四月

4/1

私に答えて欲しい。何を答えとしても〝間違いにはならない〟問いの中で、あなたが最も美しいと思う方法を、私に試して。それでいつか、答えを見つけて。それは〝正しいあなた〟ではなく〝あなたが信じたあなた〟で、それが私が望む唯一の〝最も美しい答え〟であって。

4/2

あなたの「どうして僕を愛すの?」という問いに、私は昨日のうちに答えていたようです。〝間違いにはならない〟問いの中で私は、あなたに、最も美しいと思う方法を試している。その羽は青にも紫にも見える、その色を言葉にすることは出来ない。頭の中にある色をあなたに映して、私は探している。あなたが首を振ると映した色があなたから落ちる、ずいぶんと酷いことをする、あなたは私が見つける瞬間を見たい、私は頭を離れて胸の中を探す。「どうして僕を愛すの?」私にとってあなたが〝最も美しい問い〟だからだ。

4/3

快楽について。幼い頃から〝性的な快楽〟に抵抗がなく、むしろ、それが常に「いけないこと」であったために、五つ、六つ、七つ、八つ、九つと、幼いからこそ、その背徳、その官能の虜だった。今の私はどうだ、何一つ禁じていない、この怠惰。人は〝ここにあるもの〟を禁じる。そして、ここにあるものを禁じられたとき、人は初めて、それに背くことが出来る。背くために禁じる。彼を見ていると、その頑なさに、私は〝性的に高揚〟する。私が失ったものを彼は持っていて、私はそれを失う快楽も知っている。あなたはここにあるものを禁じる。あなたが自身に禁じることで、あなたは私にも〝それ〟を禁じることになる。あなたが「いけない」と悩むことで、私たちはより多くの快楽を得る〝その可能性〟を得ることに。

過去に〝死ぬほど好きだった人〟が一人いるが、彼は何座だったんだろうか。双子座だった。知らなかった。死ぬほど好きだったのになぜ、星座を知らない?なぜ興味を持たなかった?〝死ぬほど好き〟とは一体、なんだろうか。最も良いイメージをくれた、それだけではないか。良いイメージに必要なのは相手の知性だけで、星座も、約束も、セックスも必要ない。それは確かに美しく、だから私に〝死ぬほど〟と言わせる。知性にそう言わされている。知性が〝必要ない〟と排除したものの中に星空があって、誓いがあって、愛があるのではないか。今、私は一体〝何に〟そう言わされているのだろうか。

4/4

あらゆる物語に。

4/5

誰が触れても音は鳴る。それが楽器の性質だからだ。学べば誰でも弾ける。だけど、音楽は違う。私はそれをしようと言っている。あなたへの反応をもっと素直に感じて。あなたが起こした音、指から耳へ、あなたがしていることに、あなた自身が喜んで。あなたが触れる、あなたが弾く、指が音になって、ただ一つの音楽が生まれる。

あなたは自身を〝なんでもない〟と言う。だから私には足りないとそう口にする。あなたがダイヤなら指輪に、小石ならペーパーウェイトにする。あなたが蝶なら研究者に、言葉なら哲学者に、月なら宇宙飛行士で、灰なら水曜日になる。それだけ。私はあなたで思考する、何が足りない?知で満ちている。

4/6

〝言葉なら哲学者に〟と書きましたが「思想なら、苦悩なら、疑問なら、理解なら、幸福なら」そう次々に迷って、頭を抱えました。結局のところ、それらを伝えるには〝言葉〟が必要で、つまりはそういう話です。

花瓶に花壇を挿そうとしている。私のわがままはそういうものだ。花を摘んで花瓶に挿せばいい、庭に出て花壇を眺めればいい、わかっている。私は花を美しく見せている全て、その全てを花瓶に挿したい、それだけなのに。そんなことを花は望みはしない、そうわかっているのに。

