十二月

12/1

午前

私の精神的な恋愛は「神様か奴隷」ですが、現実的な恋愛は「互いを尊重」です。この居心地の悪さのせいで、私は夢中になることが出来ない。だって、たしかに、私はどちらも望んでいて。

午後

「今日こそ違うものを頼む、絶対にだ」と思うのに、カウンターに立つと思考停止して「モスバーガーとポテトとアイスコーヒー」しか頼めなくなるの、なんなの。

今夜

私が浮気相手に「彼氏いるけど、それでもいい?」と聞くのは、単純に嘘をつくのが面倒だからです。そして「それでもいい」と承諾した相手が、後になって気まずそうに「彼氏と別れてよ」と言い出すのが可愛くて大好きだからです。

深夜

まず顔が良い。圧倒的に華があるのに、常に「もっと出来るはず」と努力する姿勢が美しい。ちょっと体幹が弱そうなところも可愛いし、なんかときどき方言が出てるんだってね?可愛い。あと顔が良い。推し、生まれてきてくれてありがとうな。

12/2

午前

「きみに愛を受け取らせるのも、きみの愛を受け取るのも、難しい」と言われて思った。例えば〝あなたのことが好きだから〟という理由で私が、あなたの家の庭にリンゴの木を植えたとする。数年後、あなたは言う「リンゴがたくさんなった!ぼくはリンゴが好き、甘くて美味しい、ありがとう」私は答える「あなたの部屋の窓から見える景色って、ちょっと寂しいなって思ってた。リンゴが好きだったの?それなら良かった。でもリンゴってどこでも買えるじゃん。あなたの窓から見える景色は、あなただけのものだけど」こうなる。だからなんだって話ではある。

午後

私がグラスとして作ったものを、花瓶として使っても別に良い。〝それ〟を好きであることには変わりない。だけど「この花瓶、良いでしょう?美しいでしょう?花も喜んでる。この花瓶は素晴らしい花瓶なの」と言われたら「違うよ?それはグラスだよ?」とはなる。だからなんだって話ではある。

「こうしたら素敵、こうしても素敵」は、たしかに素晴らしいことだと思う。だけど、一度はきちんと〝それとして〟使ってみて欲しい。私は他人を見るとき、そこを気にしている。本来の使い方。あのグラスは口をつけたときの感触が良い、縁が薄く、柔らかく唇に触れる。そのように〝作られている〟それを知らずに、知ろうともせずに、自分がそうしたいからって、花を飾るの?

相手が望んでいないことでも、その行いが一般的に「良いこと」であれば肯定されてしまうのは、なぜなの。

今夜

簡単に壊せるものを壊して、それに一体、何の意味がある?快楽と情熱はある?私はいつか壊される日のために、絶対に壊れることのない私を有している。全てはその日のために。私の情熱はそのようにして使われている。

憂鬱になると喋る(動く)タイプなので、毎年毎年、12月は馬鹿みたいに喋るし、馬鹿みたいにーーーーする。

「思い出したときだけ連絡してくるのやめて」って言うけど、私のこと受け入れるじゃん、じゃあいいじゃん、受け入れるなら叱らないでよ。

母から「ねえ、こっちに来るときは普通の服で来て?あんたっていつも夜の匂いがする」と言われたことを思い出して笑ってる。

私は、他人に「自分の行動を理解しているか、説明することが出来るか」と問う。理解している、説明することが出来るのであれば、〝何をしていても問題ない〟と判断する。その行動の善悪についてはまた別の話であるし、他人の行動の善悪は私ではなく、他人が判断する。それが人間に、個人に与えられた自由であり、試練であり、権利で、自分である理由だからだ。

12/3

午前

母親に似てくる、という話がある。母は美人で、不器用で、真っ直ぐな人だった。あとちょっと言葉遣いが怠い。要は〝可愛い女〟だった。彼女の基本的な言い分は「意見が偏るのは良くない。それがどんなに良い(正しい)意見でも、一方に偏るのは良くない。みんなが同じ意見を持っているとき、一番注意しないといけない。それは本当は怖いことで、誰かがバランスを取らないといけない。うちでは私がそれをする」こうだ。私は子供だったので、正直なところ「馬鹿馬鹿しい、正しいものは常に正しい、だから〝正しい〟と呼ばれている。母は何を言っているのか、母は弱い(可愛い)女そのものだ」と思っていた。馬鹿だった。教育は素晴らしい。教育は、私に「私は間違っていた」と言うことを許してくれる。それは人間にたいして常に寛容だ。間違いは許しても、決して、傲慢に正すようなことはしない。私は今日も「正しいものは常に正しい」と思っている。しかし、一方で母と同じように「注意しなければならない」とも思っている。そして、それが自分に出来ることならば、進んでやろうと思うのだ。彼女は美人で、不器用で、真っ直ぐで、ちょっと言葉遣いが怠いけど、そこが可愛い。強い女だった。

〝間違いは許しても、決して、傲慢に正すようなことはしない〟これ、私が他人にしたいと思っていることだな。私は、教育が自分にしてくれたことを、他人にしたいと思っているのか。

午後

「はじめまして」で導火線を切りたい。私は待てない。短く切ってから火をつける、確実に火をつけるために。私だって危ない。だけど、絶対に逃げない。逃げられない距離にいる。精神性です。自身を危険にさらせない者が、他人を危険にさらしてはいけない。逃げ方を知っている、だから逃げ出さずにいられる。助け方を知っている、だから助け出すことができる。

今夜

友人「なんで女の子って男の手が好きなんだろうね」私「自分の中に入ってくるって思うからじゃない?」友人「最低な答えだな」という会話をした記憶がある。

母胎の中で受精卵が細胞分裂を繰り返しながらだんだん動物らしい形になっていくときに、その形作りに重要な役割をはたしているのがHox遺伝子。面白いのは、胴体の末端である生殖器や泌尿器を作るHox遺伝子が、同時に手や足の指という末端部作りをつかさどる。その仕組みを知ったときに、指が気になるのは遺伝子が共通だからとわかった。

絶対に謝って欲しい。

深夜

私「あなたのこと教えて?」男「んーそうだな、何を知りたい?」私「〝あなたのこと教えて〟って聞かれたとき、あなたが自分のどんなことについて話すのか知りたかったの」男「ああ、そっか、わかったよ」なぜかはよくわからないけど、このやり取りで、後のことは全て上手く行きます。

