好きにしていいよ、私も好きにする、離れそうになったら声をかけるよ。「離れないで」とか「行かないで」とか「愛してる」じゃなくて、「離れそうになってる」と声をかける。それだけ。そういう愛してるを、他人はあまり聞いてくれない。

深夜

私「私の前ではみんな同じ、みんな等しく人間だよ、両親も犯罪者も同じように判断する、神様よりも平等だ、安心して欲しい」友人「それが不安なんだって」

11/24

午後

私の世界にいるあなたは、あなたに、会いたがっているよ。それはそうだよね。私の世界にいるあなたは、私でしかなくて、だから当然、あなたに会いたがる。私がそう望むように、私のあなたも望む。こんなの全然、あなたじゃないかも。だからね、私のあなたと会って欲しい。いつも調整して。あなたにはそれが出来る。あなたにしか出来ないことを、私にして。

深夜


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11/25

それって悪意ですか?困ります。

私は自身の暴力性(色欲)をどこまで、制御することが出来るのでしょうか。

みんな気を使って「ーー予約しておくね?」「ーーはどう?」と聞いてくれるんだけど、私は大抵の場合、ロイホに行きたいと思っている。なんかごめんな。

今夜


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深夜

全然セックスしてないことに気づいて笑ってる。良い機会なので、今後は死ぬほど好きな人としかセックスしないことにする。これ、最初からやらないといけなかったやつ。

11/26

午前

「死ぬほど好き」なんて、自分勝手に相手を思うから口にする言葉で、だけど、自分勝手に相手を思わずに口にする「好き」なんて、ある?

午後

誰も気づいていないように思うが、私は自身の「欲しい」という欲望を全て、「与える」という行為に変えることが出来る。同じことだからだ。愛と孤独がお互いを共有しているように、自然に、行き来する。今日は欲しいが与えるの服を着ていた。明日は与えるが欲しいの服を着る。私には底無しの「欲しい」があって、それはつまり。

夕方

この冬、私は絶対にモテたい。

私は「好きな人がどんな部屋に住んでいるのか絶対に知りたい」過激派だ。部屋はその人の肉体というイメージがある。部屋で過ごしているとき、その人自身が精神になって、その入れ物が部屋、肉体。そういうイメージ。だから絶対に知りたい。

今夜


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「あなたの考えを聞かせて」にはいくらでも答えられるのに、「あなたの気持ちを聞かせて」になると、「なんか嫌だ」「なんか良い」「なんか好き」としか答えられなくなるの、絶対に可愛いと思う、絶対に愛して欲しい。

11/27

「ねえねえ、ぼくの誕生日って覚えてる?じゃあ、好きな映画は?使ってるシャンプーは?ええ、違うよ。xxちゃんってぼくのことすぐ忘れちゃう。ねえ、お願い。ぼくのこと全部覚えていて。全部忘れないで。xxちゃんの中にぼくを置いておきたい」って言われたいので今日も生きます。よろしくな。

今夜

月が澄んでいる。


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恋愛、相手が持っているお皿に〝相手の分の食事〟を乗せていくイメージがある。「今朝、なに食べたんだろう、どれくらいお腹すいてる?メインは魚にしようと思うけど、どうかな。野菜は好きだったよね。でも、この前、最後にフレンチドレッシングをかけたら〝あっ〟って顔してた。フレンチはダメ、そのときの気分かもしれないけど。蕎麦は絶対にダメ、アレルギーだから死んじゃう、気をつける。あ、私、これ好き。少しだけ乗せちゃおう」こんな感じ。好きなものばかりが乗っていたら嬉しい。食べたことがないものでも、試せることが嬉しい。苦手なものが乗っていたとしても「これは苦手なの」と話せることが嬉しい。もう何をしたって楽しい。

11/28

午前

「そう出来るからそうする」という感覚がある。友人には少し分かりづらい感覚らしい。喉が渇いたとか、渇いていないとか、それは他人のものだとか、自分のものだとか、関係ない。爪先はタブにかかっている、私は開け方を知っている、当然「開けるよね」という感覚。だって、他に何が出来る?