4/7

砂時計は視覚化された時間で、その砂が落ちていく様子は視覚化された重力だ。私は人間で、視覚化された時間であって、その命が果てていく様子は

なんだと思う?私は人間で、だから、その様子を〝視覚化された永遠〟にしたい。矛盾する?そこに愛が現れる。私はそれを待っていた。ずっとずっと。

4/8

教養〝未知への挨拶〟その仕草とする。

「仲良くしよう」何を前にしても、私の一言目がそうでありますように。

水に落ちた石が水面に波紋を作り、遠く離れた水辺で、その波紋を見つけた者が石を描いた。見たこともないのに、確かに石が見える。創造される、神に愛に芸術。人間が見つめるモチーフは一つ〝人間が見ているものについて〟私たちは皆、同じものを見て、別のことをしている。

そしてもちろん〝別のことをしている〟という〝同じこと〟をしているわけです。やれやれ。

4/9

例えば、私が彼の〝クッキー〟だとする。ある日、彼のところへお腹を空かせた誰かがやってきて言った。「それ、欲しいな。それ、すごく美味しそう。ひどい空腹なんだ、食べないと死んでしまうよ」おそらく彼は悩みながらも、その誰かに私を差し出すだろう。そして、私は私で「あげちゃうの?好きじゃないの?慣れちゃった?飽きちゃった?そうなんだ、私を好きではない人に私をあげるわけにはいかない」そう諦めるだろう。〝お互いに好きなのに〟だ。私はこれを避けるために、本来の自分に反しながら、悶えながら「誰かに渡した瞬間に、私はバラバラになって材料に戻ります。それはもう食べることが出来ません、この完成はあなたのためのものです。私を差し出しても、あなたは〝お腹を空かせた誰かに食べ物を与えて助ける〟ことは出来ません」を続けている。

論理的思考は「その答えは正しいのか?」ではなく「その式は美しいのか?」と問うてくるイメージです。私にとっては「1+1=2」も「1+1=234」も同じことです。もちろん後者は間違いですが〝二つの数を合わせた数が=の後ろにあります〟ということです。その答えが間違っていたとしても、答えは〝=の後ろ〟にあります。美しい式は、私に、間違いを与えません。私は、美しい式にたいして、間違えることが出来ません。

4/10

メモ

彼が抵抗を示すのは、それが自身にとって良いもの(だから避けるべきもの)であると感じているせいではないか。つまり、恋愛や快楽やその対象が、彼にとって〝素晴らしいもの〟であればあるほど、その抵抗は強くなる。〝それ〟を、自分自身を〝保ったまま〟受け入れることは難しいと判断したせいか。自身を脅かすものにたいする本能的な拒絶、生存本能による反射的なーーーーカゲロウはその命の短さゆえに口を持たない。〝より〟生きるために〝口を閉じた〟虫。ブラインドケーブは目の代わりに他のものを得た。〝より〟生きるために〝目を閉じた〟魚。環境に、自身に適応し、完成した生物。彼の完成はどこに?恋愛や快楽にたいする違和感はそのまま、生殖への違和感である可能性が高い。生まれてたきたこと、根本への不信感、自身の生命、その理由への違和感。しかし、なぜ恋愛や快楽が?単純にセックスを連想させるせいだろうか。快楽やセックスへの嫌悪は大変に人間的、道徳的、社会的な感覚だ。社会は〝いけないこと〟を作ることで個人の無意識に折り目をつけていく。制御し、操作する。個人に同じ折り目をつけ、全員を同じような人間にしようとする。個人の喪失。しかし、全ては無意識の中の出来事だ、個人はそれを意識することが出来ない。彼は人間に適応し、快楽を閉じたか?思うのだが、それを「必要ない」と閉じたように、それが「必要」であれば当然、開くのではないか。私は今、彼が閉じた瞼に爪先を差し込んでいる。私の指が開けられなかったものなどない、であれば当然、開くのではないか。

4/11

〝愛してる〟と〝殺す〟がいつも一緒にいる。仲良し。

他人を所有することなど出来ないはずなのに、私はなぜ「彼は〝はじめから〟私のもの」だと感じるのでしょうか。恋でしょうか。

文豪の押し花が見つかったじゃないですか。台紙に日付の入った押し花が「I love you!」と書かれたページに挟まれていたとか。そして、その本を文豪は好きな女に貸したのではないかと、そういう話。花言葉まで恋で香って、選んだのはフランス文学で。わざわざ日付を入れるなんて、私なら絶対に〝貴女と会った日〟に摘んだ花にする。ねえねえ、あなたもそうした?