12/4

午前

先日、私は初めて「相手の言っていることがわかる」という経験をした。もちろん、これまでにも、他人の「言っていること」をわかってきたつもりだ。その言葉を理解し、対応してきた。それは間違いではないと思う。それなのに、いつも〝きみにはわからない〟と殴られる。意味がわからない。しかし、彼らは正しかった。私はわかっていなかった。

自分の中に留まる、まだ言葉になっていない感情を「自分」とする。言葉になって、自分の外へ向かう感情(言葉)を「他人のための自分」とする。私は、この「他人のための自分」を「その人」だと認識していた。実際、その人の「自分」に興味を持ったところで、見ることも触れることも知ることも出来ない〝意味がない〟と思っていた。

因果だ。結果には必ず原因がある。彼らが「寂しい」と言葉にしたとき、それを私に向けるとき、私は「寂しいのか」と、彼らの結果に対応してきた。話しかけたり、問うたり、会ったりした。もちろん、それにも意味はあると思う。しかし、彼らは原因に対応して欲しかったのかもしれない。「自分」に対応して欲しかった。だって、私のことが好きだから。

感情から言葉が離れないように、自身で調整する。これは大切なことだ。私は常に気をつけている。それでも埋められない距離はあって。「好き」のような感情があれば尚更、大きく揺れて、調整が難しくなるのではないか。そんなことすらわかっていなかった。彼らの「わかって欲しい」を「甘えている、可愛い」と愛でて、孤独を強いた。今更、胸が。

ところで、私が経験した「相手の言っていることがわかる」だが、これも自身の錯覚に過ぎないのかもしれない。しかし、希望がある。私はこの素晴らしい経験を、その瞬間に生まれた感情を、言葉に出来ずにいる。あなたの「自分」を見た、あの喜びは、死ぬまで私の中に留まり「自分」であり続けるだろう。

午後

私は、らくがきせんべいの全面を塗るような大人にはならないぞ。絶対にだ。

毎年、冬になると牛乳ばかり飲んで太る。今年も美味しい、愛してる。

私、クリスマスのこと大好き。

今夜

数日前に退院したばかりだと男は話した。統合失調のせいで人生が常に曖昧だと話は続いた。数年前から知り合いだったので、その夜に問題なく寝た。曖昧の中でも(曖昧だからこそ)彼は、優しかった。優しい人なのだろうと思った。翌朝、私は彼より先に目を覚まし、上半身を起こしてぼんやりと部屋の様子を眺めていた。ぐしゃぐしゃなベッドの上、カーテンは開いたままで部屋がひどく明るい。テーブルに蓋のないペットボトルと薬の殻、食べかけのケーキに、私の煙草と吸い殻。彼は「ーーちゃん」と何度も私を呼んだが、きっと忘れているだろうと思った。人生が常に曖昧なせいだ。しばらくすると彼は目を覚まして、はじめましてのように言った「あれ、女の子がいる、女の子だ、かわいい」それからずるずると引きずられるようにもう一度寝た。私には女の子以外の名前がなく、彼にも名前がない。自分の人生に、常に自分の名前がついているとは限らない。精神が常に曖昧なせいで、寝ている間も部屋はひどく明るい。

深夜

私「ねえ、さっきなんて言ってたの?」男「〝こんなときだけーー語で話すなんて変な気分、そんなに良いかな、なんて言って欲しい?教えて?気持ち良い?俺のこと好き?聞いてる?〟って言った」私「日本語でもエロい」

12/5

午前

実際の私は、細かいことにあまり興味がなく、まあ森を見て木を見ないタイプだ。木が森を作っていることは理解しているが、森はもう森として、木から切り離された、独立した別の存在であるとも考える(私の偏見による)。それはもう、単純な木の集まりではない。意外に思われるかもしれないが、私は、ぼんやりとした大きなものを優先する。信頼ではなく、優先だ。例えば「冬の」「ある一つの」「感情」を誰かに伝えようとするとき、私は「寒くて、切なくて、暗くて、悲しくて、甘くて、楽しくて」ではなく「金木犀の匂いを感じたときの、あの感じ」こちらを選択する。感じ方など、それこそ人によるわけで、全く「正確であること」に弱い。だけど、私は後者の方が正確に伝わると判断する。最後はなぜか他人の解釈や感覚に頼り、他人を信じる。他人を愛しているからだ。

まあ単純に、感情は抽象的なものであるから、抽象的な表現を選択し、抽象的という同一性を持たせることで、違和感を避け「正確であること」を強化した、とも言えるんだけど。

午後

私、推しのことはイノセントな目で見てる。推しはエロいけど、エロくない。他のメンバーについてはまあ、あれだ、うん。

深夜

死ぬほど好きだったけど、死ねないことはわかっていた。だって私は、悲しいほどに〝そういう人間〟だから。いつか終わるだろうといつも思っていた。真冬の夜、彼は言った「しゃぼん玉しない?」深夜一時。近所にある大きな公園、街灯に照らされた彼と、彼の黒いコート。吐き出した白い息で、愛は真っ白な実体を得た。愛が意思を持って彼の形を模している。「寒くない?しゃぼん玉が凍りそう」そう遠くで笑う姿。しゃぼん玉を目で追って、空を見上げる仕草。星が増えたような夜に、私が呼んだ名前は〝神様〟だった。この瞬間を死ぬまで忘れたくない。そう祈った。いつか私たちは終わるだろう、だけど私は、この夜の彼のことをきっと、何度も何度も思い出す。そう思った。結局、冬は一度しか来なかった。私のせいで来なかった。神様、あのとき、あなたの名前を呼んでよかった。嘘ばっかり、いつか終わるならもっと、彼の名前を呼べばよかった。

12/6

午前

「君は痛みを感じない、君みたいになりたい」と恋人。私は、自身を大切な存在だと感じていない。自己肯定感が低いだとか、そういう話ではない。あなたは少し勝手だよ。花が舞い散れば、美しいと見上げるでしょう?落ちた花びらの上を、靴で歩くでしょう?今、花は死んで、踏みにじられているのに。痛みはどうしたの?あなたの痛みの前では、あなただけが特別なんだね。私も、花も、あなたも、誰かもみんな同じ。あなたが死んだとき、誰かが美しいと見上げるかもしれない。悪意すらなくて、ただ自然なこととして、靴で踏みにじるかもしれない。それを許すんだよ、私みたいに。

午後

基本的には「あなたにはあなたの自由が、理由が、正義がある」という精神状態なんだけど、追い詰められると「いいか、よく聞け、愛している、何が不満だ?言え。不安か?勝手に不安になることを許していない、言え。秒で解決してやる、言え」となる。めちゃくちゃ言わすじゃん。