午後

私が何を思っても、あなたの尊厳が傷つくことはないし、誰が何を思っても、あなたの尊厳が傷つくことはない。そして、あなたですら、何を思っても、あなたの尊厳を傷つけることは出来ないということを、私は知っている。あなたは分からなくてもいい。

私はおそらく、病的に求められないと「愛されている」と感じられない。深刻に、でも良い。大抵の場合「愛されている?」と感じている。

風邪をひいた。頭が回らない。判断力も落ちているので、絶対に付け込まれたい。

今夜


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つまり私は、病的に、深刻に、相手を求めたいのかもしれない。

深夜

推しのグループに「推しより顔が好みのメンバー」がいる。このメンバーが素行の悪さ(女、タバコ、態度)により活動休止となった。ふーん、あの綺麗な顔で?生活はめちゃくちゃだらしないんだ?ふーん、そうなんだ、好きなんだけど?

11/29

午前

蝶を見たいと思ったとき、カゴを持って出かけようとは思わない。私は、私の庭にやってくる蝶を見たい。庭に花を植える、どの季節にも花が尽きないように心を配る。私は蝶を忘れ、花を愛する。蝶のための花にしない。蝶のために花に尽くせば、いつか、蝶を連れてこない花を憎むかもしれない。「ここに蝶がいてくれたら」とは願わない。花はもう完璧に美しい。ある日、私は、私の庭にやってきた蝶を見つけて、「ああ、もっと素晴らしいことがあったなんて」と気づく。その日から私は、蝶を愛し、より深く、花を愛する。

午後

「ビー玉みたいな目だね」と言われたことがあって、当時は「褒めてくれてる?」と思っていたんだけど、この言葉を「感情が見えない、何を考えているのか分からない」という意味で使う人もいるらしい。もしかして、こっちだった?

私には「好きな男と一緒にドーナツを食べたい」という願望がある。大抵の場合、相手はこれを受け入れる。しかし、皆一様に「なぜドーナツ?」という態度だ。ドーナツは、哲学的思考を促す、最高にエロい食べ物だ。よろしくな。

関係性によって与えられる約束を、私は信頼しない。人間性によって与えられる約束を、私は信頼する。

深夜

だるい。

11/30

午前

相手の感情や思考に、自分の思考を使った。理解を試みる、私はそういう人間だ。そう出来るからそうする。夢中になって、食事をする手が止まる、ペンを取って、私から見た相手の美しい構造が見えてくる。高揚と、爆発的な集中の中にいて、自身の感情や空腹のことを忘れていた。それで良い、私はそういう人間だ。昨夜は突然、肩を叩かれたような気分だった。そんなのいいよ、意味ないよ、君じゃなくても出来ることをしよう、そう言われた気分だった。確かに意味などない。意味などないが、愛のようなものはあったはずだ。伝わらないのなら、確かに意味などない。意味などないが、いい?よく聞いて?以下は永遠に続く、確かに意味などない。意味などないが、愛のようなものはあったはずだ。

ああ、空腹に気づいたのか。お腹が空いてぐずり出す子供と同じ。私がぐずり出す前に、キャンディを渡して欲しい。

午後

私は自身についての説明を続けた。十分ではないかもしれないが、不足はしていないはずだ。

今夜


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人と同じものを食べているのに、私の口の周りだけベタベタになる、という現象がある。子供の頃からうっすらと感じていたが、それは今も続いている。食べ方が悪いのか?とも考えたが、普通に口を閉じて食べているわけで。詰め込んでいるわけでもないし。多分なんですけど、私、なんか口角がゆるい。口角からもれてる。飲み物もこぼす。生きるのに向いていない。

深夜

この件に関しては、神様より自分にお願いした方が確実なのでそうするんですけど、私だけを愛し、私だけを綺麗だと感じ、夜中に「アイス食べたくなっちゃった、一緒にコンビニ行こう?」と私だけを誘ってくる可愛い彼氏(好きなアイスはスーパーカップのバニラ)、ぜっっっっったいに欲しい。

十月

10/1

午前

こんな二択があった。「優しい子か、賢い子か」賢さは優しさを内包する。優しさでより多くの人間を支えるには、優しさをきちんと使えるだけの賢さが必要だ。私は優しさのために賢さを選択する。だけど、このように答えれば、あなたには私が「優しさを大切にしない人間」に見えるかもしれない。面白いと思う。そして、馬鹿馬鹿しいと思う。