4/12

私は自身を開示することで「〝知っていること〟を〝知ること〟は出来ない」を体現するところがあります。そのバラは赤いです、あなたはそれを知っています。あなたはもう、それを知ることは出来ません。〝そのバラは赤い〟があなたの胸に飾られています。そして、あなたは〝本当にそのバラは赤いか〟バラが咲くたびに気になるのです。だって知っているから。胸に飾られているから。「知っている」は「持っている」で、あなたのもので、気にせずにいることは難しいのです。この胸のバラは赤いはずだがーーーーあなたは私の全てを知っているはずなのに、なぜだか、まだ知らないことがあるような気がしてくる。確かめたくなる。それはこの〝仕組み〟のせいです。

「知りたい」よりも「確かめたい」がより切実であることを、私は〝知っています〟

退屈には針が付いていて、時間があって、その針は重い、命のように怠い。

4/13

「これ好き、あるだけ買ってきて?」「買ってきたよ」「ありがとう、二つしかなかった?」「三つあった」「なぜ三つ買わなかったの?」「人として?」「人として」「ーーちゃんが一つ、僕が一つ、誰かがもう一つ買えるでしょ」「私は三つとも欲しいんだけど」「ええ」「人として?これは単純な売買の話だよ?私はお金を持っている、店はお菓子を売っている、私は三つ欲しい、誰かって誰?どうして勝手に出てくるの?」「ええ」

もし誰も買わなかったら?もう一つの〝もし〟は無視?

誰かって誰?について 物語の中の人物に食事をご馳走するイメージ 本にステーキを押し付ける 本はステーキを食べない 物語の中の人物は現実には存在しない

4/14

時間の向こうで星が死んで、放たれた、過去の未来である現在から眺める、光

僕は君のことばかり責めて、どこへ行きますか、どこでならば逢えますか

君は僕のことばかり愛して、どこへならば行けますか、どこで会いますか

未来の過去となる現在から放つ、光

眺めている、謎めいていく、時間の揺らぎに星が生まれる

4/15

私の性質と、私の見る夢とが、高揚を以て重なり現実を拒否する。私は性質で家を建てる。私の見る夢はキャンディやチョコレートを集める。私の家は〝お菓子の家〟で、この御伽話はつまり

現在の私に、過去から未来から〝私〟が会いに来てくれるとしたら、私は絶対に〝未来の私〟と会いたい。だけど、わかっている。現在、過去、未来、どこにいたって私は「太陽が死ぬところを見に行く」そう望む。私にすら会いに来ない「永遠に会えないね」どこにいたって私は、私のことなど気にもかけず、私を生きている。

「神様になったらどうする?」「人間を作る、だって人間が過去と神様を作るんだもの。神様は何でも出来るのに、自分を作ることだけは出来ないんだもの」

「その人の夢を見るときは、自分じゃなくて、その人が自分のことを考えているときなんだよ」そう彼が教えてくれた。彼の夢を見た。目覚めた私はすぐに彼の言葉を思い出して笑った。魔法のような言葉。彼の夢を見るたびに、彼が〝きみを思っている〟と伝えてくる。離れていても、話していなくても〝そのような構造〟素晴らしいのは、これから先の全て、その全てを変えてしまったということ。これから先の全て、誰の夢を見ても私は、彼のことを思い出す。魔法のような彼の言葉、そのような構造。