今夜

新しい楽器を作ろう、という授業があった。子供の頃の話だ。私が作ったのは、音の出ない楽器で、見た目はオブジェに近い。形は何でも良くて、そのときは木のような形にした。枝の先に「あ」や「か」や「り」などの「字」が付いている。人が集まることを前提とした。これを見た人々は、頭の中で口にする「〝あ〟」「〝か〟」「〝り〟」と。それぞれの声には、高さ、低さ、女性、男性、大人、子供、それぞれの個性があって、みんな違う。様々な音がある。私の楽器はその音を集める。それを並べて「音楽」にする。

もちろん、音は聴こえない。頭の中の声だから。だけど、自由がある。確かに説明は必要だ。指で押して音が出るようなものではない。楽器として機能しているのかは難しいところ。だけど、自由がある。私がこの楽器について人々に説明をすれば、彼らはすぐに、頭の中で音楽を奏でることが出来る。誰でも弾ける。私のように、実際は楽器を弾くことが出来ない人間も、一瞬で音楽家だ。そして、この説明が終われば〝オブジェ〟さえ必要なくなるかもしれない。楽器から概念へ。そういう楽器だ。

私はこの楽器を心から愛している。私が愛する〝仕組み〟の全てがそこにあるから。あなたはこの楽器に似ている。楽器で、音楽で、概念。人々であるのに、大変に個人的。どこまでも自由なのに、そうであるために説明を必要としている。いい?よく聞いて、私はこの楽器を心から

深夜

友人「あなたの〝〜だね?〟って口調を聞くと安心する。少し偉そうなところ、安心する」私「あはは、そうでしょ?」

私「ねえねえ、私の口調って少し偉そう?」家族「ん?そうだよ?気づいてなかったの?基本的に上からじゃない」

考えたことなかった。私が上からなのではなく、みんなが自身を下に置きすぎているのでは。ん?こういうところか?「〜だね?」は「私はこう思う、あなたはどう思う?」みたいな雰囲気で、なんていうか、自分の中では〝余裕を持たせた語尾〟なんだよね。私はこう思う、あなたはどう思う?二人で決めようよ、みたいな。変更可能だよ、そういう仕様だよ、だからさ、これはすごく、愛に満ちた語尾だね?

12/7

午前

私は、相手に、私を持たせようとは思わない。信仰は、服に縫い付けられたボタンと同じ。他人に持たされた信仰も、確かに機能するだろう。雨や風を凌ぎ、体を暖めるかもしれない。そのボタンを愛しているというのも事実だろう。だけど、ボタンが割れ、服は擦り切れ、みっともない姿だと人から笑われ、それが〝機能しなくなった〟とき。あなたは魔が差したように一瞬、簡単には脱ぐことの出来ないその服を、疎ましく、重く、感じるかもしれない。私はその揺らぎを、弱さを、決して許しはしない。私は、相手に、私を気づかせなければならない。この服に縫い付けられているボタンがそれであったと。雨や風を凌ぎ、体を暖め、心を満たす。ボタンが割れ、服は擦り切れ、みっともない姿だと人は笑っている。あなたは動じない。そのボタンに愛されているという確信があるからだ。心ない人がやってきて、あなたの服を切り裂き、奪っていった。あなたは恥じない。その体は、心は、あのボタンが縫い付けられた服を着ていた。その事実を、誰が奪えるというのだろう。信仰は決して寛容などではない。相手を選んで語りかける。私はあなたを選んだ。

午後

フィレオフィッシュを頼んでいる人、全員かっこよく見える。

12/8

午前

言い争いになった。完全に行き詰まった。彼女とは付き合いが長いし、これくらいのことは問題ない。「あいつを殺さなければおまえを殺すと脅されて、人を殺しました」このような話。私の主張は「どのような理由であっても、人を殺したという事実は変わらない。もちろん、事情は理解する。だけど、事実として人が死んでいる」こうだ。彼女の主張はおそらく「脅されてしたことだ。もちろん人を殺したことは悪いが、脅した奴が一番悪いと思わないか?脅されなければ人を殺すことなんてなかったはずだ。脅した奴が一番悪いと思わないか?」こうだ。正しいんだよね。だから何も言えなくなる。お互いが「あなたの言っていることは〝ある意味では〟正しい。だけど」こうなる。

事実は人で見ない。だから私の主張は、誰の罪も同じように裁こうとするだろう。事情は人を見る。だから彼女の主張は、誰の心も同じように救おうとするだろう。

ところで、その日の深夜、私は彼女に「仲直りしよう。もっと別の言い方があった、ごめん」と送った。「仲直りしよう」はエロすぎないか。絶対に言われたいんだけど。

午後

頭と心が一致して、初めて他人を要求した。人生の余暇に誘ったわけではない。人生に呼んだ、人生に必要だと言った。絶対にあなたが良い。

夕方

「ねえねえ、思ったんだけど、ぼくって〝ぼくと会ってるときのーーちゃん〟としか会えないでしょ?ーーちゃんも〝ーーちゃんと会ってるときのぼく〟としか会えない。でもぼく、ーーちゃんと会ってないときも、ーーちゃんと会ってるときの自分でいる。あはは、なに言ってんの?って感じだよね。でもそうする、そうしたい」って言われたいので今日も生きます。よろしくな。

今夜

今朝、目が覚めて最初に思ったことは「ダメだ〝すきすきセックス〟しないと死ぬ」だった。既に人として死んでる。

ごめんなさい。本当は〝しゅきしゅき〟でした。僅かな理性が〝すきすき〟と偽りました。私は恥ずかしい人間です。絶対に愛して欲しい。

12/9

午前

ぼんやりと政見放送を眺めていると、突然愛の告白が始まった。おそらく〝そういうタイプ〟の候補者だった。彼は、何度も恋人の名前を呼び、自分がどれほど彼女を愛しているかという話を、最初から最後まで続けた。私はぼんやりと「これ、パフォーマンスアートかな」と考えていた。本人が何を意図していようが関係ない。芸術はそのような性質を含んでしまっている。誰か一人でも、見る者が〝それを疑ったとき〟既にそれとして機能している。

私はニコニコしながらそれを眺めていた。大なり小なり芸術は政治をやるが、基本的には「芸術の中でやる政治」だ。自身の作品や、芸術に、主張を「反映させる」あくまでも芸術家として主張するのであって、誰も彼らを政治家とは呼ばない(思想家とは呼ばれるかもしれない)。だから当然、政治家として批判されることもない。