午後

16タイプの色々があるじゃないですか。私はあれ、分類を楽しむものとして結構好きです。あれが正しいかどうかはともかく、重要なのは「多くの人がその基準を利用し、あの基準で分類され、その話をしている」ということです。良くも悪くも、数はあらゆることを正当化します。数で整えられていきます。リンゴ、バナナ、イチゴがある。私はリンゴが好きなグループにいる。これがリンゴ、バナナ、イチゴの〝ジュース〟に変わったとしても、私はおそらくリンゴジュースが好きなグループにいる。もちろん移動する人もいるだろうけど(イチゴが好き、でもジュースならバナナが好き)まあそれくらいのことはいいんですよ。果物とジュースでは性質が異なる?まあそれもいいんですよ、人間のやることなんだもん。

その基準が、精度が、結果が、傾向が、全くのでたらめであったとしても〝分類はされている〟そこに何らかの正しさはきっと、あるはずです。

推し、生まれてきてくれてありがとうな。

10/2

友人が「なんで俺を好きにならない?自分のものにならないなら一生消えない跡をつけたい、ピアス開けさせてくれ」と言ったので、私の耳には一つだけピアスホールがある。私はそういうみっともない執着が大好き。友人はそんな昔話を覚えていないだろうけど。よくわかった?だからね、私を〝傷つけてまで残した〟あなたの愛は、時間や、私以外の他人で忘れられるような話だった。私を見て?ピアスホールは一つ、それを今日も使うけど。「なんで俺を」ねえ、よくわかった?

大事なところを間違えたので、今後このブログは推しが生まれてきてくれたことに感謝するだけのブログになります。よろしくな。

10/3

午前

私「寂しくても死なないけど?(だから問題ない)」友人「寂しいこと自体が問題なんだけど?」私は驚いた。心底驚いた。

午後

寂しいとき、苦しいとき、悲しいとき、私は自分に「歯を食いしばれ、泣くな、考えろ、絶対に負けるな」と言います。そして他人には「寂しくても死なないけど?」と言います。死んでいないからそう言います。

夜中

私だって本当は「おすすめBL作品」について熱く語りたいよ!!!!!

10/4

友人は他人を褒めるのが上手いので、会うたびにサラッと「その服いいね」とか「髪、前と違う?いいね」とか言ってくれる。どこで習った。私はいつも「今から君を褒める!!!!私は君を褒めたいと思っている!!!!」みたいになる。どういうことなのか。

10/5

午前

願いについて。「愛して欲しい」と絶え間なく懇願したが、父は死ぬまでそれを聞かなかった。私は、私を欲しがっている。私のように「愛して欲しい」と絶え間なく〝私に〟懇願する他人、私。それを受け入れ、ただ歪みながら、本当のことを口にしたいと思っていた。胸が送り出した言葉を、歯の奥で噛み殺している。決して口から出ることのないように、口にすれば全てが願いのようになるから。私が噛んで離さないから、胸に戻ることも出来ず、耐え切れず歯の奥で「もう許して欲しい」と割れる。体中を傷つけながらしゃらしゃら胸に還る。私は、受け入れることが出来ない。歪むことすら出来ない。私は正しい、いやになるほど苦しい。本当は父もこのように、私を受け入れることが出来ずに苦しんでいたのではないかとそう、また愛で一つ譲る。また一つ愛に奪われる。口の奥が軋んで、なんだか今日はいやに、血の味がする。

午後

いや、綺麗じゃないから愛せなかったってなんだよ。「綺麗」と「娘」を天秤にかけるな、「綺麗」を選ぶな、二度と生まれてくるな。でも「綺麗じゃないから愛せなかった」は良い。単純で綺麗だ。

10/6

午前

私は私の願いを叶える。

午後

「理解できないと思う」と言われて、「それはそうだよね、他人なんだから」と思った。私はこの「他人なんだから」という言葉は、何より優しい言葉でなければならないと思っている。排斥であってはならないと。「他人なんだから」を優しい言葉に変えるために、私は理解を試みる。あなたが言うように、私には理解することなど出来ないかもしれない。だけど、私は、何一つ理解することが出来なかったと理解した後で、「他人なんだから」を何より優しい言葉に変えることは出来る。