4/16

彼の言う〝合う、合わない〟について考えていた。確かに彼の言う通り「自分が欲しいものをもらえる、相手が欲しいものをあげられる」これは大事なことだ。それによって〝満足することが出来る〟から。不安が少ない状態であるから。私も理解はしている。しているが、感覚として「合ったとして、合わなかったとして、不安がないとして、安心するとして、それがなんだ?天文学者は天体と〝合っている〟の?天体が〝好き〟なのでは?」がある。私のこのような感覚にたいして、彼が〝合わない〟と感じている可能性もある。だけど、それがなんだ?噛み合わないのなら糾えば良い、私はそう言う。

私は〝満足による安心〟ではなく〝発見による感動〟を求めている。私は彼がいるだけで「美しい」となるが、彼はそうではない。

ねえ、なんでわかんないの?あなたが何もくれなくても、私の欲しいものを一つも持っていなくても好きだって、愛してるって言ってるんじゃん、なんでわかんないの?それとも「欲しいものがもらえない」って拗ねてるの?私は満たされるだけでは満たされない、天体をキャンディの包み紙で包みたい、それに意味なんてない、〝もしかして〟が生まれるだけ「これって舐めて良いの?舐めたら甘くて溶けるの?」誰も天体を口にしない、だってキャンディじゃない、だけどもし、キャンディの包み紙に包まれていたら?あなたは私にキャンディの包み紙をくれる、〝もしかして〟私は欲しいものをもらっている?あなたは一人で「不安」って泣くの?泣いてるの?ねえ、泣かないで?大好きだからキャンディあげる、ピンクと水色のかわいい包み紙、私は両手で差し出したけど、〝もしかして〟これって天体かも。

4/17

私の知らないところで勝手に生きないで。

4/18

あなたの言っていることが〝わかる〟耳が突然、その音の〝意味〟を聞き取って、拙い発音で私は、あなたに話し始める。あなたと〝同じ意味〟で話し始める。

確かに彼はずっと〝アップル〟について話していた。私も確かにずっと〝リンゴ〟について話していた。赤くて、丸くて、甘い、ウサギにするよね?パイにもするよね?私たちはお互いに〝同じものについて話している〟ことはわかっていたが、それでも、私にはどうしても〝その果実〟が必要だった。彼に決定的な質問をするために。今夜、彼は月の話をしていた。私はその月を見上げた。木曜が終わりかけた頃、それが突然、月から落ちた。赤くて、丸くて、甘い、その果実。月から落ちてくる、近くほどに鮮やかになる、私は咄嗟に手で掴み、それを彼に差し出した。決定的な質問をするために。私は問う「アップル?」彼は答える「アップル」良かった。これでアップルパイが作れる。

4/19

自身にたいして「好きだけど、別に好きではない」という感覚がある。問題にはならない。

思考は拡散と収束を繰り返す。雨が傘になって、傘が日傘、日傘が太陽に、太陽がパラソル、パラソルが海に、海が雨になる。だって太陽はもうあるから。雨は傘になって、赤い傘、赤はリンゴ、リンゴは重力にーーーーすぐに雨は降るから待っていて。

私はあなたの「いいえ」を「はい」に変えることが出来るよ。あなたが「はい」と言わなくても、それが「はい」になる、どれも「はい」になる。さっきまで、盤の上は白い石ばかりだった。あなたは真っ白で綺麗。ねえねえ、私が良い位置に黒い石を置いていて、だから次の一手で一斉に裏返って、そういうふうに〝勝っていく〟そう考えた?違うよ。あなたが始めたとき、初めて白い石を置いたとき〝白の裏は黒〟があなたを捕らえた。ゲームはいつか終わるけど、ルールは、真理はどうだろう。ねえねえ、どう思う?