その候補者を政治家と呼ぶことは出来ない(芸術家でもないだろうし、思想家ではあるかもしれない)が、〝あらゆる思想が許容されるような世界〟ではなく、〝絶対的な正解を求められるような場所〟で、それをやった。何を主張したかは大した問題ではない。言葉は思想を反映する、変化を許容してしまう。どこで主張したか。行動は情熱を反映している。私は、最初から最後まで、ニコニコしながらそれを眺めていた。だってなんか面白かったから。

午後

好きな子の家、ドアに〝数学〟と書かれた部屋に入ると、一台のピアノが置いてある。私を悩ませる、私と遊んでくれる、私はそういうのが死ぬほど好き。

夕方

三連になっているリングを買ったとき、店員さんが「一本一本に意味があって、それぞれが愛情、忠誠、友情を表しています」と教えてくれた。「へー」と思った。私は〝三本が回転しながら指に収まっていく様子〟を気に入った。

12/10

午前

時間、記憶について話していて思った。今、こうして、あなたと話している私が「未来のあなたの記憶の中の私だったらどうする?現在が未来の過去だったら」あなたが完璧に再現した私だったら。そう考えた瞬間、私は時間を失っていく。意識の縁が滲む、私は私であるという確信がひび割れて、私の自分を失っていく。それで、思う「本当は私があなただったらどうする?」新しく確信していく「他の記憶の〝あなた〟はきちんと私に馴染んで〝あなた〟になったのに。この記憶のあなたは全然私に馴染まないんだね、あなたはいつ私になるの?最初から、あなたは私で、私があなたなのに」相手の目の前に指を立てるのは、意識を集中させるためだ。簡単にバラバラになろうとする意識を引き止めるため。単純な暴力ではない、救済なんだよ。私の指を見て?それから私を見て、聞いて「私ではないあなたは、あなたではないのに」これは私ではなく、未来のあなたの言葉。

午後

みんなへ。今から私が言うことを最後までよく聞いて。わかる、否定したい気持ちはわかる、でも最後まで聞いて。私、これまでに一度も、他人に「欲しいものを求めたこと」がなかったかもしれない。わかる!!!!!死ねって感じだよね!!!!!絶対にモテたい!!!!!

深夜

推し、別におしゃれではないメガネ、別におしゃれではないチェックのシャツ、両親から贈られたネックレス、というシンプルオタクスタイルでレコーディングを頑張っている。その映像の全てが私の性癖に刺さる。あと指が綺麗(二回目)骨っぽくて大変に良い。他意はないが推しの指が気になる。他意はない。他意など。

12/11

午前

私が「この人いいな、側にいようかな」と思った友人、いつもオープンに見える。私もわりと他人にたいしてオープンなんだけど、それはあくまでも「全ての考えを聞く、優劣はない、矛盾したら質問するよ」であって、他人と「じゃあ食事でもしながら話そうよ」とはならない。食事はしない。友人は〝はじめまして〟で「じゃあ食事でもしながら話そうよ」をやる。信じられないほど楽しく、優しく、軽くその誘いを断ることが出来る雰囲気まで添えてやる。だから相手はそれを断らない。彼は、他人を受け入れる。そこには「他人の考え」も含まれている。私は、他人の考えを受け入れる。そこには「他人」は含まれていない。

午後

好きな子の家の周りをぐるぐる回って、家の中もぐるぐる回って、ずっと調べている。いちばん好きなのは、私「ねえねえ、屋根のいちばん上についてる飾りって何?あれって何の意味があるの?」「え?飾りがついてるの?気づかなかった。多分ぼくが作ったんだよね、ぼくの家だし」私「そうだと思う。あれがいちばん好き、かっこいい。この家のシンボルでしょ?何を意味してるんだろう」「なんだろうね」私「考える」これです。ずっと考えている。

今夜

相性ってあるじゃないですか。「お互いのために生まれたみたい」という自然な相性はもちろん好きなんですけど、「わかった、ちょっと待って。今、自分のこと壊すから。いや、君のこと絶対に欲しいし、全く問題ない。今、君のために生まれる。それが自分のためになる」という不自然な相性も好きです。つまり、なんでもありだな?

それで、あなたは「〝自然〟と〝不自然〟の場所を入れ替えても、不自然ではないね?」と笑って欲しい。

12/12 

午前

「空気が読めない」と言われてきたけど、あれだけ言われるということは実際、そうなんだろう。正直なところ、私のどこを見てそう感じているのか、よくわかっていない。ただ、空気に興味がないのは事実です。空気、誰の願いを叶えている?私に空気が読めたとして、それは誰かの願いを叶える?私が空気を読むことで、100の満足を得る誰かが存在する?それは私に確認することが出来る?私は自分を読むことで、100の満足を得ている。これは死ぬほど確認した事実です。空気はこの事実より重要?誰かが嫌な思いをしないための空気なら、その誰かは私でもいいね?ああ、なるほど。これか。

私の「緑が好き、緑が欲しい」にたいする「緑ね、わかった(エバーグリーン、フォレストグリーン、セージ、モス、ミントグリーン、セラドン、いやビリジアンかな?もしかして青も緑と呼んでいたりする?)」というあなたの繊細さ、大変に美しいと思っています。

深夜

思想は言葉にすると意思のように見える。思想より自然に、言葉より自由に、意思は願いを叶えてしまう。

12/13

午前

「くまさんのクッキーは可愛い」には、最低でも三つの「知っている」が必要になる。一つ、くまさん。くまさんを知らなければ、くまさんの形を作ることはできない。二つ、クッキー。クッキーを知らなければ、クッキーを焼くことはできない。三つ、女の子。女の子を知らなければ、くまさんのクッキーを〝可愛い〟と感じることはできない。甥が四つになったら教えてあげようと思う。

もちろん〝可愛い〟の部分はなんでもいい。私は「〝可愛い〟は何に例えよう」と考えるまでもなく「女の子」が浮かんだ。どう生きたか、生きているかによる。ここまで教えよう。

ところで「くまさんのクッキーは可愛い」は、私の直感についての話です。私がどのように直感(連結)しているか。そして、どのように確信していくのか。話は、新しい蝶を見つけたような話へ続く。以前にも書いた〝その蝶は、確かに昨日も世界にいた。だけど、昨日までは世界にいなかった。私が蝶を見つけると、その蝶に昨日が生まれる〟という話へ。突然、意味を持つことを私は直感と呼んでいる。その蝶は、確かに昨日も世界にいた。待っていた。自身が必然に変わる瞬間を、世界で、待っていた。