10/7

午前

みんな私のことを「冷たい」なんて言いますけど、私はあなたと会っている間、いつも〝あなたが私の言葉で笑った〟を集めていますからね。

午後

「君は愛情(感情)表現をしない」と言われてからずっと、他人への感情表現について考えていて、結局「感情に対応するもの、感情と交換できるもの、それは感情だけである」というのが私の答えになりました。通りで上手く行かないわけだ。それを素晴らしいと感じるか、それに何の意味が?と答えるかで、人生はすっかり変わってしまう。カフェオレと友人(愛情深い)の話をします。

1杯のコーヒー(私)+1杯のミルク(恋人)=1杯のカフェオレ(それぞれのカップにはコーヒー、ミルクが半分ずつ残る)

1杯のコーヒー(友人)+1杯のミルク(恋人)=2杯分のカフェオレ(入り切らなかった分はそれぞれのカップに戻る)

あくまでも私の勝手なイメージなんだけど。私の答えには誤りがある。友人はいつでもカフェオレを飲むことが出来る。それは幸福なことです。私は二杯目のカフェオレを選ぶことが出来る。どちらを好むか。私はコーヒーを飲むことも出来る。強欲だ。一度でも自分のカップにカフェオレを注いでしまえば、いつまでもミルクが混ざり続ける。それを良しとするかどうか。私はコーヒーもミルクもカフェオレも飲みたい。死ぬほど強欲だ。

みんな私の強欲を絶対に許さないじゃん、飲み切れないほどのカフェオレを作ってやるからな。

夜中

私もストレスでギリギリの状態になると「知るかよ、理由なんかねえよ、そう思うから以外にあるかよ、はあ?それで?だから?バカか?Smells Like Teen Spiritかけてくれ、全部知らねえよ、全員好きにしろよ」ってなりますね。

10/8

午前

精神科に入院したとき「一度入ると、何度も入退院を繰り返すようになる」と医師から聞かされた。実際、隣のベッドの女の子も「二回目だよ」と教えてくれた。彼らは何かを調整するためにここへやってくる。起床時間をすぎると少し優しいトーンでラジオ体操のテーマが流れる、彼らは廊下に這い出て体操をはじめる、ずっと先、廊下の奥までそれが続く。それから彼らはきちんと計算された朝食でどうにか自分を生かして列に並ぶ。「死んでしまいたい」だとか「どう生きたらいいかわからない」だとか「私は悪くない」「私が悪い」だとか、全てを抱えて列に並ぶ。自分の順番がくると、彼らは他人に額を差し出して、神様を描かせる。他人は言う「飲みました?口を開けて見せてください」こんなものが救いであっていいわけがない。私は一度も戻っていない。

午後

宗教学の本でお気に入りの一冊がある。入門書のようなものなので、それぞれの宗教の成り立ちや他の宗教との関わり、お互いへの影響、時代背景など。内容としては簡単なものなんだけど、読み返すたびに、本としてとても優れていると感じる。文章から、著者から、一つ一つの宗教にたいしての尊敬と愛情と理解、そしてその理解が傲慢なものにならないよう、常に配慮されている様子が伝わってくる。惜しみない知性で祝福している。愛について書かれたものではないのに、読み終えたあとで私は、愛を見たような気分に。どのような宗教であっても美しい教えは確かにあって、祈りの仕草には人間のために用意された愛のようなものがあって。だから私は、この本は宗教の本質についてとても正確に書かれているのではないかとそう、感動する。そこに愛は確かにあって、この仕草で私はそれを祝福する、これ以上の喜びが他にあるだろうか。

10/9

午前

昔から「話が飛ぶ」と言われるので気をつけてはいるんだけど、話は飛ぶ。「君は突然〝答えは10だぞ〟って言うけど、それって5+5?15-5?ただの10?てかなんの答え?ってこっちは思うよ、こっちはどうなってそうなったのかを知りたいんだよ」と友人。返す言葉もないけど、答えは間違いなく10だぞ。

午後

「好きです」って言われると「それってどういう好き?(あなた自身がその〝感情〟を深く理解し、説明することで強化し、絶対に壊れないものにして欲しい。壊れたとしても、その構造を理解していれば組み直すことが出来る。確かにパーツが壊れてしまえば終わる。だけど、好きという強い〝感情〟があれば、新しいパーツを作り出すことも可能ではないか、それは最初のものよりずっと素晴らしいものではないか。私に差し出す好きは感情で良い、ただ、あなたの手元に残る好きは、感情が構築するもう一つの好きであって欲しい。そして、私はあなたにそれをあげたいと思っている。あなたが理解し、構築した好きは、あなたのものであって、私には知ることが出来ない。見ることも、触れることも出来ない。だけど、それは確かに私のものだ)」ってなるんだけど多分、伝わっていない。