4/20

〝恐れ〟が〝乾いた心〟を呼び、そこから〝渇き〟が生まれ、それが私に他人を求めさせるが〝恐れ〟があるために、どんなに〝相手が許しても〟手を伸ばすことが出来ない、手で触れることが出来ない、という状態にいる。どうしようもない。彼もこのような状態にいたのだろうか。それは、これは、とても苦しい。

飢えている、水はある、心もあるが、口がない。

この〝恐れ〟はおそらく、自身が求める者(物)からの拒絶に起因する。私は〝その対象〟を変えること(別の者、物)で回避してきたが、もし、そうすることが出来なかったとしたらーーーーいや、彼も変えることで回避しているのか。それが〝完璧な相手〟を求める理由であって。

完璧に〝自然な〟相手。

その〝完璧な相手〟に期待があるわけではない。希望があるわけでもない。求めているが、求めていない。

彼は一枚の絵だ。その絵の端には額縁が描かれている。絵であり、額縁であるが、その絵は額縁ではない。一枚の絵、それだけでもない。私は自分の〝素晴らしい額縁〟を抱えて、彼の前を行ったり来たりしている。自惚れているのだ、私は。

私の額縁はおそらく、あなたの額縁を明らかにする。あなたが絵に〝描いたもの〟が明らかになる。私の額縁によって、あなたは額縁ではなくなるはずなのに、描かれた額縁はより意味を持ってーーーーあなたはもう〝ただ美しい〟だけではいられなくなる。私のせいで〝なぜ美しいのか〟示すことになる。あなたがそれを望んでいなかったとしても。

押し返しそうになった。彼が心に踏み込んできて、咄嗟にーーーー私は彼の腕を掴んだ。そんなに無邪気にしていたら転ぶ。心の入り口で私は、彼にパンの話をした。「心はパンの焼ける匂いで、パンではない。でも匂いだけを差し出すことは出来ないから、パンを差し出すことになって、パンが心みたいになってしまう」彼は腕を掴まれている、私は彼のポケットにパンを押し込む。「おやすみ」そう手を振って帰って行った。午前一時、私はしゃがみ込んで、心に残った足跡を見つめている。彼の靴って、そう確か、黒いスニーカーだった。

4/21

時間で愛が測れるそうだ。そういう話を聞いた。相手が自分に〝どれだけの時間を使ってくれているか〟愛を針に変えて測る。そういう話。奇妙な秤、時間に重さがあったなんて。愛には何があるの?香り?独特な秤、愛を測るには、愛を針にして、時間を乗せる。わかるのは時間なのに、それが愛になる。愛を乗せたらどうなるの?残念ながら、時間だけでは、私は愛を針に変えることは出来ません。あなたがくれた時間を使って〝時間について〟話し合うこと。時間に〝あらゆる時間〟が重なって、純粋になっていく、時間が針に変わる、進み始める、純粋な時間が。愛はどうしたの?その話はまた今度。だって、私たちには時間が〝たくさん〟あるから。

私は20歳で、彼は19歳だった。私は彼の文章に夢中だった。清潔で、痛々しくて、行間には〝祈り〟があって。誰かがそれを読むことを彼は知っていた。誰かに読ませるために捧げられた祈り。彼はそのページから一歩も動かず、太陽をまっすぐに見つめて、目を、目を溶かそうとしていた。私が驚いて声をかけると、彼は何度か瞬きをしてから「初めてーーーを読んだときと同じような気持ちだ」そう言って私を受け入れた。

彼の文章が、様々な作家のコラージュであることに気づいたのは、彼自身にすっかり夢中になった後でのことだった。痛々しいのは他人の言葉だからで、だけど本当は誰だってそうで、清潔なのは彼がまっすぐにそれを表現したせいだ。彼は〝祈りは言葉にならない〟ということを知っていた。だから自分の言葉を持たず〝確かな言葉〟を集めて使った。なんでも良かった、だから美しい言葉を選んで飾った。自分の言葉という幻想、思い上がった者にだけ〝読ませる〟祈り。私は何度か瞬きをしてから、彼をまっすぐに見つめて、目を

4/22

私は自身がどのように高揚していくかを知っている。私は私に言う。「罪は私にあるが、私に罪の意識はない。私が認識していないものを、私に存在させることは出来ない。罪がないのだから当然、罰もない」私は誰にも言わない。隠しているのではない。無いものを見せることは出来ない。私は私を意識しない。私が罪そのものだとしたら?罪は罪を犯すことが出来ない。私は罪であって、私に罪はない。私が高揚していく。

私がどのような人間であっても、確かに、あなたを愛している。見せられないものを、見せたくなるほどに。

4/23

彼が水曜日から出られなくなるように鍵をかけておきたい。

4/24(Wed.)