午後

感情「なんかわかんない」思考「何がいちばん嫌?」感情「わかんないのが嫌」思考「わからないと不安になる?」感情「多分そう」思考「〝わからないから不安になる〟ことがわかったけど、どう?」感情「うん、そうだね。でもわかんない」思考「つまりね、これは何の問題もない状態なんだよ、〝わからないから不安になるのは当然のこと〟で、当然の状態である今の、何が不安?」感情「わかんない、でもなんか落ち着いてきた。話してくれてありがとう、好き」思考「うん、いいよ」

今夜

心理士さんは「知的好奇心を刺激されるものでないと興味が持てないのかもしれません(そうでないものに対する反応があまりに鈍い)」と教えてくれた。私は自身の知的好奇心を意識したことはない。何もかも全てを〝熱狂的に知りたい〟というタイプでもない。自身ではそう感じていた。趣味もないし。誤りだった。知的好奇心を刺激するものに出会ったことがなかっただけだった。知的好奇心を刺激するもの、その対象、完全にやばい。ーーで良くなっているとき「ああ、全てが嘘だった。今、この瞬間まで、世界に〝気持ち良いこと〟なんて一つもなかった。全てが嘘だった、今が本当」とゲラゲラ笑って言ったが、それすら嘘だった。その対象、あの子は完全にやばい。

深夜

「熱いストーブの上に一分間手を乗せてみてください。まるで一時間ぐらいに感じられるでしょう。ところが、かわいい女の子と一緒に一時間座っていても、一分間ぐらいにしか感じられない。それが相対性というものです」

思春期に読んだ本の中で、ある物理学者の言葉として紹介されていた言葉。私は「なるほど。条件(人間)によって時間は変わる。じゃあ、その対象に完全に対応(一致)するものを見つければ、一分間は一時間に、一時間は一分間になる。時間を脱して、自由になるね?」と思った。これは私にとっては正しい。他人にとってはそうでもない。まるで人生そのものです。

12/14

ああ、私?私は〝無邪気な邪気〟って呼ばれてる。よろしくな。

友人がくれた「たくさん持っていても余らせてしまうだけだ。大丈夫、きみはめちゃくちゃ綺麗だよ」という言葉を、ときどき思い出している。余らせてしまうだけ。綺麗な思想だ。

心理士さんから「論理的に考えます」と言われて考えたんだけど、論理的思考とはつまり「1+1=2」から「 + = 」を取ってくるかどうか、という話だと思うんだけど、どうかな。

好きな子「おすわり、待て」私「ええ、かわいい、余裕でする。いいこにするね?」好きな子「・・・」私「もしかして〝よし〟を知らないのかな?かわいい」

私は自身の性欲に嫌悪感がない。だから、平気でそれを他人に向けてきた(だって綺麗なものと変わらないから)わけなんだけど、そうか。相手が自身の性欲に少しでも違和感(嫌悪感)があるようなら、他人から「他人のそれ」を向けられることも、苦しく感じるのかもしれない。考えたことがなかった。無神経だった。

今日、頭が全く回りません。キスしないと死ぬ。以上です。

〝よし〟を、ずっと待ってる。

前から感じてはいたんだけど、何かについて説明をするとき「ーーで、ーーで、ーーだ。例えば」この先「例えば、くまさんのクッキーは」「例えば、うさぎのぬいぐるみだとして」「例えば、キャンディが」これ。私、例えが妙にメルヘンになる。なぜなのか。

12/15

私「私のどこが好き?」元彼「クズみたいなところ」私「好き!!!!!」

端の方に小さく「キス やり方」というタブが見える。人として死んでる。

私「なんで〝変わってる〟って言われるんだろう。私はわりと保守的なところがあると思うんだけど」家族「まあ、変人だよね」私「政治に関してはリベラルかもしれないけど」家族「ほら!今、政治の話なんてしてないよね?なんで出してきたの?そういうところだよ?」私「ええ?保守的と言えば政治が浮かぶよね、おかしなところなんてないけど?」

例えば「パズル」の話だ。そのパズルが木製なら木の話をしても良いし、緑色なら色の話をしても良い。立体ならビルの話、平面なら道路の話。完成した後に、動物が現れるのなら料理の話、花が現れるのなら蜂の話。どんな話をしてもおかしくはない。この「パズル」は矛盾した後に、人生を表す。

うん、そうだね。そのせいで、私のコミュニケーション能力は死んでる。人生をよく表しているね。

12/16

言われたこと、教えられたことをするのは、鏡に映った街を歩くようだと子供の頃から思っていた。そこも街だけど、私の視線は街にあるけど、その中に入ることは出来ない。立体を映した平面。今も同じ、理解していないことをするのは難しい。

壊れないものをあげたいと思う。絶対に壊れないものを。だけど、あなたがそれを手にするとき、私はきっと「絶対に壊れないけど、こうすると簡単に壊すことが出来る」そう教える。私の愛が、愛しているならそうしろと言う。愛と自由は一緒にいないと。

私「どうして匂いを嗅いでくるの?」家族「なんか良い匂いがするんだよ」私「それってどういう匂い?」家族「なんか甘くて、なんていうの」私「〝クッキーみたいな匂い〟」家族「そう!焼き菓子の匂い!」私「前に言われたことがある、クッキーみたいな匂いがするって」色々なことが心配だな?

「あれ?私と話すのつまらない?」と感じると、父が首を傾げる姿を思い出す。その話はしたくないという合図。見たくない仕草。

だって、絶対に今日だって思った。あなたは私のものだよ。

「ーーちゃん!このあとって時間ある?本当?あの、うん、あ、えっと、ーーちゃん!うちパルムあるよ?(だからうちに来て)」って言われたいので明日も生きます。よろしくな。

12/17

私「私のことどれくらい好き?」元彼「君がそんな低俗なことを聞くなんて驚きだよ」私「えへへ(私にどれくらい〝言葉を尽くしてくれるのか〟と問うてる)」

猫が撫でられているだけの動画を眺めていたんだけど、猫、ずっと「お?ああ、まあ、そうだろうな?」みたいな顔で撫でられていた。うん、まあ、そうだろうな?