10/10

午前

「金魚はおさかなの中でも、何時も燃えているようなおさかななのよ、からだの中まで真紅なのよ。」
「何故そんなにさかなのくせに、燃えなければならないんだ。」
「燃えているから、おじさまに好かれているんじゃないの。」

友人は「結局自分はファム・ファタールみたいなものを求めてしまっているんだよ、人生を破壊されたい」と言う。私は「そのように表面化された願いを聞こうと思うファム・ファタールはいないのではないか?」と思った。彼女らがなんなのかはわからないが「破壊されたい」と願う男に「わかりました」と寄り添って全てを壊すのなら、それはただの良い娘では?従順な良い娘。だからね、あなたのファム・ファタールは多分、人生を破壊されたいとか言ってはしゃいでいるあなたに「でも私はあなたの人生も大切にしたい」とそう言って、風で揺れる炎にそっと手を添えてくれるような、そういう優しい女の子だと思いますよ。あなたの願いなんて一つも聞かず、あなたの人生を壊れないように守る、そういう女の子が〝あなたのファム・ファタール〟では。あなたが願うことも出来ずにいる〝本当の願い〟を叶える、あなたが求めているのは、そういう悪い女では?

午後

ヌテラ、好きだ、愛している、結婚してくれ。

10/12

午前

兄は恋人のワガママをなんでも聞いて、甘やかし、それで突然限界がきて「別れて欲しい」と切り出すタイプだ。これまでも何度もそうして恋人と別れている。別れを切り出された相手は、ただただ驚いた様子だという。私はその話を聞かされるたびに、「なぜ言語を使わない?」と思う。話し合えば済む話では?何の問題がある?話し合うという最も簡単で確実な方法があるのに、なぜそれを一番に試さない?誰だって不満を口にするのは苦しい、この関係は完璧でないと言っているようで苦しい、相手のワガママを聞くよりずっと苦しい。相手が好きならそれをやってあげなよ。完璧な相手になろうとするな、そんなことをするから、完璧な相手を求めるようになる。

午後

人生でいちばん〝軽くあしらわれた〟瞬間が、人生でいちばんエロかったという話をします。彼は、私の恋人の大学の先輩だった。その酷くリラックスした知性に、私は完全にやられていたし、絶対に彼が欲しいと思っていた。恋人も彼をとても慕っていて、二人で何度も彼の家に遊びに行った。彼は何もかも気づいていた。恋人が席を外したとき、私は彼に好きだと声をかけた。本当はもっとずるい言い方をした。彼は何も言わずにどんどん近づいてきて、私を壁まで追いやると腕を掴んだ。それで「彼氏と別れたらおいで」と笑った。ああ、もう絶対に手に入らないんだと分かった。死ぬほど恥ずかしくて、死ぬほどエロくて、やっぱりぜっっっっったいに欲しかったんだが?????

私は、男性の「大きめの白シャツ、手首には黒い髪ゴム」という様式美を愛している。心から愛しているからな。

夜中

推し、生まれてきてくれてありがとうな。推しがISTJなの死ぬほど刺さる。

10/13

午前

ISTJにたいしてINTPが一方的に関心を持つみたいな話を見かけたことがあるんだけど、わかります。例えば私が家を作るとき、彼らは「コンセントの配置ってどうなってる?考えた?ここと、ここと、ここには絶対に必要だよ」みたいなアドバイスをくれる。そして、私はこのアドバイスを素晴らしいものだと感じる。自分ではまず考えないが、家の機能としてそれは重要であると認めているからだ。一方、私から彼らへのアドバイスは「ここに窓を付けようよ、夜には星が見える、昼には明るさを確保できる。ベッドに横になって見える位置に調整しよう、いつも星が入っている窓だから、名前は星カゴだ」こうだ。そして、返事は大抵「え?ああ、うん、うーん」こうだ。