〝扉が閉まると自動的に施錠されます〟

チョコレートの味がした。チョコレートを食べると〝口の中が汚れる〟私はどこへでも上手く入ることが出来る。口の中にも、頭の中にも。だって、あなたの鍵を持っているから。

4/25

彼の〝考えている姿〟が見たくて、答えが一つもないような、幾つもあるような質問をした。声を溢しながら考えを巡らせる彼の姿を見て、私は蔦を思った。思考を蔦としたとき、何かについて考えを巡らせ〝答えを探す〟とき「木がある、家がある、庭には遊具があって、隣の家の屋根は赤くて」蔦は、木に、家に、庭の遊具、隣の家の赤い屋根にまで絡みついて、そこら中を覆い尽くしていく。例えば、私が〝木を答えとする〟これで私は、家、庭の遊具、隣の家の赤い屋根に絡みついた蔦を切る。目の前には木が残される。今度は木に絡みついた蔦を解いていく。いつか木が現れる。花も咲くかもしれない。

突き詰めれば、あらゆる物事は全て繋がっていて、何かを切るということは、答えと共に〝間違える可能性を得る〟ということでもある。

彼の蔦が、強い力で世界を覆い尽くしていく。あらゆる物事は繋がっていて、彼はおそらく〝その可能性〟を切らない。木も、家も、庭の遊具、隣の家の赤い屋根、世界中もいつか「蔦に覆われた何か」になるかもしれない。私はハサミを手に、嬉々としながら彼の緑の中を歩いている。そして〝蔦に覆われた何か〟の中から、とりあえずは愛を探している。

彼の考えている姿が見たくて、答えが一つもないような、幾つもあるような質問をした。その後で、きちんと彼は〝美しい答え〟を探して来た。彼は私を驚かせて「ーーーー」と言わせたいようだが、私は深い喜びの前では言葉を失う。わかっている、私の木はいつか花を咲かせる。私の木だ、咲くと決まっている。だけど、あなたの蔦はいつか世界中に花をーーーーむかつく。

答える度に間違える可能性を得ている。それでもいい、私は彼に答え続ける。

4/26

ねえねえ、神様、知ってる?私の最寄り駅から、彼の最寄り駅までの全ての駅を壊すと〝隣の駅に住んでる〟になるの。みんなには内緒にしてね?ねえねえ、神様、私のこと好き?

雪が積もるときの音、聴いた?星が流れるとき、風が始まるとき、それから、愛が現れるときの音も、聴いた?

彼の「きらい」について。彼と会ったあと〝会っているときの距離〟から〝会っていないときの距離〟に戻るまでの間、私には少しの混乱がある。そしてそれは、会っているときの距離が近ければ近いほど顕著に現れる。おそらく彼にも似たようなところがあって、今日、彼は私にたいして何度も「きらい」と口にした。もちろんこれは「きらい(すき)」だ。

〝好き〟という感情を言葉にする。そのことに、どこかよそ行きな印象がある。感情ではなく〝その言葉を口にすること〟にたいする印象だ。基本的に「好き」という感情、言葉は良いものとされている。素晴らしいものだと。相手が恋人であれば当然〝伝えて良い言葉〟で、まるで初めから何かに、誰かに〝あげるための言葉〟

私は彼の「きらい」を何度も聞きながら思った。彼の〝好き〟は「私への気持ち(彼の感情)」で、彼の〝嫌い〟は「彼の感情(私への気持ち)」ではないか。彼の「きらい」は、彼の感情にたいして、彼の「すき」よりも純粋なのではないか。誰かにあげるためではない言葉、それは彼の感情により近いのではないか。彼の「きらい」という言葉は、彼の好きという〝感情〟に、彼の「すき」という言葉よりも近いのではないか。