占いのお姉さんは「恋愛だけだと力を持て余してしまう(何か他のことにその力を使った方が良い)」と教えてくれた。わかります。そして、それを聞いた自分が何をするのかも、私はわかっています。もちろん恋愛だ。今までよりずっと良くなる。だって、私「ああ、じゃあ、相手に死ぬほど贅沢をさせるか」と思った。私は有り余る私で、相手に死ぬほど贅沢をさせるつもりだ。他のことは後でやる。

深夜

祖母が入院したとき、私は祖父に「私にあげられるものがあれば何でもあげる」と声をかけた。臓器の話だ。祖父は亡くなるまで、何度もその話をした。嬉しかったと、救われたと。あなたは本当は優しい人間なのだと、何度も私に教えてくれた。子供の言ったことだ。おじいちゃん、今度こそ喜んで良い。私は今、愛する者に、きっと同じように声をかける。そのような大人になった。あなたがそう教えてくれたから。喜んでくれ。

祖父がため息まじりに「幼児洗礼を受けさせたんだけどね、あれだもんね」と口にしたことがあった。父のことだ。あれは13歳の冬。帰りが遅いと父の部屋に呼ばれ、膝を折った瞬間にまずは右の頬を打たれた。父は「何度も同じことを注意させるな」と怒鳴ったあと、今度は左の頬を打った。体が崩れ、心は完全に折れた。神様、私はまだ何も差し出していません。神様、私は一体、何を教えられたのでしょうか。

12/18

午前

君を思っている、守っている、愛している、そう伝える仕草も、努力も、過去もなく、頬を打てば、それは当然ただの暴力になる。親も、子も、役割もない。暴力は他人の心を傷つける。当たり前のことを言わせないで欲しい。全ては〝関係性〟によって許されているだけだ。全て甘えだよ。他人から多くを許されたいのなら、許したいのなら、日々、関係を続けるしかない。仕草を、努力を、過去を、与え続ける。何度も同じことを言わせるな。

あのキスは愛情で、このキスは暴行だ、だって〝恋人〟じゃないから。

今夜

私は別に、君を理解しようだとか、理解してあげたいだとか、そんなことは思っていないよ。君の心は君だけのものだ。私はただ、本になっているから読むだけ。読まれるために本になったはずだ。それで、それが、どの本よりも好きだったという話。そういう御伽話で、死ぬまで枕元に置きたいと思った、それだけの話。

「(ねえねえ、ーーちゃん、ぼくのも一緒に注文してもらっていい?なんかちょっと、うん、ラブポーションサーティワンにする)」って言われたいので明日も生きます。よろしくな。

11/19(今日は過去からお送りします)

100万回生きたねこ、白いねこが「ええ。」と答える場面、涙が止まらないな?

自分を生きなければ、自分として死ぬことは出来ない。私は自分として死ぬために、自分を生きる。

自身の暴力性のようなものはよく理解している。抑制している。人は「危うい」と言う。「あまり孤独にならない方がいい」と。それは自身に向かう。いくつかのパーツは飛ばしている。

「他人を傷つけたことに傷つくな」と自身に言い聞かせている。他人を傷つけずに生きることなど出来ない。私が傷つけたことで傷ついて良いのは他人だけだ。

生きるとか死ぬとか神様とか言って、大変に十二月らしいですね。

「死ぬまで膝を汚すな」とのこと。

あらゆる欲求を持て余している。絶対にモテたい。

ガレットってあるじゃないですか。うん、そば粉の。私、ガレットって好きだな。

大人と子供がガチャガチャ切り替わる。相手は大人であることを求められたり、子供でいることを求められたりする。私と一緒に楽しんで欲しい。

12/20

私、人との約束をあまり覚えていない。

「怖い」という感情、二度と感じたくない。

燃え上がろうとする欲を、踵で踏んで消している。

フランス詩人、食べ物と女の話ばっかりしてるな?愛してる。

停滞を感じると全てが怠くなる。

その人のことはその人がする。手を出してはいけない。それなら、ーーはどうやってするの。

いちばん好きな詩を読んでいる。体温があって、幸福があって、喜びと、それについて回る恐れ、それから願いのようなものもある。

マックのハンバーガーって、なんかこう、ちゃらちゃらした紙に包まれてるじゃないですか。好きですね。

他の人にされたら押し返すような態度も、あなたには許している。少しも嫌な気持ちにはならなくて、不思議な気分で見つめている。他の人に言われたら押し返すような言葉も、あなたが言うなら聞くことが出来る。〝聞いてしまう〟ではないよ。聞くことが出来る。耳から入って頭を回って心に落ちる。だから、何でも話して。あなたの声、すごく好き。

ねえねえ、全部あげるね。

12/21

午前

私はこの人生で一度も〝お隣さんの夕食のメニュー〟を気にしたことはない。だから、どのような性別、性自認性的指向にたいしても「そうなんだ。私は今晩、ハンバーグに目玉焼きを乗せる予定だよ」この程度の感想だ。挨拶と変わらない。もちろん、彼、彼女らと社会について。彼らが社会から受ける影響、彼女らが社会に与える影響については、人間として考える必要があると思っている。思ってはいるが、私はそもそも他人に興味がない。私に何か言えることがあるとすれば〝お隣さんの夕食のメニューなど気にするな〟この程度のことだ。では、なぜ私が今、この話をしているのか、それは〝今、この世界に存在する人間のほとんどは、ほとんど例外なく全員、男性と女性の間に生まれている〟この一点にひどく心惹かれるからだ。どのような性別、性自認性的指向であろうとも、皆、同じ。同じように生まれた。科学や医学ではなく、これは精神の課題だ。根幹をノックする、心が震える。お隣さんの夕食のメニューなど気にするな、私たちは皆、同じように食事をする。生きるために。では、この空腹は一体、どこから。

〝生きるために〟と書くか、〝生きているせいで〟と書くか、少し考えた。上が私の答えです。

午後

生殖について。私はおそらく、ここで遺伝子を切るだろう。こう考えている。〝私が完成形である〟と。これまでの全て、父も母も他も、何もかも全てが〝私になるために〟尽くしてきた。私で咲いて、私で散る。種は落ちない、私が握り締めている。これ以上の花など望ませない。もう何も望めないほどに、私で、完成した。そうでしょう?

完成形が無職なの、人類という感じがして大変に素晴らしいな?