友人(当時24才)「いいですか?xxさん、恋は戦争ではないんですよ?」私(当時25才)「戦争だぞ、精神を舞台に繰り広げられる陣取だ、一歩も退くな、死ぬぞ」

10/14

午前

心理士「クレオパトラはどんな人物ですか?」私「(エジプトの王)ファラオ」心理士「もう少しありませんか?」私「エジプトの王」心理士「いいですね」私「(ファラオはエジプトの王なんだが、エジプトも王も指しているんだが)」どんな答えが欲しいの。

「ファラオ」一つで「エジプト、王、ファラオ」の三つが伝えられるのに、何が気に入らないんだ?と思ったけど、多分そういうことではない。

午後

母「あんたは鬼じゃない、鬼悪魔よ!」私「ええー?あはは、なんか強そう。お母さんって本当にかわいい」母「もう!」

深夜

「変なの」と言われて、酷く動揺した。完全に気を抜いていた。子供の頃の自分が現れて「変じゃない!変じゃないのに!」と言った。

10/15

午前

甥に絵本を選んでいて思い出したんだけど、考えてみれば、自分が子供の頃に好んで眺めていた絵本は、家の断面図や、街の様子が細部まで描き込まれたもの、図鑑など、完全に視覚優先だ。何かを考える、覚えるとき、聞いた言葉を頭の中で絵に変える。目で見えるようにする。例えば、

ホーリズムとは、ある系(システム)全体は、それの部分の算術的総和以上のものである、とする考えのことである。あるいは、全体を部分や要素に還元することはできない、とする立場である。

これを考える、覚えるとき、私は〝うさぎのぬいぐるみ〟に変えて記憶する。ただし、私の理解が正しいかどうかはわからない。ぬいぐるみのパーツ、一つ一つは「かわいい」を(基本的には)生まないが、それらが全て合わさり、完成したとき、全体は「かわいい」を生む。〝これはうさぎのぬいぐるみである〟という事実以上の〝何か〟が生まれる。こういうの大好き。

午後

「そっか、推しは星のモチーフが好きなんだね?かわいいね?」って言いながら推しがアクセサリーを整理する動画を見ている。人としてダメになりそう。

過去のメモに「星のための設計図」とあった。それが擬似的に星を作り出すための設計図なのか、ロケットのそれか、見上げる仕草か、星を地上に下ろすための哲学か、芸術か、音楽か、なんなのか。どれのことを思って、私はそう書いたのか。

友人は「君のそれは王様の要求なんだよ」と言う。私は「私を理解しなくていいし、共感もしなくていい。私はただ、私が考えもしなかった素晴らしい考えを聞きたい」と言った。

10/16

友人「君のそれは王様の要求なんだよ。そうだ、アンノのドキュメンタリーって観た?」私「ああ、観たよ。なんか周りをとんでもない空気にさせてたやつね」友人「それそれ。自分は今、完全にアンノと君が重なってる」私「ええ?私は周りをあんな空気にさせないと思うけど?」友人「彼はまあ〝自分が考えもしない良い考えを聞きたい、でもお前らには、どれがそれか分からないだろうから、思いついたものは全部言ってこい〟みたいな感じなんだよ。君のそれだよ」私「それはそうじゃない?自分と似たような考えなら、自分の考えの方が良いに決まってる、そんなのいらないじゃん」友人「今ここ、とんでもない空気になってますけど?????」

10/17

午前

私は、罪にたいして鈍感で、罰にたいしては敏感だ。

午後

推しの金髪が見たい、推しの金髪が見たい、推しの金髪が見たい(願い)

10/18

午前

男「外し方が決まっていて、これは〝重ねて捻る〟ほら外れた」私「方法を知っていれば出来るってこと?それって面白いの?」男「そういうの好きでしょ?〝その方法以外では絶対に外れない〟でも〝その方法を知っていれば簡単に外せる〟」私「大好き」

午後

私も、ロジックはマジックでなければと思っています。それは常に人々を驚かせる、素敵なものであって欲しい。手を開くと花が現れる。私はあなたの気を引いて、あなたの知らぬ間に、確かに仕掛けておいた。魔法などではない、呆れるほど人間の方法だけど、手を開くと花が溢れる。最後には誰かに花を差し出すとそう、約束して欲しい。そのためのものであって欲しい。

