愛を指定して実行

簡単であること、単純であること。私が重視していることだ。一目で理解したい。一歩で侵攻し、たった一発で制圧したい。

「あなたは他人どころか、自分にも興味がないんだよ」と言われ、頷いた。私は考えることを続けられるのであれば、これが誰の精神でも、誰の肉体でも構わないと思っている。その機能が備わっていれば良い。もちろん出来の良い個体であれば喜ばしいが、それなりのものも、それなりに機能するということを、私は知っている。私でなければ出来ない考えなんてものは存在しないし、誰かでなければ出来ない考えなんてものも存在しない。私が誰でも、誰が私でも、同じことをするだろうよ。

私はそれが〝きちんと機能しているか〟を気にしている。毎分50回転するように作られているものを、きちんと50回転させているか。毎分100回転するように作られているものを羨む必要などない。50を50、100を100、きちんと回転させているか。私はそのようにして判断する。私に言わせれば、これら二つは同等に、有能だ。だから私は誰にたいしても平等なのだと言いたい。わかるでしょう?これは愛です。

ところで私は、愛というものを使いたくて仕方がない。私の愛は、相手が望む形に変更することが可能。そのように組んである。手に取ればわかる、誰でも使える、私が探してくる。あなたは愛を指定して実行。その構造がどれほど複雑でも愛は、私の愛が、簡単に開く。