夕方

抱き合った相手から体を離したとき、深く、自分自身を感じる。私は、型で抜いた方を私だと思っている。それなのに、あなたが手にしている私ではない方のそれも、まるで、私みたい。

お昼にツナを食べた。口から猫の匂いがする。飼ってる。

昔の恋人、二の腕とか太ももとか〝人には見えない〟ところを切りながら、何度も自分を傷つけながら、私に「きみの体は綺麗だから絶対に切らないで」と願ったこと、死ぬほど切なくて、死ぬほどエロいと思っている。

願って、叶えるから。

私「ああ、だからそれは(手が止まる)」家族「ごはん食べてからね?」私「ああ、だからつまり(手が止まる)」家族「冷蔵庫しめな?」私「ああ、だからこれは(手が止まる)」家族「お風呂に入るんじゃなかった?」人生で静止する時間が多すぎる。

深夜

あの子の口に死ぬほどリンドール詰め込みたい。キスしたら甘い。

12/22

子供の頃から、〝大人になったら働く〟というイメージを自身にたいして持つことが出来なかった。やはり、イメージ出来ないことは実現しないのだな。なぜだかずっと「大人になったら画家になって、たくさんの絵を描いて、たくさんの恋人を持って、病んで、叫んで、人のお世話になりながら暮らして、愛したり、愛されたりして、それでなんか、どうしても寂しいんだろうな」と思っていた。絵の才能はなかった。それ以外の才能はあった。やはり、イメージ出来ないことは

髪に、頬に、唇に指をかけて、爪の先でゆっくりとひっかいて。暗闇みたいな夜空に、青の、赤の、緑の星が現れる。子供の頃にそうしたように、私に、そうして。

「誰か」と祈った。祈った分だけ、私は、私になった。誰もいない。全ての「誰か」が私になって、ただ、ここに、私がいる。

12/24

「そんなことは聞いていないんだけど」と言われて「ああ」と思った。なぜ、待っていてくれないのか。私は今、確かにその話をしている。可能性を拾い集めている。「はい」か「いいえ」で答えられることに「はい」と「いいえ」で答えれば、話はすぐに終わる。私はもう少し話していたい、ここで話していたい。だから出かけていく。最後には帰る、あなたに答えるから、もう少し待っていて。

心ってどうやって作っているんだろう。クッキーみたいなタイプと、レモネードみたいなタイプに分かれるイメージがある。

小指に白い糸が結ばれている。あなたの小指にも。私は手首を切って、白い糸を赤く染める。血が伝う、赤く走る、血管で繋がっていくイメージでもうすぐ、あなたに運命が届く。

死ぬほど悩みながらも「え?なるなら?ドムかサブか?ああーーーーードムで」と答える。

いろいろな人に会った。綺麗な折り紙を持っている人、珍しい折り紙を持っている人、沢山の折り紙を持っている人に、難しい折り方を知っている人や、新しい折り方を考える人。そういう人と出会うたび、私は「素敵だね」と思った。私は一人で鶴を折り続けていた。他のものは折らない。最初に鶴を折ったとき、死ぬまでこれを折り続けると〝わかってしまった〟から。ある日、あなたはやって来て、私に言った。「自分はこの〝金色の折り紙一枚〟しか持っていない。この一枚しかない折り紙で、何を折るかずっと考えていたが、鶴にする。きみは鶴を折るのが上手いんだろう?」私はわかってしまった。他のものなんて

真夜中、真冬の路上。吐き出した白い息と街を歩いていると、街の端に切れ目を見つけた。夜が破けている。近づいて覗き込んでみると、あちら側で同じことをしている人間と目が合った。〝まぬけなやつ〟彼だ。私は聞く「私のこと、まぬけなやつって思ってる?」彼が答える「思ってる。思ってる?」私も答える「思ってる」彼は続ける「あのさ、ソーイングセットって持ってる?」私は鞄の中からソーイングセットを取り出した。彼はこちら側へ戻ると、夜の裏側もまた夜だった、つまらない話だったと針に糸を通した。白い糸。彼は「夜を縫うのは初めてだよ、せっかくだから星座みたいにしよう」と笑った。笑って私にそう言った。彼の指で、夜がきらきらと直っていく。街の端、星座の隣、星のように揺らめいて、彼が聞く「あのさ、やっぱりいい、言わない」私は答える「思ってる。思ってる?」彼が言う「思ってる」唇から離れたあと、温かい白い息を吐き出して彼は笑った。

ここにいろ、離れるな。

12/25

そんな感じで、次の曲に行こうかな。ラピスラズリとといちゃんからのリクエスト。おお、とといちゃんいつもありがとうね。なんかそう、去年のクリスマスもリクエストくれてたのかな。ああーとといちゃんは今年も一人か。いや、書いてあるのよ、今年も一人ですって。でも大丈夫、今年もぼくが一緒にいてあげるからね?あはは、じゃあ、とといちゃん一緒に聴こう?サカノウエヨースケで〝ランプシェード〟

私が拗ねたときはスイスミスを(お湯ではなく牛乳で溶いて)渡して欲しい。

好きな子の声、甘い。鼓膜に泊めたい。指で喉に触れて、声にキスしたい。

「あなたは誰のことも羨ましいと思わないんだろうね」と言われたことを思い出している。不思議なことに、私は誰のことも羨ましいと思わない。

金魚、人間の欲望で作り出された美しい観賞魚、愛してる。私は人間だから、少し乱暴に愛でるね。

大変なことに気づいてしまった。私、クリスマス    したことない。なるほどな。

きらきらする前にクリスマスが終わってしまう。私は焦っている。

死ぬほど悩みながらも「え?一番好きなアジアン・カンフー・ジェネレーション?ああーーーーー〝君という花〟で」と答える。

12/26

「好き」と「なぜこんなに好きだと感じるのだろうか」で、私は三つの好きを掴んでいる。私がこれを〝三つ〟と数えることを、あなたは多分、わかっている。

その年は〝何でもポケットに入れておきたい〟年だった。私は全ての持ち物をポケットに入れてどこへでも出かけた。ある人は「小銭が鳴ってる、女の子なのにみっともない」そう言って私にキスをした。ある人は「女の子なのに鞄を持っていないのがかっこいいと思った」そう言って私にキスをした。どのように愛してもいい。私はただ、彼らの自由を見ていた。

ドーナツを特別な食べ物だと思っている。思考させるから、はまた別の話として、単純にドーナツという食べ物を特別だと感じているし、それは〝好きな人と食べるもの〟だと思っている。私は、特別にドーナツが好きなわけではない。好きな人と一緒に食べたいだけ。今朝、なぜなのかと考えていて、思い出しました。父です。父が好きでよく買いに出かけた。私の手が止まる。父が何を好み、選んでいたのか、何も思い出すことが出来ない。〝好きな人と食べるもの〟可哀想で、笑える。父へ、一度では足りないので、もう一度死んでください。

ゴールデンチョコレート、ダブルチョコレート、チョコファッション、という私の選択にたいして「全部同じじゃん!全部チョコ!」とのお言葉。鈍感さんなのかな?