文豪の恋文が公表されてしまうの大好きすぎる。死ぬほど笑えて、死ぬほど愛しい。

僕のやってゐる商売は、今の日本で、一番金にならない商売です。その上、僕自身も、碌に金はありません。ですから、生活の程度から云へば、何時までたっても知れたものです。それから、僕は、からだも、あたまもあまり上等に出来上がってゐません(あたまの方は、それでも、まだ少しは自信があります)。うちには父、母、叔母と、としよりが三人ゐます。それでよければ来て下さい。僕には、文ちゃん自身の口から、かざり気のない返事を聞きたいと思ってゐます。繰返して書きますが、理由は一つしかありません。僕は文ちゃんが好きです。それでよければ来て下さい。

〝それでよければ来て下さい〟が二度来るの、優しくて、美しくて、頭を抱えている。ぜっっっっったいに文豪と結婚するからな。

10/19

午前

私は何でもやめることが出来る。やめられないのは、始めることだけだ。

午後

全てを差し出されたのなら「一つだけ貰う」と言い、一つ差し出されたのなら「一つも要らない」そして、何一つ差し出されなければ「何もかも全てを奪う」と思う。

何かを思うとき、考えるとき、私はいつも自分に〝もっと自由に〟と言います。

私は「神を否定するにはまず、神を認めなくてはならない(そこに存在しないものを否定することは出来ない)」を、死ぬまで愛していくからな。この美しい構造を、葛藤を、孤独を、死ぬほど愛してやるからな。

10/20

友人に星の話を聞いた。私の星の並びは「強く、賢く、美しい」とのこと。絶対にモテたい。

10/21

午前

「どうして必要以上に他人を傷つけるの?他人の心をそうやって弄んで、どうしてなの?」と母から責められたが、わからない。「ここ」と思うと言葉が出る。心にもない言葉。あなたが使えずにいる、あなたの使いたい言葉。私はあなたの心を使っている。だから、あなたは私を無視することが出来ない。私は、あなたが見たいあなたの姿だから。それでいいじゃん。「必要以上に」馬鹿馬鹿しい。必要な分だけでは満足することなど出来ないのが人間だ。

午後

良心へ。今どこにいる?

夜中

「ねえ、ぼくといて楽しい?本当に?ぼくがxxちゃんにあげられるものってある?何にもなくて不安。xxちゃんは他の人がくれたもので満たされてるんだって思うと死にたくなる。ねえ、何が欲しい?あげられるものなら何でもあげるから」って言われたいので明日も生きます。よろしくな。

10/22

午前

ぐちゃぐちゃになりながらキスする夢を見た。実際の私は、キスにたいして思い入れがないはずなんだけど、夢に見るときはいつも、相手が私の腰を抱いている形だということに気づいて、「本当はそういうのが好きなんだろうか?そうなの?どうだろう、腰を抱かれたいの?欲しがりだな、そうだとしたらなんか嫌なんだけど」と、妙な憂鬱に今、腰を抱かれている。

午後

欲望について。百貨店で小さな陶器の置物を見かけた。一目で気に入ったが、少し迷って家に帰った。翌日、どうしても欲しかったので問い合わせると、一点もので昨日のうちに売れてしまったという。こうなるとどうしても欲しい。結局、百貨店の方から製造元に連絡を取ってもらい、新しく同じものを作ってもらうことになった。フランスで一から作って届くのは三ヶ月後。注文を済ませた日、私の欲望は完全に満たされてしまった。三ヶ月後、私は平気な顔で言う「どうしてこれがそんなに欲しかったのだろう」と。私はこの置物をそれほど愛していない。だけど、〝あの欲望〟の象徴として、死ぬほど愛している。

今日ずっと性欲で喋ってるけど、もう何を話しても「そうだね、うん、いいよ、あはは、うん、わかる、全然いい、大丈夫だよ」みたいになってる。彼氏かな?

