隣人は神様でもいいかも

隣の椅子に座った子供がガリガリと煎餅を噛み砕く音を聞いていた、病院にて。生き物の音がする、神聖な響き、耳の奥にある部屋はまるで「石で出来た教会」天井で返ってくる賛美歌、口から離れた歌は二度と戻らず、こんなところにまで神様。椅子と椅子、私と子供の間、こんなところにまで割り込んでくる神様。

誰であろうが後ろに並んで下さい、私の後ろに

ねえ、聞いたよ?他の国では別々に暮らしてるらしいじゃん。この国の宗教観は独特だって、外国人が本の中で話してた。そこら中にいる神様、隣の部屋にも住んでるかも、同じ土地で「一緒に暮らしてる」なんて考える、それがとても不思議なんだって。この国で出会って良かった。

他人の「好き」も、自分の「好き」も鬱陶しい。どうしていつも恋人がいるの?どうして働かずに生きられるの?愛も金も利己的だ。大切にしてくれるところではなく、上手く使ってくれるところに集まる。愛は使う時に、金は使う時に、私も使う時に、愛に、金に、私になる。私は利己的だ。不思議なことは一つもない、それは当然、ここに集まる。

0の隣は1、1の隣は2、2の隣は神様でもいいかも