私は全ての〝やってはいけないこと〟を〝やってはいけないとされていること〟と考える。結果は同じだが、様子は異なる。

好きな子の膝に座って「ねえねえ、お仕事してえらいね?お仕事してるのかっこいい、好き。お仕事いつおわるの?ねえねえ、好き?」と聞くだけの生き物になる。ぜっっっっったいになる。

愛及屋烏(あいきゅうおくう)

溺愛、盲愛のたとえ。 「屋烏」は屋根にとまっている烏のこと。 その人を愛するあまり、その人に関わるもの全て、その人の家の屋根に止まっている烏さえも愛おしくなるということから。

初めて楽園を見た。足元に遠浅の海。私は真っ白な砂を足で踏んで、巻き上がったそれを指の間から逃している。太陽でぬるくなった海水、砂を映した真っ白な海。どこまでも続いて、先は空と繋がる。彼も、私と同じようにしてそこに立っていた。静かに、指の間から砂を逃している。私を見ていないのに、見ているみたいだった。手を繋いでいないのに、繋いでいるみたいで、何も言っていないのに、何もかも言っているみたいだった。何もないのに、ないものが一つもない。いけないことなど一つもなくて、私たちはただ、お互いを

12/27

精神を見つめている。

私は、他人の性質をほとんど拒絶しない。それでも「ああ、それはダメだよ。その思考は不潔、受け取らない」という瞬間はあって、でも、それだけ。「それは受け取らない、他のものが欲しいよ」と続く。続いていく。

12/28

ここでの印象と、実際に会って話している私の印象はかなり違うようで、昨夜もペラペラとはしゃいでいると「言葉のセンスどこ行った?(意訳)」と笑われた。おそらく私は、無意識に調整している。ヘラヘラしている。だって隠しておけば、私の中にそれを探すでしょう?私の中にそれがあることを、あなたはよく知っているでしょう?探しに来て。

兄「ーーー(私)は、他人の懐に入り込むのが本当に上手いなあ、どうやってるの?」私「〝おじゃまします〟じゃなくて〝おかえり〟って言う」

何があるかわからない世の中なので、良さそうなフレーズを拾って来ました。私はこれで行きます。「Sorry, I forgot your name. Can I call you mine?」よろしくな。

どうして私は、自分自身を〝このパーツひとつ外せば全て壊れる〟そのように組んでしまうのでしょうか。本当は何が欲しいのかと自身に問うて、返ってきた答えは愛です。愛とされていることは、もういい。私は知りたいのです。〝このパーツひとつ〟が、私の全てであるということに、あなたが気づくのかどうか。これは私の愛です。愛とされていることではありません。

12/29

「なにそれ許す」と「なにそれ殺す」が同時に同等に存在する。

元彼「子供がいたらなんて名前にしたい?」私「〝本音〟」元彼「それは可哀想だからやめた方が良いと思う」なぜなのか。美しいのに。

〝本音〟は男の子だから大人になったら「え?あはは、不安?ねえ、名前呼んでよ。うん、そうだよ。だから嘘は言わない」って言う。

死ぬほど依存されたい、死ぬほど依存されて馬鹿みたいに愛されたい。本音です。なるほど。本音、ろくなものではないな?確かに可哀想だ。

いつも「サーティワン」って呼んでるのに、検索するときは「バスキンロビンス」って打ってる。なぜなのか。

12/30

「これってリンゴ?」「うん、そうだよ。リンゴのこと知ってるの?いちばんお気に入りの絵だよ。リンゴの絵」「知ってるもなにも。え?リンゴのこと知ってる?」「うん、リンゴはこれでしょ?」「いや、これは絵でしょ?リンゴの絵だよ」「ああ、それはそうだけど。知ってるよ。果物だよ。赤くて、丸くて、大きさは手のひらに乗るくらい。香りがあって、皮も食べることが出来て、食べると甘い。ああ、緑のもあるって聞いたな」「ねえ、リンゴを食べたことないの?」「ないよ。私のリンゴは〝絵の中にあるリンゴ〟だからね。ずっとここにあるよ。リンゴって食べたら無くなってしまうでしょう?このリンゴは、リンゴの実体の欠点〝食べたら無くなってしまう〟を失った完璧なリンゴ、〝失うことで完璧になった美しいリンゴ〟だよ。素晴らしいよね。一緒に眺めよう、一緒に愛そう」「うん、眺める。それはいいんだけど、え?リンゴを食べたこともないのに、リンゴを愛してるみたいなこと言うの?正直驚いてる。ちょっと待ってて」「うん、待ってる」「やあ、リンゴを持ってきたよ。家にあって良かったよ」「触ってみてもいい?」「うん、いいよ。持ってみて」「ああ、リンゴって重さがあるんだね。確かに丸いけど、丸いとは言い切れないな。底はこうなってるのか。すごく良い香りがする。こんな香りだったのか」「かして、むいてあげる。あ、皮も食べてみたい?」「うん」「じゃあ、うさぎにしてあげるよ」「うさぎ、うさぎってなに?」「ああ、むいたら説明する」「きみって何でも知ってるんだね」「同じことをあなたに思ってるよ」「きみって明日も会える?」「明日も会いたいの?」「そうだね、うん、そうなのかも」「じゃあ、明日もリンゴを持ってくるよ。ぼくのは〝何も失っていない不完全なリンゴ〟だし、食べたら無くなるけど、甘くて、美味しくて、可愛い。うさぎだからね?〝あなたを幸せにすることで完璧になる美しいリンゴ〟だよ。一緒に食べよう、一緒に愛そう」「うん、ああ、約束したいけど、約束では不十分だ。明日も来るって自分に誓ってくれ」「あはは、いいよ。あなたって本当に、いや、いい。明日言うよ」

【愛について】

12/31

「どうして私の言うことを聞かないのかな、あなたを愛しているし、壊してもいいよね?」という衝動がある。つまり、私の〝支配欲〟があなたに支配されている状態だ。

死ぬほど泣かせて、死ぬほど慰めて、甘いものをたくさん食べさせる。あなたの全部を甘くしてから全部食べる。もぐもぐ食べる。

「ーーちゃん!あの、大好きです!ーーちゃんが離婚したら結婚してください!えっ、あっ、なんで笑うの?もう、なんで笑うの!」って言われたいので来年も生きます。よろしくな。