1頭の象+4人の人間=5頭の象

過去の私が残したメモにそうありました。おそらくですが、1頭の象+4頭の象では答えは5頭の象に、1人の人間+4頭の象では8頭の象、1人の人間+4人の人間では25人の人間になると思います。それが人間の素晴らしいところであり、罪深いところです。

平等とは何だろうか。私と象に50リットルずつ水を「平等に」分け与えることだろうか。私は生きるために日に50リットルも水を飲む必要はない。飲み切れずに余らせ捨てることになる。象は日に50リットルでは足りないのではないだろうか。死んでしまう。しかし世界は今「平等でなければならない」神(便宜上)は私に50、象に50を強いられる。私は象ではないし、象も私ではない。違うのだ。これほどの違いでなくとも、あなたと私でさえ違う。

平等を求めることは当然の権利であるが、権利には責任が伴う。私が水を「平等に」と神に主張するとき、私は余った水を象に差し出すと約束しなければならない。神でも世界でも社会でもない、自分自身に約束する必要がある。私にとっての平等とは何だろうか。私にとっての平等とは象を死なせないことだ。自身の権利に執着し、象を死なせてはならない。私はこのような精神を愛と呼びたい。愛なんて笑えるだろうが、愛としたい。

終わりに

これらは全て、私が「象が好きだから」で成立していると言える。それが人間の素晴らしいところであり、罪深いところです。