ああ、推しか。とりあえず拝んでおくか。

10/23

光について。木は地面に影を作るが、影は地上に木を作らない。私にとって、他人は木で、読書や科学やゲームは影です。影は、様々な要素の重なりで現れるから美しいわけです。でも木の方が良い。他人の方が良い。とはいえ、人間の想像力のせいで、影が木を作ってしまうことはある。ないけどある。きりがない。

10/24

午前

「言ってやりたいと思った〝最後の一言〟だけは絶対に飲み込みなさい、自分のために飲み込みなさい」そう母から教わった。自分と相手の品性のために耐えろということだ。最近になって思うのは、その〝最後の一言〟を、相手にも言わせてはいけないということ。私は、「相手は自分に倣う」と考えている。迷いのない者の前で、人は迷うことをやめる。強い意思が、相手の不安を掴んで支えるからだ。そう信じている。私が動揺すれば相手もそれに倣う。だから私は、自分と相手の品性のために、強くあろうと思う。

午後

推しは他のメンバーより少しだけ身長が低い。オタク(私)はそれ、最高に好きだって思ってる。

深夜

自身を律してみたところで結局、私の本質は「それで、あなたは私に何をくれるの?」であって。死ぬほど傲慢だ。それで、あなたは私に何をくれるの?

10/25

午前

私は自身の色欲を恥じたことはないが、他人から見れば、そうですね、嫌悪の対象なんだろうとは思う。

午後

何かを避けながら、気にしながら、進むことなど出来ない。私は気に入らないものを薙ぎ倒しながら、進みたい方へまっすぐ進む。

10/26

午前

「愛とは?」と聞かれて「難しいから時間が欲しい」と返したんだけど、2023年10月26日現在の愛について、私の考えをここで指しておく。今、私の愛はつまり、関わり方です。「自分と愛」「自分の愛と他人」「自分の愛と他人の愛」自身が愛と仮定したものにたいして、どのように接し、どのように関わるか。その仕草です。仮定した愛が一つ、それにたいする愛でもう一つ深く、強く。お互いがお互いを「ここにある」と証明してみせます。お互いを指しています。そうして、決して一つにはならずに、お互いを支えます。以上が私の愛です。

占いのお姉さんから「あなたの包容力は色っぽい」と言われたので、ぜっっっっったいにモテてやるからな。

椎名林檎がギターを弾いているときの姿勢、死ぬほど好きなんだが。

10/28

好きな男の肩先、鎖骨の終わりをいつまでも見つめていたい。私の存在がいつでも、あなたの中で〝私の不在〟でありますように。「ここにいない」せいで、いつまでも私は「そこにいる」寂しい、会いたい、欲しい、愛しい?キャンディをねだる子供、そうでありますように。愛がどうとかどうでもいいとか、だけど、あなたの鎖骨の終わりに私は、愛を置いている。

他人の感情を目で追ってしまったせいで死ぬほど酔っている。

10/29

午前

「私はハキハキ喋っている」という自認があるんだけど、久しぶりに自分が話している声を聞く機会があり、驚いた。私がモタモタ喋っている。あと少しでも相槌が遅れたら、相手の話すペースを乱してしまいそうだ。

器用になりたいという友人にたいして「器用って取捨選択のセンスだと思うから、何も捨てたくないっていうあなたには無理だと思う」という返信、その痕跡。過去の私へ、もう少し優しく。

午後

もしもし、今どこ?もう着いてる?待ち合わせって、ええ?違うよ。永遠の中にある今じゃなくて、今の中にある永遠で待ってるって言ったじゃん。うん、いいよ。待ってる。

全てはタイミング、とのこと。「そう思ったときにそこにいた」以上に大切なことが、他に?

10/30

午前

2008-08-27 主張する声を並べ音楽、思考する声を束ね文学

君で言葉はアートする

午後

私が他人に使う手は一つだけ。手の内を全て明かすということ。あなたの気を引くためにした10のことを笑って全て打ち明ける。これが11。あなたが気づかない一番強い手になる。

10/31

午前

人間がしてはいけないことなどない、だから法がある。してはいけないことを人間が作り、人間を律している。人間がしてはいけないことなどないが、社会にはある。だから人間は哲学をやる。そうして先へ進む、足踏みなどではないと信じて、人間は何度も、一歩目へ進む。

午後

ただの子供なのに、いつも「勝ちに行け」みたいな昂りがあって、なぜなんだろうと思っていたけど、全ては星の並びのせいでした。勝ち方を知っている、負け方も知っている、だから私は恐れない。本当は誰にでも出来る簡単なことを、声高にやって見せているだけ。恐れずに進む、ただ一つ。傷つくことなど何でもない、どうでもいい「恐れるな進め」私が美しいと思う、ただ一つの勝ち方だ。