彼の「すき」という言葉は、私の存在にたいして純粋だ。私の感情と近づくには「すき」が良いかもしれない。だけど、私は彼の「きらい」が嫌いではない。だって、私は彼のことが好きで、彼の感情に近づけば近づくほど、私の〝好き〟が純粋になっていくんだもの。

4/27

一日中、不安だった。摘んで本に挟んでおく。花が咲いたページには「君、デューク・エリントンにアレンジされたんじゃないの」うたかたの日々「こんにちは」とクロエ。

4/28

家族「首細いね、折れそう」私「それってどこに繋がるの(それが色情に繋がらないのなら、その所感は一体、どこに繋がっていくのか)」家族「え?」私「ううん」

願いの程度はわからない。「他の子と仲良くしないで」子供の頃から何度も聞かされた願い。「しないよ」私は本当にそう思って、そう言って、誰にでもそう。〝あなただけ〟が溢れる、無数に。「どうして」そう責められても〝あなただけ〟だ。私は私の性質によって〝それをすることが出来ない〟そして、私は私の性質によって〝それをすることが出来る〟願いの温度はわからない。だけど今、私の願いによって〝あなた〟は、あなただけだ。

手を繋ごうとして握り返してもらえなかったの初めて、大好き。

私は私を偽ることなく偽り、私だけの私を全て、あなたに見せるつもりだ。

私が楽しく過ごせるように、重さを感じないように、あなたがそうしてくれている。あなたといると楽しい。あなたが私の〝楽しい〟に息を吹き込んで、次々に生まれる、しゃぼん玉みたい。あなたが〝そうしたいだけ〟なのかもしれない。そう出来るからそうする。息を吹き込むという〝性質〟であって、私でなくてもーーーーそれでも、ここにある〝楽しい〟はあなたを知っている。風に浮かぶ、光を含んでゆれる、あなたを見ている、あなたが見ていることを知っている。あなたが息を吹き込んだ、私の〝楽しい〟が、あなたの前できらきらゆれる「綺麗?」あなたはそれを止めることが出来ない。あなたの性質によって、それから、私があなたを愛しているせいで。

でも私、重たいのが好き。私がいないと死んじゃうのが好き。手を繋いで、今度は握り返して?深く沈んでいくような、深く潜っていくような、そこは真っ黒な青で、真っ青な黒。深く落ちていく途中、肺を感じる?それとも愛?海底に足が着いたらアトランティスを探そう、そういうのが好き。

4/29

雨だった。雨で濡れた水曜日に、私は服を脱いだ。その後で、お互いが別の揺れ方をしている。私は彼に合いたい、彼は私から離れたい〝そうしないとおかしくなりそうだから〟揺れてる、止めてあげる、抱きしめてあげる、だって私は〝合いたい〟それに会いたいから。私がこの調子でいるから、彼は私から〝離れたい〟だけど会いたい。違う?

好きな人へ、私は「もううちでは面倒をみれません」と閉鎖病棟を追い出された人間です。私の「もっと病んで?」はエデンへの裏切りです。その喪失です。私たちは罪によってエデンから追い出されるのではありません。エデンから追い出されたとき、初めてエデンは現れるのです。その罪の象徴として。罪があるからそこで暮らすことが出来ないのではなく、そもそもエデンで暮らすことが出来ないのです。私たちは一度もそこで暮らしたことがないのに、まるで〝そこで暮らすことが正しいこと〟であるように感じさせられています。生まれた家のように、帰らずにはいられないように、そのように。私の「もっと病んで?」はエデンを断ち切ります。この罪はエデンを呼ばず、それがないのならもう、その罪を責める理由がない。「もっと病んで?」は「もっと愛して?」であって、私は〝病んでる〟から追い出された人間の〝病んでる〟をあなたに教えてあげるね。

4/30

〝愛してる〟から追い出された人間の〝愛してる〟をあなたに。

何か特別なものが欲しい。

閉じた傘の先から落ちるしずくを、雨と呼んでもいい?

彼、私がまだ足りないみたい。だって、彼の口から私が溢れていないもの。

誰かの瞬きの中で眠りたい。

四月

ねえねえ、神様、内緒にしてね。